~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■ADHD18 報酬系  と学級崩壊

2019年9月



(この記事は、夏休み後半から書き始めて、
9月末まで編集をしていたため、
前半後半で話の流れが少し違います。)




夏休みも終わり、

一気に涼しくなってきましたね。



息子は2年生になって、

情緒の特別支援級 + 交流級で過ごしていますが、

その甲斐もあってか、はたまた成長かわかりませんが、

まずは、謝罪を要求されるような事態は

1年前に比べ、だいぶ少なくなりました。



f:id:aegis-pilebunker:20190926085156j:plain

↑ 夏休みに、扉に挟んだ親指と、交尾中のバッタを捕まえる息子ムシキング(笑)



f:id:aegis-pilebunker:20190926085313j:plain

↑ 夏休みにタンスの角におでこ強打したケガ💦

↓ 今ではここまで回復しました!

f:id:aegis-pilebunker:20190926085408j:plain





1年前と比べ、だいぶ落ち着いた息子ですが、

突発で友達を叩いてしまったり、

怖い言葉を使ったり、

相手の気持ちを考えずに



あー、そんなことするんなら
100回ぶっ叩いて、おもちゃ壊すから!



といったような発言を、

自分に気を向けたい一心で言ってしまったり。



これらの発言には、あまり怒りの感情は無く、

自分の思い通りに周りが動いて欲しいという思いで

挑発するような感じで口にしてしまうようです。



使っている言葉はトゲトゲしいものが多く、

当然相手は嫌がります。

そして、その言葉に反発され

いやだよ!

などと言われたりすると、

さらにしつこく嫌な言葉が並んだり、

瞬間的に手が出てしまう…

そんなやりとりは、まだ散見されます。



友達と上手に接する事が出来ず、

どういう言葉を使えば

気分を害されずに自分の思いが伝わるのか、

そのやり方がわからない…

といった感じです。



傍から見れば、

なんて思いやりのない子なの…

という印象でしょうね。



しかし、本人は

これで友達と楽しく遊べる!

という思い全開で

その行動をしているので、



本人が 正しい と感じている事を、

間違っている、

悪い行動をしている、

という事を伝える事自体は出来ても、



それを本人の中で、

正しかった筈の、実は悪いことを、

悪いと思っていた、本当は正しい行動に

差し替えるように理解を促す事が

とにかく難しいのです。






自分の思いを通すには、

まあ、色々な考え方があって説明はしきれませんが、

まず相手の思いを通してあげる事が

一番いいんじゃないかなー、と

大人ながらには思いますが、

それはあくまで大人の考え。



さすがに子供同士では、

相手を立ててあげる、なんて事は

よく出来た子でも難しく、

通常は相手を立ててあげるのではなく、

自分が、嫌だけど、我慢もしなきゃ…

悪い子になったら、怒られるし、

自分のお願いも聞いて貰えなくなっちゃうから…

というくらいが殆どだと思います。



これって、

我慢出来る子かどうか、という見方もありますが、

根本は、報酬系のやりとりなんですよね。






報酬系とは、

簡単に言えば、



A(オモチャ)が欲しい。

でも、ただ欲しいと言っても貰えない。

B(勉強)を頑張れば、A(オモチャ)を買ってあげるよ!

と言われた。

A(オモチャ)が欲しいから、

A(オモチャ)を欲しいとは言わずに、

B(勉強)を頑張ろう。

それがA(オモチャ)を得るための一番の近道だから。



という考え方です。






欲しいものを買ってもらう、とか、

大人なら、頑張って働いて給料を貰う

といった話は、

まさに報酬系では一番わかりやすい話ですが、

こんなのも報酬系のやりとりになります。






早く食事が終われば

しばらく遊ぶ時間作れるよ!

(そしたら、その時間でyoutube見れるね!ゲーム出来るね!)



とか、



ゲーム出来るのは、

宿題と、明日の準備終わった人だけ!



とか、



10時に寝る約束が守れないなら、

明日はタブレット使うの無しね。



とか、



(以下は、あまり好ましくない対応ですが時に必要なケースありとして)



間違った事をやめられない時、

叱られる、罰を受けるという恐怖を与える。

本人は、その恐怖が嫌で、罰から身を守るために

言うことを聞くようになる。



など。






つまり、



AとB、更にはC、Dといった、

いくつかの要素同士を1つの話で繋ぎ合わせて、

本来の目的、希望であるAを叶えたいが、

それを達成するためにはBやCなど

希望以外の行動をとならければならない。

希望以外の、興味が無いものに対して

興味を向けなければならない。



という、

2つ以上の要素を、1つの話の中で

関係性を持たせて理解させるやりとりの殆どが

報酬系の話、ということになります。



別段、障害を持つ子の多くが

報酬系の理解に問題がある、という事はありませんが、

ADHDに関しては特に、

この報酬系回路の能力低下とみられる傾向が

強いとされています。






報酬系を通した注意欠陥、多動性障害の病態理解
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbpjjpp/22/4/22_253/_pdf






以前は、報酬系の制御が殆ど不可能で、

以下のような行動がほとんどでした。






オモチャ欲しい。

でも、ただ欲しいと言っても貰えない。

B(勉強)を頑張れば、A(オモチャ)を買ってあげるよ!

と言われた。

A(オモチャ)が買えないという事実が頭に充満する…

嫌だ!買って欲しい!買って!買って!買って!

買わなければお父さんはクソボウズ!(嫌味のつもり)

だから言ってるでしょ?勉強終わらせたら買うよ。

嫌だ!今買って!今買って!買って!買って!買って!

(無限ループ)






このまくし立てる感じ。



とにかく、自分のやりたい事、欲しいものを見つけたら、

まずそれを先にやらないと、貰わないと、気が済まない。

他の事など一切関係なく、

ただひたすらに要求を続けます。

タダをこねるというレベルではありません。

そこでこちらが強く出れば、

怖がる、という事もなく、

暴力、罵倒、という手段に発展するだけです。



報酬系が効かないと全ての行動がこうなりますので、

躾もクソもない世界になります。



まあ、今までこれで色々とありましたが、

小学校2年にして、ようやく報酬系が効くようになってきて

それでも衝動的な行動は出るものの、

少し落ち着いて話をすれば、

我慢したり、納得したり、目先を変えたり

という事が出来るようになってきました。



これは大きな前進です。



報酬系のやり取りは躾の基本になります。

これが出来るのと、出来ないのとでは

天地程の差があります。



息子にもようやく…

と、感慨深いものがありますね(。´Д⊂)









と、まぁ、ここまでまとめて来ましたが、

記事のまとめに少々時間が掛かってしまい…



9月中旬~下旬に掛けて、

息子の行動に少々問題が起きてしまいました。



特に、学童と、

療育の放課後デイルームの方で、

自分の思いを他人に強要する、命令する、

先生の言うことを聞かないどころか

舐めてかかり、殴る、蹴る、引っ掻く

という状況が暫くありました。



ちょうど掛かり付けの発達の病院で

相談をするタイミングだったため、

状況を細かく説明しましたが、



今起きているのは、

場所に要因する問題と思うので、

または、その場所で会う人と反りが合わない

という問題に思えるので、

(他の場所、自宅、小学校内、支援級などでは

そういった行動がしっかり抑制出来ているため)

場所を改善しないと本人が辛いだけ、だと。



しかし、薬等による対処療法は、

その状況ならまだ不要でしょう。



という言葉には、

安心して胸を撫で下ろしました。






その後、

学童と、放課後デイルームと面談を行い、

対処について相談。



放課後デイルームは、

さすがに療育のプロだけあって、

安心しておまかせ出来るだけの話が出来ましたが、

やはり、学童はそうもいかず…



先生方に技術があるかどうかのまえに、

ひとクラス80名の混合1~3年生が入る部屋が2つ、

という猛烈な刺激を受ける環境を

先生方も、どうにも出来ないことがある。

という話には、

先生に対してではなく、

行政に対して色々と思う部分もあれど、

ただ一方的にこちらの思いを押し付けるだけでは

何も解決しない、という部分もあり。



まずは以下のような対応を

これから沢山取り入れて貰えるよう

掛け合いました。



■我を通そうとする時に、全力で会話のキャッチボールをせずに、話を遮らずしっかり聞いて、その上で揉めている事からは目を逸らす第三案を提示する。

■約束、順番を守らずに、先に自分の思いを通そうとする行為には絶対に応じず、毅然と対応する。

■会話の多くを、ダメ、拒絶、反発の言葉で遮らず、受け止めた上で、それが今の状況に好ましくない事であれば、ポジティブに別案を提示する。

■まずは、息子をどうするか?よりも、周りの子に被害が及ばないようにするにはどうすればいいか?を中心に対応してください。



結果は、暫く様子を見てからですね。

去年夏休み後のような状況にだけは

ならないようにしなければなりません。



aegis-pilebunker.hateblo.jp









また、別の話ですが、

夏休み明けに、同学年のひとクラスで、

学級崩壊状態が起きているとの話を聞きました。



まずは担任の先生が即変わる事になるようです。



状況としては、

調子に乗る数名の児童が先生の指示に従わず、

授業中でも教室の外に飛び出してしまい、

ついて行く生徒もいるとのこと。



やはりこの夏休み後の時期は

色々な要素が重なり、荒れる時期なのでしょうか。

まだ小学2年生だというのに…



その調子に乗る子の1人は、

1年のときに散々うちの息子とトラブルを起こし、

過去のトラブル記録を辿ると、

こんなやりとりも見つかりました。



息子 → A
調子乗り1 → X
調子乗り2 → Z

朝の待ち時間にXとZが教室内で鬼ごっこしていて、
息子Aがトゲのある言いかたで止めるように言いケンカに。
息子Aが、先生を呼ぶよ! と言ったら
そんなことをしたらお前が先生に怒られるからな!
とXZから言われて息子A腹を立てる。
息子Aが、Zをパンチ。
Xは、それを見て バーカバーカ! と言ってきて
息子AはXにもパンチ。
息子Aの問題行動として報告される。



今回の学級崩壊には、Xが関わっている事は分かっていて、

Zは関わっているのか知りませんが、

Xは、調子に乗った行動を繰り返した挙句、

どうも高いところに登って遊び続け、

頭から落ちて大ケガし、

アイスホッケーのヘルメットのようなものを被って

暫く登校していたと聞きました。

頭蓋骨にヒビが入る怪我だったんじゃないかと

噂されています。



1年の時のXとのトラブルは、

何が原因で、何が悪かったのか

私は見ていないので分かりませんが、

今の状況を見ている限りでは、

うちの息子が一方的に問題行動を起こしていた、

とは言えないんじゃないかと改めて思います。



なによりも、この学級崩壊の現場から

息子が離れていて本当によかったと思います。

きっと近くにいたら、息子は間違いなく加害者側として

この大ケガの原因を作った1人として

吊るし上げられていたでしょうから。



特別支援級を選択して本当によかったと

実感させられました。






息子は、特別支援級の中では

とても落ち着いて過ごしており、

遊び道具の取り合いや、

自分の思いの押し付けなどはまだまだありますが、

先生の指導を聞くことができ、

授業はビックリするくらいに集中して

立ったり、音を立てたりすることなく

しっかり勉強しています。

やたら消しゴムを落とすようですが(笑)



今年の2学期は、何とか崩れずに

冬のスノーボードの時期を迎えたいですね!



あ、そろそろ宿予約しなきゃ!

■漂流16 折

2019年 8月末



大変久しぶりのブログ更新です。

令和元年の夏、いかがお過ごしでしょうか。



6月末に妻の三回忌を終え、

7月には息子の1学期が終わり夏休み突入。

お弁当を作る日々が始まり、

仕事も普段通りしつつ、

息子と遊びに行ったり、

暑さにバテて、アイス食べまくったりと、

子気味良く忙しい毎日を送っています。



今年の夏休みは、旅行らしい旅行は無しです。

GWの旅行がまあまあ豪華なお値段でしたのでf(^_^;



日帰り遊びメインで、

ディズニーシーに行ったり、

トイ・ストーリー4見に行ったり、

花火やったり、

スーパー銭湯に行ったり、

チームラボボーダレスの展示を見にいったり。



チームラボボーダレスの展示、作品は

本当に素晴らしかったですねー!

borderless.teamlab.art



f:id:aegis-pilebunker:20190820181327j:plain

f:id:aegis-pilebunker:20190820181350j:plain

f:id:aegis-pilebunker:20190820181407j:plain



この写真は、作品のごく一部で、

どこにいても、まるで宇宙空間の中にいるようで、

その中で、子供達が思い切り遊べるアスレチックや、

トランポリンなどもあるような、

時間さえあれば半日以上は滞在できる

施設になっていました。

見渡す限り、動的な、インタラクティブ

プロジェクションマッピングで作られていて、

正直、実物を目で見ないと伝わらないものが多く、

興味がある人は今からでも予約して行ってみて下さい。

当日、その場での入場券は

買えないと思った方がいいと思います。



息子も、同年代の子と遊ぶ機会が

少しだけ増えてきて、

まだまだトラブルは絶えませんが、

家庭での療育のような対応が出来る時間が増えたので、

本当に嬉しく思います。

ご理解を頂けている親御さんには

本当に感謝しています(*^_^*)

ありがとうございます!






今年の夏は、

今までの夏とは少し違う雰囲気を感じます。



息子の対応に昨年までのような

神経を尖らせていないといけないような

緊張感が、少し和らいだからでしょうか。



妻の三回忌が終わり、

改まった形での法要は暫く先になるからでしょうか。



私個人の気持ちの変化でしょうか…



過去に捕らわれたり、

今に縛られたり、

先を見る事、未来への希望を持つこと自体が

不謹慎かもしれないという既成概念に押しつぶされたり…



そういう心境に、

少し変化があったのかもしれません。






人は希望を無くしたまま、

未来から目を背けたまま

生きていく事は出来ないと思います。



目標を持って行動する。

未来を想像して判断する。



決して、不幸になりたくて

自ら不幸を選択する人はいません。



思い描く幸せに向かって、

可能な限りの努力をする。



それが、人が生きていく上での

最も純粋な行動原理だと思うからです。






今までブログの中で書いた事はありませんでしたが、

私は、人が生きていく上で最も大切なことは、



“思考を止めないこと”



だと思っています。






思考停止という状況は、

ありとあらゆる場面に潜んでいて、

いつの間にか、

多種多様な考えを受け入れられなくなり、

判断能力が奪われ、

自分らしさが消えて無くなっていきます。



もしくは、

自分自身が、自分らしさだと錯視した

思考停止論を語る人形のようなものになっていきます。



その最たる例が、

何の根拠もなく、理屈もなく、

全てにおいて曖昧なまま

人を支配することが出来てしまう

詐欺まがいの新興宗教などの教え。



人を完全に思考停止に至らしめる事で、

作為的に作られた神と言われる謎の存在を信じ込ませ、

生きるための全てのエネルギーを搾取され、

空っぽの抜け殻になってしまった人は、

その信じた神に救われることも無く

打ち捨てられて終わり。

そうやって、作られた神の下僕という役柄を演じる

詐欺経営者だけが利益を貪り続け、

溢れる私欲のままに、無限に肥え続けて行く。

それに気付かせないようにする方法が

つまり思考停止。



考えることをやめさせ、

与えられた真理というまがい物を

あたかも、自ら求めた神であるかのように

錯視させて、思考停止に追い込む。



現代の、合法的な奴隷制度のような

この経営方法は、

新興宗教だけでなく、

ごく一般の有名な会社などの中でも

社訓などと大層な筆書きされた

額縁などに収められて、

それさえ守ればあなたの立場は守られる。

なんて建前とともに、

新人研修などで社員を思考停止させ、

会社の奴隷にしていたりします。

まあ、正直そうでもしないと

自分で考えて会社のために働ける人なんて

一握りも居ないのが現実かもしれませんが。



この思考停止という状態が、

自ら考え、判断し、未来の幸せを掴み取る上で

一番邪魔で、いらないものだと

私は10年以上も前から思っていました。






やっぱり、自分という意識を持ちながら

生きていくのであれば、

自分らしさをもって生きていきたい。






今まではこうだった…



今まではこうしていた…



でも、そこにいた妻はもういない。



ないものねだりをいつまで続け、



2度と得ることが出来ない幻を追い続け、



自分らしさを失い、



それ以外の思いを抱いてはいけない、



それ以外の判断をしてはいけない、と



殻に閉じこもり、思考停止に陥っていて、



それで本当に、この先の半生を



息子を育てきるという使命を全うしながら



生きていけるんだろうか。






そういう思いを抱くようになったのは、

三回忌の後くらいからでした。






別の言い方をすれば、

妻が亡くなって、下を向いていた気持ちが、

少しだけ前を向いてもいいのかな…

今までを想い続けるのではなく、

これからの、新しい人生を

自分らしく組み立てていってもいいのかな…

と思えるようになるまで、

少なくとも私の場合は、

2年以上の月日が掛かった。

そういう事なんだと思います。



それでも、今までの思いが

キレイさっぱり消えて無くなった、なんて

そんなことはまったくないのですが。



多分、今を生きている息子という存在が、

自分はこのままじゃいけない…そうだよな。

という思いを強くさせているんだと思います。






この夏、他にも色々と変化がありました。






■妻の初代タブレット故障



昔、妻が使っていた初代のタブレットが、

突然電池が膨らみ、接合部をメリメリと剥がしながら

3倍くらいの厚みまで膨らんでしまいました。

うちで音楽聞く用に使ってたのに(ノ_・。)

爆発の危険性があったので、

データを消し、充電を全消費したうえで、

即、行政の指示どおりに処分をしました。






■妻の最後に使っていたタブレット故障



その後すぐに、

妻が最後に使っていたタブレット

バックライトが付かなくなり、

画面が見えなくなりました。

息子が使ってたので、ゲームのデータが…(◎-◎;)

真っ暗で見えなくなった画面を

強い光で照らしながら、何とかデータ移行を行い、

先日修理に出しました。

ゲーム以外のデータは元々消してあったので

妻の大切なものが残ってはいませんが、

出来れば初期化はされずに戻ってきて欲しいです。






■妻との生活を支えた愛車が限界



今まで妻と結婚後から乗っていた愛車が

13年目の車検を目前に迎えた今、

いままでほぼノントラブルで来ていたのに、

エンジン周りの費用がかさむ部分で故障が起きたり、

ブレーキ系のオーバーホールが必要になったり、

タイヤが夏も冬も買い替えが必要なタイミングだったり、

塗装が融雪剤で侵食されてしまい、

ボロボロになってしまった等のトラブルが続き、

遂にこの夏にエアコンが効かなくなって、

車内が灼熱地獄になり、

さすがにもう…



これに手を入れて、

新しく購入するタイヤを使い切るまでの

約4年間を乗ろうとすると、

今回の車検だけでも100万単位の整備代が掛かる…

それで4年後まで乗ることを考えると、

多分整備代、車検代だけで

4年の間に単純見積もりで

180万くらいの費用が掛かる見込み…╭(๐_๐;)╮

もう新車に代えるべき、ですよね。



という事もあり、

新車の購入を決断しました。



ここ最近で一番バタバタしたのは

この車の件ですね。



納車まではまだ暫く掛かりますので、

新車の話はまた今度(*^_^*)





 
今年の夏は、



こんないくつかの事、



思いの移り変わり、



年号も変わり、



多くの節目がここに重なり、



否応なしにターニングポイントが形作られ、



人生の 折 を感じる、



変化と節目の始まりの夏となりそうな予感。






妻を失ってからまだ2年しか立ちません。



されど、



2年もの月日を下を向き、殻に閉じこもって過ごせば



人間としての純粋たる欲求を求め、



今を改善しようとする、未来への思いを蓄えるには



充分な時間がありました。






いや、むしろ、

全てに背を向けて、

逃げ続け、

未来の全てを諦めた訳でもないのに、

そこに触れずに生きていこうとする事に

限界を感じている自分がいる、

という方が、正しい理解かもしれません。



そもそも、

仕事も人並みには出来ない状況で、

周りの仲間に寄りかかりながら

子供の面倒を見続けるだけ、

なんて生活のまま、

一生を安泰で終わらせられるなんて

そんな歳でも、蓄えも無いのです。



新しい流れを作り、

生きていかなければならない。



生きる事を、本気で考えなければならない。



いつまでも、

妻が亡くなったから…

と、泣き言を言っている人を

よしよし可哀想だね、と

お小遣いをくれる…

そんな社会では無いんですよね。



周りがどんなに勝手な思いを持っていたとしても、

その人達は、理解はしてくれても、

私と、息子が生きていく事に対して、

助けてはくれないんです。

当たり前ですけどね。






舌癌のブログの方も、

この先の辛い話に、なかなか手が進みません…



毎日、手を止める暇も無い程に

妻の付き添い、治療の手伝いをし始めた時期に

話が入っていきますので、



この先の記録が、

あまり正確に残っていないのも、

手が進みにくい理由のひとつです。






この夏、

自分を取り巻くあらゆるものが

変化を始める始まりの時を感じています。



しかし、いくつかの事の終わりと始まりが

今ここにあることは間違いありませんが、

今すぐ、何かが変わるという事は無いでしょう。



今は、妻に関わるいくつかの事に

少しの区切りが訪れ、

気持ちの上での変化、

大切な事への気付き、

今を変えようとする力の蓄え、

そういったものが

漠然とこの瞬間に集まり始めているに過ぎません。



この流れは、大きなうねりとなって

長い期間にまたがる

人生の 折 となるのではないかと

想像しています。



自分がこの変化に戸惑う事なく、

困難に負けず、

ズレることの無い 弧 を描いて

この人生の 折 を曲がりきる事は

出来るのでしょうか…



自分の、本当の力を試される時が

来たのかもしれません…






私が、この思いに至る切っ掛けを受けた

とある、尊敬の念を抱く方のブログを

紹介させて下さい。

(勝手にリンクさせて頂きましたが、同じような境遇で悩む方に、一度は読んでみて頂きたい記事でしたのでご紹介させて下さい。恐れ入りますm(__)m)

however-down.hatenablog.com

■舌癌40 眠れぬ夢、妻の声

2017年2月13日



頸動脈に癒着した癌を取り除く事が出来なかった妻、

結局、口腔低癌が悪化して、

顎下に開いてしまった大きな穴をどうすることも出来ず、



しかし、放置すれば皮膚は腐り、

不浄から始まる真菌…カビの発生などにより

命に関わる問題となってしまうため、



病院では、顎下創部の洗浄をどうやるか、

朝から試行錯誤が始まっていた。






創部は、指2~3本分くらいの穴が空き、

噴火口のような異形を形成し、

周囲の正常組織との境目が

大きく腫れ上がり、硬結する。



その大きさは、子供の握り拳ほどの大きさだ。



右下顎、唇が、

歯医者の麻酔後のように痺れているらしく、

痛みは少ないがうまく動かせない。



前の頚部リンパ節郭清手術時に

首周りの神経も切除していることと、

創部周辺の組織が、

溶けるように剥がれて行っている事、

モルヒネ系の強力な痛み止めを複数使い続けている事など、

それらの影響もあって、

痛みはそれほど感じない、という事に驚いた。



しかし、それが幸いしてか、

顎下に水をかけ、

少しずつガーゼで押さえるように

浸出液がドロッと固まったような部分を

拭いとっていく…

そんな、傷口に塩を塗るような処置も、

一切表情を歪めることなく、

受けることが出来ていた。



これから、この顎下をどう守っていくか、

出来るだけ傷を拡げることなく、

抗癌剤が効いて、縮小し、

あわよくば、

頸動脈の癌も小さくなって活動が弱まれば、

サイバーナイフで頸動脈の癌を焼き切る事も

出来るかもしれないと言っていた。



それが可能なら、

また癌が広がらなければ、

顎切除は伴うが、命を繋ぎ止める事は

出来るかもしれない。

しかし、そのために出来ることは、

抗癌剤が効くことを祈ることくらいしか出来ない。






私は、術後の辛い時間を共に過ごし、

その後も、息子と過ごすために

病院と、妻実家で寝泊まりをしていたが、

明日、月曜日からは日常に帰らなければならない。



もう癌を治す積極的な方法が無い、

と覚悟を決めてから、初めて帰る我が家…

もう、風呂と寝るだけ以外に、この家に帰る意味がない。



洗濯をすませ、無音の寝室で布団に入る。



隣の、呼吸がしやすいようにと



上体を30度くらいに上げてあるベッドに、妻はいない。



このベッドにまた妻が寝られる日は…



ぐっ と胸が締め付けられる。






妻のベッドを見ながら、

妻の着ていた服を見ながら、

静まり返った室内で独り日常が、

非日常に変わっていく瞬間を感じる。



いままで、朝方4時まで

毎日必死に治療法を探し回った日々は終わり、

奇跡を信じる以外に出来ることが無くなった…

自分は、妻を助ける気が無いのか?

という罪悪感に潰され、眠れなくなる…






妻のベッドに、

妻がいつも大事にしていたダッフィーのぬいぐるみを

寝かせてあげた。






ほんの少しだけ、心が落ち着いた。






朝方、夢を見た。

隣のベットで体起こして、

少し微笑んでこっちを見ていた。

触れた感触がわかる夢だった。



病気になる前の妻…

とても綺麗な、2年前の妻が隣りにいた。



場面が飛んで、

今まで一緒に経験してきた事が

回想シーンのように、

うっすらと色が付いた状態で流れていく。



息子もいて、妻は息子をだっこして、

一緒に買い物したりして。



遊びに行ったり、

日常のひと時だったり。



沢山の場面は流れて…



妻の笑顔とは裏腹に、

なにか焦りのような

まだ!まって!

という感情が湧き上がる。



家に妻と息子と3人でいて、

私は息子と遊んでるシーン。

妻は台所に立ってご飯を作ろうとする。



その時、突然台所で倒れてしまって、

息が苦しそうにしてて…

息子を抱えて、寄り添って、



待って!やだよ!



って私は叫ぶんだよ。



息子は私に抱えられたままびっくりして

何も言えず妻を見てる。



妻は、癌なんて無い綺麗な姿なんだけど、

声が出なくて…

私と息子をみて、



ありがとう



って口だけで…






号泣して起きて、

やっぱり隣には妻の代わりのダッフィーしか居なくて…

涙が溢れてきて…



一人で寝れないのは俺の方じゃないか!!(ノ_<。)






この時期、妻の近くにいると本当に落ち着きました…

たとえ病気のこの時であっても、

辛さを消し去ってくれる。

妻が辛い思いをしている事に変わりは無いけれど、

それでも全てを穏やかな空気に包んでくれる、

そんな力が妻にはあるんだって…



そういう事に気付きもせず、

でもどこかでそれを感じながら

毎日を過ごせていた今までの日常。

それがどんなに幸せな事だったのか…

初めてその凄さと、有難みに気付かされました。






2月14日



手術後、首、顎周りの術後状況の治癒が遅く、

気管切開場所に差し込まれたカフ付きカニューレ

異物感、息苦しさ、飲み込みが

思うように出来ない辛さを訴える。



タンのようなものが頻繁に引っ掛かり、

頻繁にむせてしまう。



妻は、タン切りの薬を飲みたい、

今まで飲んでたタン切りの粉薬が貰えなくなった、

少しの粉薬であればトロミ剤で飲むことが出来るのに、

タン切りの薬や、喉の腫れを取る薬などを

処方して貰えず、自分は辛い思いをしているのに…

どうして?

と訴える。



しかし、声が出せないため、

思うようには意志を伝えられない。

タン吸引で、常にナースコールをしなければならない

申し訳なさのような感じもあったんだと思います。



命の掛かった話だから、何も気にしないで!

とは伝えていましたが、

迷惑とか、気遣ってしまうとか、

そういう事を妻はよく気にしていました。






妻の思いを看護師に伝え、

薬を出して貰おうとしましたが…

看護師が私を捕まえて、話を始めます。






実は、飲み薬だと口腔底にあいた穴から

空気も薬も漏れてしまうから、

うまく飲み込めないこと、

その関係で、薬を点滴で入れるように変えたことは

事前にも、事後にもお話をしていました。



ですが、

そのような感じで自身の辛さを訴えたり、

聞いたことを覚えていないような感じがある時は、

必ず看護師に報告をして下さい。



(モルヒネ系の鎮痛剤が効きすぎていたり、

フラッシュ回数が多すぎたりすると、

幻覚症状や、常時ぼんやりとし続けてしまう事があり、

今の状態がそれに近いのかどうか判断が必要になる

のだそうです。)



そして、いずれにしても

本人が説明を聞いた意識が無いのであれは、

もう一度しっかり説明をして、

納得の上で治療を進めた方がいいでしょう、と。



すぐに看護師と一緒に妻の個室へ行き、

事前に私が妻の気持ちを落ち着かせてから

看護師が説明を行い、

必要な薬は全て点滴で入れられている事を伝えると、

妻は、申し訳なさそうに手を合わせ、

看護師に頭を下げました…



いいんだよ、

そんなこと気にしなくて…

みんな、全力で妻の事を支え、

出来る限りの治療、緩和をやってくれている。

心配しなくていいんだよ…






ただ…

私は、なんだか妻が、

今までの妻ではなくなっていってしまうような、

あぁ、こんな事まで起きてきてしまう事態なのか…と、

何も言わずにただ時間が過ぎるのを待っている妻の背中を

さすって上げることしか出来ませんでした。



妻が大好きだったバレンタインデー。

毎年欠かさず買っていたステットラーのチョコは

手術前に買うことが出来ていました。

しかし…

この日、それを楽しむ余裕はありませんでした…

www.chocolaterie-stettler.com






2月15日



今日は早く仕事が終わり、

早めに病院へ行くと、

まだ妻の母が病室におり、

ニコニコしながら迎えてくれた。



なんだ、どうした?

なんかあった?



と聞くと、なんと…






👩「おかえり!」






と声が!



手術後、気管切開をしていたため、

声帯に息が通らずに声が出せずにいた妻でしたが、



喉から気管に通していたカフ付きカニューレ

スピーチカニューレというものに変更した事で、

声が出せるようになっていたのだ。






スピーチカニューレは、

通常のカニューレとしても使えるが、



カニューレの空気の入口に

一方向バルブ という弁が付いており、

空気は吸えるが、そこから吐くことは出来ず、

カニューレの途中にあいた穴から口の方へ 

空気が抜けるようになっているため、

声を出すことが出来る。

f:id:aegis-pilebunker:20190716082803g:plain

※ 画像は、株式会社高研のサイトからお借りしました。






この日、

午前中はカニューレを変更するために、

切開場所から血が出てしまうほど

ストレスが掛かる処置をして大変だったようだが、

夕方にはその辛さも取れて、

喋る事が出来るようになったらしい。

これは嬉しい(゜▽゜*)



喉、鼻に空気が抜けるようになったため、

そのあたりの違和感なども取り除く事ができ、

とても気分がいいって!

良かった!



何かが治った訳では無いけど、

気持ち的にも、凄く大きな前進を感じる!



バルブの関係で空気の吸える量が充分ではなく、

常に深呼吸のようになるため、

喋っていると息が続かず疲れてしまうが、

気持ちを伝えられる事は、

本人にも、周りの人にも、大きな安心感になる。



なによりも、

また妻の声が聞けた(ノ_<。)

それが余りにも嬉しかった…






食事に関しては、

まだ流動食しか食べられず…



しかし、顎下の穴も広がってきており、

食べたものがすぐに穴からジュルジュルと

吹き出してしまうような状況。



普段、人が ゴックン をする時、

口を閉じて ゴックン する訳だが、

この ゴックン の力は非常に強く、

口から胃にかけて、強い圧が掛かる。



この時、口を閉じて、

空間が密閉されているから

(胃の方にだけ逃げ道があるから)

食べ物、飲み物が、胃の方へ流れて行きますが、



その途中に圧の逃げ道があると、

そこから圧が逃げる流れが出来てしまい、

それで、顎下の穴から流動食が吹き出してしまう。

これがもどかしく、

お腹を満たす事が出来ない…






顎下の創部を、

固めてしまうような薬?

も検討しているとのこと。

(詳細は不明)



浸出液が抑えられ、

穴を一時的にでも塞ぐ事が出来れば、

顎下を押さえている大きなガーゼが汚れる事も減り、

一時退院も出来るようになる。



そうすれば、

家に帰る時間も作れるかもしれない、

とのこと。






もう、私の持っている知識、

ネットで調べたにわか知識等では

対処のしようが分からない。



まずは、顎下のガーゼをどう取り替え、

綺麗にしているのか、

看護師の処置の仕方を見て覚える事が、



これからの妻と、

心を通わせるひとつの方法になるのかな…と、

看護師の指先の動き一つ一つを観察し、

そのやり方を覚える事にした。






そんな事を思いながら、

先日の窒息事件以降、

妻のタンの吸引の仕方を覚えられるよう、

何度も繰り返し吸引の処置を行い、



その処置を通して、

妻の うれしい💕 を引き出し、

心を通わせるようになっていった。

■漂流15 三回忌

2019年6月23日



あれから2年、

6月26日は妻の命日。

6月23日に、妻の三回忌を行いました。






今まで法事の事など、実家の方では触れることも無く、

まったく知らなかった私ですが、



妻の御両親にたくさんの事を教わり、

自分でも理解しようと色々調べ、

ようやく何とか、周りには迷惑をかけない程度の

準備、振る舞いも出来るようになってきた気がします。



まだまだ未熟者ではありますが…。






新しい場所での生活、

息子と2人での、ドタバタな毎日も、

1年以上たってようやく流れを掴んで、

少しだけ、今まで出来なかったことをする時間も

出来てきた感じがします。



妻は、私たち家族が生きていくために

必要なこと、大切なことを、

沢山教えてくれました。



それこそ、一生掛かって

ゆっくりと身に付けていく事も…






しかし、

妻は、私たち家族の周りから、

それ以上に大切なものを

もっと沢山、二度と取り戻せない所へ

持って行ってしまいました…






2年前、

余りにも多くの事がいっぺんに起き、

人生に余りにも大きな影響を受け、

やらなければならないことが多すぎて、

気付いていなかった事も沢山あったんでしょうね。



今、2年が経過して、

妻がいなくなってしまった大きな影響を、

余りに大きすぎて、

避けることも、受け止めきる事も出来ずに、

ただ押しつぶされるように

私の人生に覆い被さってきているように感じます…






2019年6月26日



妻の命日にたくさんのお花が妻の元に届きました。

f:id:aegis-pilebunker:20190627200306j:plain



覚えていてくれる、という事が、

妻が生きて、どれだけ人に慕われていたか、

という証なんだと思うと、本当にありがたい事です。



妻の事を、

花やみんなの想いという形でしか、

感じたり、慰めるものがないという事が

あまりに切なくて…



そんなこと言ったってしょうがないのは

一番自分が分かっているんですが、

それで割り切って前を向くというのは、

未だに難しいです。



たとえ息子と2人の生活が

ある程度軌道に乗っているとしても、

全てに納得して、

割り切ってやっていることではないので…



当事者として、

一生で一番苦しく辛い死を

受け入れるしかなかった妻の辛さは計り知れず、

皆その妻の辛さは全身で感じている事かと思います。



ですが、

その一生を目の当たりにして、

自らの手で妻の最後の願い、



二度と起こさないで…それが私の願い…



という約束を守り、

残されてしまった自分と息子の永遠の苦しみ、

不幸に対しては、

きっと誰一人として理解が及ぶ人はいないんだろうな、

と三回忌の時に改めて感じた事でもあります。



集まって頂いた皆さんの事を悪く言っている訳ではなく、

その思いは絶対に当事者にしかわからないもの…

ということです。



こればかりは誰にも解決出来ないことで、

どうしたらいい、

なんて何も言えないことですが、

助けてあげられなかった情けない自分の本心は

今でもその状態のまま止まってしまっていて、

ここから抜け出すことが出来ないだけでなく、

抜け出すこと自体が罪深いことのように感じてしまい、

心の身動きが取れず、苦しさが無くなりません。






どんなに夢物語のような事を言っても、

妻はもう帰ってきません。






いつ、なんとき、家に帰ったら



👩久しぶり!ちょっと戻ってきてみた(笑)



って、家に居たりしないのかな…って、

思ったことは多々あります。



でも、そこで思い起こすのは

3年以上前、4年近く前の妻の姿です。

元気だった頃の妻の姿。



白いベッドの上で、

3本、4本の管に繋がれて、

ただ、骨に皮が被ってるだけのように

痩せてしまった2年前の妻の姿ではありません。



本当は、ちゃんと歳を重ねて、

41になった妻の姿が、そこにあって欲しいのに…







思い出される笑顔も、愛嬌も、



息子と戯れる姿も、



もう全ては遥か昔の話。






妻が亡くなってからは2年かもしれませんが、

私にとっては、

妻が、妻らしくいられなかったこの4年間が、

日常ではない日々として、

鮮明に記憶に刻まれています。



そして、

未来永劫、この十字架を背負って

生きていかなければならないという

果てしない、救いの無い世界に

真正面から対峙しなければなりません。

f:id:aegis-pilebunker:20190627202945j:plain




ただ、居なくなってしまった、



もう会えない、



なんて生易しいものではなく、



これからの半生、



誰とも心通わせる事叶わず、



楽しい時も、



辛い時も、



病める時も、



挑戦する時も…



ただ独り虚無のように



ただ生きてしまっているだけ…






そこに1点の彩りがあるとすれば、



息子の成長を遠くから見守れるような



そんな生活が出来るようになる事だけが、



唯一の希望と思って、



息子を、世の中で活躍出来る人にする



という目標を掲げて生きている事だけが



今の生きる目標になっています。






この彩りの無い世界からは、



自力で抜け出せる気がしない…



どうすればここから出られるのか、



知っている方はいますか…?

■舌癌39 恐怖

2017年2月12日(日曜日)



頸動脈に癒着した癌を切除出来ずに、

手術継続不可で傷を閉じて、

撤退するしかなかった手術日から4日目。



私は、前回記事にもあるとおり、

仕事にも行きつつ、

夜は病院に寝泊まりして妻に付き添い、

術後の辛さを介抱していました。



ようやく自力で起きて、

トイレなどにも行けるようになり、

体を起こしてゼリーなどを食べることが出来たり、



呼吸を確保するための気管切開や、

そこに挿入されたカニューレ

また、それに伴うタンや血の滲み等による咳き込み時の

タン吸引などにも慣れてきて、

術後3日目くらいで経過が落ち着いてきた。



妻からも、



👩息子と遊んであげて。

 普段うちの実家でじじばばとしか居ないから、

 土日になると、おとーさん、おとーさん!って

 遊びたくてしょうがないんだよ。

 年パスあげたんだから、

 日曜はディズニーでも行ってきなよ(*^_^*)



と。






ということで、

2月11日(土)の夜は、妻から離れ、

息子の暮らす妻の実家へ。



久しぶりに一緒に過ごす息子は興奮気味で、

私のスマホを奪い取って、なぜか自撮りしまくる(笑)

カメラを使うのが楽しくて仕方ないらしく、

80枚くらい至近距離で自撮りをしまくっていたが、

顔すらちゃんと写ってないクソ写真ばかり(ーー;



妻はそんな息子(もマトモに写ってない)

の写真を見て笑ってくれた(*´ω`*)



私は、興奮する息子をなだめ、

一緒に風呂に入り、

自転車の練習をした事なんかを話しながら就寝。



そして12日(日)は、

息子と2人でディズニーランドへ。






また、妻も一緒にいる気分を味わえるように、

ディズニーランドから息子の様子や、

まだ妻も見たことがないパレードの動画を送る…



息子と2人でディズニーで遊んでいる様子を

Lineで伝えると、妻も良く返事を返してくれて、

言葉が弾んでいるのがわかった。






あれだけディズニー好きで、

ほぼ全てのショーを公開と同時に、

もしくは、公開前のスニークで鑑賞してくる妻よりも先に

私が見に行く日が来るなんて、考えもしなかった。

f:id:aegis-pilebunker:20190607171041j:plain



この時は、アナとエルサのフローズンファンタジー

が公開された初年度。

まだ妻も見たことがないショー…



写真、動画を送ると、

ショー楽しそうだね!

と、自分が見たことないパレードに興味津々。



パークにもスノーギースいっぱい!

※ 下記二枚の写真は公式サイトよりお借りしました。

f:id:aegis-pilebunker:20190607171644j:plain
f:id:aegis-pilebunker:20190607171700j:plain



息子も、スノーギースまんを

かわいぃ~💕

とかじりつくも…

f:id:aegis-pilebunker:20190607171902j:plain

それぞれのパーツに違う具が入っていて、

アンコ的中!

f:id:aegis-pilebunker:20190607172457j:plain



👦ボクあんこ嫌いなのに~💦



本当は、紫いもクリーム(笑)

食べられず出していましたf(^_^;

他の、ミートソース、サーモンクリーム、

ストロベリークリームは美味しそうに食べてました(*^_^*)



この日は、イッツ・ア・スモールワールド

大規模リニューアル工事中で、

こんなの配っていました。

珍しかったので、後で妻に持っていってあげました。

f:id:aegis-pilebunker:20190607173020j:plain

f:id:aegis-pilebunker:20190607173035j:plain

一緒に見に行きたかったな…






息子は、いくつかの乗り物で、

膝の上に座りたいとせがんでくる。



私は、子供を膝に乗せたまま

アトラクションには乗れないと思っていたから、

息子を一人で座るよう下ろそうとするが…



息子は、

違う違う!膝の上で!そっちの端に座って!

と言ってくる。



直感的に思った。

妻が、子供を膝に乗せていいアトラクションを知っていて、

息子を膝に乗せて、

一番見やすい位置に座るようにしていたんだと。






息子は全てを覚えている…



お母さんと二人でディズニーに行って、

お母さんの膝に座れていたのは、病気になる前。

今から2年も前、

3歳半ばの頃までだ。



その後、妻を車イスに乗せて一緒にディズニーに行き、

遊んだ事は数回あれど、

その時、息子はアトラクションに乗る時に

何も言わずに一人で座っていた。






おかあさんは、

ボクをだっこしてくれるチカラがないから、

びょうきがいたいから、

おかあさんにはギューしちゃダメだよって

言われていたから…






車椅子で妻を連れて、

家族3人でアトラクションに乗る時も、

妻の膝の上には当然座ろうとしなかったが、

同時に、

私の膝の上にも、絶対に座ろうとはしなかった。



これは息子の、

妻に対する精一杯の思いやりだったのかもしれない。






程なく遊び、妻実家に帰る。



妻を見てくれていた妻の両親から、

今日は気道に痰が絡み辛そうだった、と聞く。



ディズニー帰りで夜も遅かったが、

辛かった、と言っている妻に会いに行くために、

夜、病院へ。






妻は、術後から変わらず、

ベッドの上半身を45度くらいに起こして、

私に気付いて手を振ってくれた。



術後、ベッドが水平に近いと

首に掛かる負担が大きく、

身動きが取りにくく、

首も締まって息が苦しく、

タンでむせやすくもなるという事で、

起きている時も、寝ている時も

常にこの姿勢で過ごしていた。



気管切開により声が出せないため、

筆談で話をする。



今日あった、苦しかった事というのは…



気管にタンが落ち、

急に息が吸えなくなり、

咳き込みも止まらず、

ナースコールをした時のこと。



すぐ駆けつけたナースは、

普段あまり身辺関係の世話をしてくれない

事務仕事ばかりしているナースだったようで、

その場で対応をしてくれず、

他のナースを呼びに行ったらしい。



しかし、妻は呼吸が出来ず、必死の状況で、

その時に吸引をして欲しかったが…

そのナースは、

危機感も無さそうな、急ぐ素振りも見せず、



他のナースを呼んできますね。



とだけ伝え、ナースコールを消し、

戻ってしまったという。



妻の母、つまり義母が居合わせたが、

看護師の代わりに吸引を行うことも出来ず、

他の看護師がすぐ来るのか部屋の外を見たが、

すぐ来る気配は無く、

裏では、窒息状態の妻…!!



義母はフロアに響く大声で叫んだそうです。






助けてください!誰か来て!

息が出来ない!早く来て!!





何人かの看護師が

他の部屋から飛び出してきて、

その中の、妻を一番見てくれている看護師が

駆け込んできてくれて、






ちょっと苦しいよ!頑張って!






と言いながら、

吸引器を強く動かし、

気道深くまでカテーテルを突っ込んで

タンを吸引してくれたそうだ。





ようやく呼吸を取り戻した妻は、

ボロボロ涙をこぼし、

何度も深く呼吸をして、

その看護師にすがりついた。



本人の感覚の話だが、

2分、3分は呼吸が出来なかったと思う、と。

吸うとタンを吸い込んで、反射で咳き込むが、

咳を出す空気が肺に無く、

溺れたような感じになり、

全身が痺れ、意識を失いかけたらしい。



死ぬ!



本気でそう思った。






夜、回診に来た先生に、

筆談で、とても強く訴えたらしい。

息が出来ず死にそうになったと。

ナースコールをしても、

来てくれた人は対応してくれず、

こっちは死にそうな思いをしているのに!






不安な気持ちが溢れたんだと思います。

ある意味、余命宣告されたようなところに

それでも生きようと、立ち向かおうと

気持ちを奮い立たせるときに、

こんな仕打ちを受ければ誰でも当たり前だ。



看護師全体が悪い訳では無い。

後日、よく見てくれる看護師に聞いたが、

その“塩対応”をした看護師は、

別に事務専任という訳ではなく、

他の看護師と立場は変わらないが、

以前からそういう働きぶりなんだそうだ。

命を預かる現場の意識としては

あきれるばかりの態度だが…

他の看護師が、



ごめんなさい。

二度とこういう事が起きないようにします。

怖い思いをさせてしまってすみませんでしたm(__)m



と頭を下げに来てくれた。

塩対応看護師の代わりに…



それ以上は事を荒立てなかったが、

その看護師だけはイヤ!

と、私たちの不安感は無くならなかった。






これは後日の事だが、

看護師にタン吸引をして貰っている時、

苦しいのでは無く、

何が恐怖を感じているような表情をしていて、



話を聞くと、

あれから、タン吸引が怖くてしょうがない

また窒息するんじゃないかって…

癌で死ぬより、窒息で死ぬほうが怖い!

と…



私は看護師に言いました。






🧑それ、自分がやることも出来ますか?

 医療行為だからやってもいい事だとは

 思っていませんが、

 もし出来ることなら、看護師さんだって

 常に付きっきりな訳では無いし、

 他にも手が必要な患者さんもいる訳だし、

 自分が出来るようになることで、

 妻の不安を少しでも無くしてあげたいから…
 





妻は目を丸くして、

そう!それがいい!

という顔。



結局、

本当は医療行為だから、という前置きはあったが、

旦那様なら出来るんじゃないかな?

という話になり、






🧑じゃあ、無理せず、深追いせず、

 苦しくなる前にナースコールするようにするので、

 少し出来るようにしていってみます。

 ありがとうございます。






と、吸引の仕事は任せてくれることになった。



後に、妻を見てくれていた

看護師リーダーさんがいる目の前でも、

吸引だけは私がいい、と妻が言うようになり、

看護のプロの目の前でも、吸引は

私がやることを認めてくれるようになっていきます。

(最終的には、注射や、点滴を除く、身辺介護の殆どを私がやるようになっていきますが。)






話は戻って、

窒息事件があったその日の夜。






自分は1度家に帰ったが、

家に着いてすぐ、21時過ぎ頃に

妻からLINEが入ります。






👩一人だと不安になる!ずっと一緒にいて欲しい…!






窒息しかけた事が、相当に恐怖だったんだと思います。

ただでさえ、呼吸も普段とは違い、

口からは息が吸えず、

喉に開けられた穴から呼吸をする。

酸素の流入量も、きっと普通の呼吸とは違う筈。






この不安な気持ちを今受け止めずに、

いつ受け止められるのか。



不安や、助けを求める声は、

今、恐怖や孤独、絶望感を感じているからこそ

相手の都合を顧みずに訴えてくるのだから。



妻は今、初めて本当の死の恐怖と対峙し、

一人押しつぶされそうな不安のなか、

病院の個室で一人でいる。



不安を感じないようにしてあげるだけでも、

辛さ、痛みは和らぐ。

焦り、焦燥感が薄れれば気持ちも落ち着く。

今、少しでも妻の辛さを取り除いてあげる事は、

私の一番の願い。



たとえ、自分の予定がどうであろうが、

また明日行くよ。

などと言おうものなら、

妻を、恐怖と絶望と孤独感の深淵に

叩き落とすことになるだろう。



自分には、そんなことは出来ない。



明日は仕事を休み、今晩から1日側にいて話をしよう…。



すぐに病院へ連絡し、

妻からのSOSがあった事を連絡。

急で悪いが、今から病院へ行き、

まずは1日、今晩付き添いをさせて欲しいと

無理を押してお願いする。



許可を頂き、

1泊分の荷物準備をして、

今帰ってきた道をまた病院へと戻る。



妻は、先程と変わらずベッドにいて、

来てくれた!ありがとう!

という表情で私を迎えてくれた。



どんなに怖い思いをしたとしても、

安心出来る人が近くにいれば、

不安感など一瞬で吹き飛ぶ気持ちは

私もよく理解出来る。






夜も11時になろうとする深夜。



今夜は、



出来る限り妻の不安を取り除けるよう、



寄り添い、手を取り、話しかける。



時に笑い話を、



時に21年間の思い出を…

■ADHD17 2年 運動会

2019年5月



2年生、

特別支援学級に入ってから2ヶ月が経ちます。



息子の状況としては、

1年前と比較したら雲泥の差と言えるほど

安定した状態になっています。



感情的な言動や、

手が出る行動、

寝転がって何もしない、

逃げ回る、

といった行動がとても少なくなりました。






決して落ち着いてはいませんので、

すぐ興奮して、嫌だと言われることをしてしまう、

しつこい、

声、アクションが大きくなる、

周りは一切気にしない、

言われたことを直ぐには聞けない、

遊び道具を取り合い、奪いとる、

行動の切り替えが超困難(自分でも困っている風)

といったところは、まだまだ強く持っています。



勢いで行動してしまうことはありますが、

話し合いで解決出来ることも増えてきました。



一時期、わざと悪いことをして、

それを注意された時に、



じゃあ止めるから、XXXしてよ。



と、要求してくるような行動が出ましたが、

自分から悪いことして、それをやめる代わりに

何かを得ようとするのは、



絶対に話聞かないからな!

そんな悪いことするなら、

お父さんは一切おまえの言うことは聞かない!



と、その行動だけは断固として拒否、

事の悪さによってはここまで強く言われることもある、

という事を経験してもらう為に、

1分間くらいだけブチ切れ、

やめた瞬間に、元通り楽しくやる(笑)

これを繰り返したら、



あー、はいはい、わかってるよ。

もうしないよ。



と、スムーズな妥協に繋がるようになってくれました。







少し横道に逸れますが、



まぁ…このやり方も、

相手の理解の深さとか、

考えの浅はかさとか、

聞こうとする態度、

どこまで試そうとしているか、

怒りの感情を感じ取るのではなくて、

言葉を聞こうとしてくれているか、

など、

物凄く状況を分析してやってる事ですので、

誰でもブチ切れれば言うこと聞く、

という事では無いので注意が必要です。

当然ながらブチ切れも演技ですしね。






発達の対応は、

こういったその場の状況を常に考えて、

即座に分析してやるべき事を決める、

というスピード感と、

当たりの強さ、程度を適切にコントロールする、

絶対感情的にならない、

などの冷静な判断が必要です。



ちなみに、絶対にやってはいけないのが、

解決方法は何?

どうすればこの行動を改善出来るの?

と、短絡的に人から聞こうとする事だと思います。

子供に対してやってはいけないこと、ということより、

親や大人の意識としてやってはいけないこと

として。



そんなものは誰にもわからない、医者にもわからない、

今この瞬間のやり取りでは解決出来ない、

善悪の判断だけでは行動は改善されない…



まずはそこを理解するのが先。



その上で、

障害に対する知識と、

本人の理解と、

周囲への理解と、

環境に対する判断と、

今起きている事への多方面からの状況把握をして、

更に、

1発解決を決して目指さず、

段階的に、しかし、1つずつ確実に、

その問題に関わる全員(本人、友達、先生、大人も)

に対して、

それぞれがどうしていけばより良い状態になるか?

を、しっかりと言い聞かせ、理解してもらう。

という対応が必要です。



まず、頭でやり方を決めてしまおうとする人には、

シビアな言い方かもしれませんが、

間違いなく発達障害の子への適切な対応は

出来ないでしょうね。



躾や指導の方向性は決める必要があります。

でも、

やり方、言い方は決めてはいけない。



これ、短絡的な考えを持つ人には

絶対にわからないです。

言葉の意味は理解出来ても、行動出来ないですね。



そういう大人が近くにいるとき、

息子の行動は相当に荒れました。

そして、

そういう人は、こちらからの話、申し出に対しても、

じゃあどうすればいいんですか!?

と言うばかりで、理解を示さない。



ある種の、正義感いじめみたいなもので、

話にならない事が殆どです。



正論を並べる事しか出来ない人、

考えているとは言いながら事実からは目を背ける人、

大事な1点に集中していると勘違いしている人…

こんな人は、“多数の普通の子” に忖度しすぎて、



普通はこうじゃないと駄目ですよね?

どの子も、そういう風に出来るようにならないと

駄目ですよね?

みんなに同じように接して、同じルールを守らせないと

不公平じゃないですか!



と、ちゃんと出来ている子の頑張りを評価しようとする。

評価をする事は悪くないんですが、

その、出来ている子の頑張りや成長と

同じ成長度合いの枠にはまらない子は、

出来ない子

として叱りつけ、躾だと言います。



しかし、何らかの生まれ持った特性により、

その 普通の成長 から外れてしまい、

どうしても成長が凸凹してしまう子が、

発達障害だと診断されますので、

そういう子は枠から外れてしまうことは前提なんです。



しかし、そういう子を爪弾きにして、

放ったらかしにしてしまえば、

将来、必ず本人だけでなく、

家族だけでもなく、

周囲にまで迷惑が掛かる人になってしまう。



迷惑だからあっちいけ!



という後回しは、

巡り巡って、社会全体の問題として

必ずツケが回ってきます。

登戸の通り魔事件のようにね…



どうやったって、

自分には関係ない、にはならない世の中なんですよ。



なかには、親が見放す不幸なケースもあると思います。

登戸の犯人も、そういう境遇だったのでは、

と報道されているようですね。



でも、障害を持つ子の親は、

大半は死にものぐるいで

しっかり生きていける子にしなければ!

と、人生の全てを投げ打って

対応をしていると思いますよ。



なら、親が全部面倒みろ!

よそ様に任せるな!

そんな極論を言う人がゴマンと溢れている最近ですが、



ベストを尽くそうとする結果、

その辺はバランスが必要になるのです。



色々な、気を許せない人との関わりの中でしか

喧嘩をするような子もいる中でしか

得られないスキルというものもあるのです。

常に家にいるという引きこもり予備軍にしない為の

対策が大いに必要になるのです。






その中で、どうすればこの子は

スムーズに 普通 の枠の中に入ってくれるか、

その子に合わせた成長を、

家族を中心に、

関係する社会全体で促していくのが、

発達障害に対する対応の仕方になるんです。



今すぐには言うことが聞ける子ではないかもしれない。

でも、数年後には、枠に納まっているように

数年のスパンで対策を行って、

将来、自立した生活が出来るようにする事が、

発達障害に対する適切な指導なんだと、

私は思います。






だいぶ横道に逸れましたがf(^_^;

話を戻しましょう。









その後の学校での行動は、

不要な刺激、挑発、自らのちょっかい出しが少なく済む

という部分で、特別支援学級の良さがよく出ていて、

決して真面目にはやっていない気がしますが╭(๐_๐;)╮

集中して活動出来る状況のようです。



また、同じ学年の以前から仲良くしていた子が、

同じく特別支援学級にいるという事も

相当関係しているでしょう。



その子も、凸凹に苦労している男の子なんですが、

うちの子とはまったく違い、

とてもオットリしていて、優しい子なんですよね。

うちのは、周りの子の影響を受けやすいので、

活発な子がいれば、更に活発になりますが、

穏やかな子がいれば、態度が優しくなります。



この子との関係が、とても良いんじゃないかな

と感じます。

相手の子も、うちの子のハチャメチャぶりに、

ちょっと明るくなったかも(笑)

なんて話を聞きました。



お互い、上手く刺激しあって、

共に成長していける関係になれたらいいなぁ

と思います。



ちなみに、1年の秋以降、

薬関係は一切服用していません。






先日、運動会がありました。



特別支援学級の子は、

交流クラスが決まっていて、

そちらのクラスに入って参加する事になりますが、

支援学級の先生が常に見ていてくれます。



うちのも、どちらかと言えば

どちらか、なんて言えないくらいの問題児なので、

もちろん先生が付くのですが…



あれ?

うちのこどこ?



なかなか見つけられない。



先生もいない。



去年は、しゃがんでずっと砂弄りしてるのを見つければ

すぐに何処にいるのか分かったのに。



目立たなくなってる…



そう、普通のクラスにいても、

目立たなくなっているんですよ。



最初から最後まで、

問題行動や、先生方が何とかするという出動もなく、

楽しそうにやってるんですよね。



これには結構びっくりしました。






まあ、元々

嫌だ、やりたくない、行きたくない、

というタイプではなく、



学校行きたい!学童行きたい!

やってみたい!一緒にやりたい!

みんな友達!無視されても嫌がられても友達!

なんで嫌がるの!@$♪¥&♡#☆♂〆ウワァッ~!!

というタイプなんで、



やる気になったことは

めっちゃやってくれます(笑)

面倒臭い事には、切り替えが出来ないのをいいことに

自分からはなかなかやってくれませんが(ーー;



運動神経も、

学年でトップ集団に入るくらいな感じなので、

走るのも速いし、

持久力もあるし、

なわとびなんかも、1年生にして

はやぶさ、後ろ二重、ゼロセンなんて、

回数こそ続きませんが、

数日の練習でヒョイヒョイ出来るようになってました。



でも、おバカなので、

チームプレイは出来ないし、

リレーとか信用度0で選手になれないし、

ドッヂボールは後ろに玉投げるしwww

イノシシか、クレヨンしんちゃんか!?

って感じですからね٩(๑•ㅂ•)۶



運動会の50m走も、

スタートから、ゴールまで、

ずっと横向いて走ってましたね(笑)

本気で走るみんなを見ながら、

追いつかれそうになったらちょっと走る、みたいなww

本気で走れよドルァァッ( ゚Д゚)┌┛Σ( ゚∀゚)・∵



ダンスも、大玉転がしも、

めっちゃ笑顔で、全力でやってました(*´ω`*)

かわいいんだよねぇ~

f:id:aegis-pilebunker:20190530082819j:plain



お昼のお弁当には、

素麺とフルーツを山盛り持って行って、

流しそうめんマシンを持って行ってwww

f:id:aegis-pilebunker:20190530083338j:plain



全部食ってくれました!

去年は普通のお弁当作ったら

フルーツ以外何も食べなかったのでil||li_| ̄|○ il||li



持っていく荷物は大変でしたけどね…



素麺、フルーツは当然ながら、

流しそうめんマシン、水2リットル、素麺つゆ、

継ぎ足し用のお茶、自分の飲み物、保冷剤たくさん、

一眼カメラ、ズームレンズ、広角レンズ、

敷物、そして撮影用の3段脚立…

もちろん車ではいけませんよね。

ぜーんぶ1人で、歩きで、

手で持っていきましたよι(`ロ´)ノシャーッ






今年の運動会は、楽しい運動会でした!

息子の成長もしっかり見られて、

沢山の子の、いい笑顔、本気の姿を見れました!






これからも、

やるべきことをやって、

母親がいなくなってしまった悲しみなんて

感じることがないくらいに毎日をちゃんと過ごして、

この子が、しっかりと社会の一員として

活躍していけるよう、

見守っていきたいと思います!

■舌癌38 奇跡を起こさなきゃならないんだよ…!

2017年2月9日



前日の、

舌、及び、右下顎摘出と、

左右頚部の癌転移リンパ切除の手術で、

左頚部の癌が頸動脈に癒着していて、

切除手術自体が行えなかったその後、



私は、ICUに入ることが許され、

昼過ぎ頃から、翌日の朝方まで、

けたたましく警告音が鳴り響く、朝も夜も無い空間で

妻と一晩を過ごした。






首の両側を切っており、

可能な限りの転移リンパを切除しているため、

術後のダメージはそれなりに大きい。



気管切開も行っており、

首と、肋骨上部との間あたりに

穴を開けて、カニューレが差し込まれ、

首に固定されている。



気管切開した場所は、

初めは、血が滲んだり、唾などの水分が

喉に落ちてくるため、

それを出そうとする反射で、

エホン、エホン、と頻繁にむせる。

その度に、気管吸引用のカテーテルを差し込み、

吸引器で吸う。

気管の奥までストローのような管を入れられ、

バキュームで吸われるため、

その度に、苦しい思いをする。






そんな状態で、約18時間。

介抱を続け、後半は少しだけ眠る事も出来るようになり、

2月9日の朝を迎えた。






10時45分

一般病棟個室に移る。






辛さは同じく続いているが、

タンや血でむせて、吸引を繰り返すのはだいぶ落ち着いた。

しかし、3箇所の首周りの切除部が痛い。



まだ、身の起きどころが無い感じで、

頻繁に体を横にしたり、仰向けになったり、

その度に、自力では無理なため、

頭、首の裏側全体を支えるようにして、

体の向きを変えるのを手伝う。






これ、

こんな風に面倒を見れる人がいなかったら、

毎回看護師にお願い出来る回数じゃないし、

そこまで優しくはやって貰えない。

もし、一人になってしまって、

誰も看病してくれる人がいなかったら

どれだけ辛いだろう…



将来、寄り添うひとがいなければ、

必ずそういう時が訪れる。

きっと自分がそうなったら

それはとても辛く、悲しい思いをするだろうな。



だからこそ、

今、寄り添える時に、

少しでも苦しくない生をまっとうするために、

出来ることは全てやってあげたい。

一生を共にする、

いかなる時も相手を思い、助ける事を

約束したのだから…






朝食は、横になったまま

ゼリーをシリンジ(注射器本体)で口に運ぶ事が出来た。



昼は、ベッドを起こせば身を起こしていられたので、

プリン、フローズンヨーグルトを。



食べられる、

という所を見るだけで、

張り詰めていた気持ちが和らぐ。






病院から、夕飯と、明日以降の食事について

相談があったが、

この病院の食事対応は、少々配慮が足りない、

また、動きが遅いと感じる。



用意された食事は普通の食事。



口腔内の手術は今回はしなかった。

しかし、口腔低に穴はあいており、

食べることに対して非常に気も使うし、

普通に食事が出来る、という状態ではない。

しかも術後すぐ。



もう少し食べやすいものに変更して欲しい。

そう伝えて、実際にそれが反映されるのは

翌々日の朝食くらいから。

5~7食後くらいまで待たないと変更されない。

それまでは、食べられない食事をただ出される。



🧑さすがにこれじゃ食べられない。

 せめて嚥下食とか、ミキサー食とか、

 食べられるかどうか様子を見る食事にしてほしい。



食べたくて、食べたくて仕方がない人に、

食べられない食事を出し、

食べられずに悔し涙を流しながら食事を下げる患者に、



「食べないと栄養取れないですよー、

カロリーも計算して出していますから、

しっかり食べて栄養つけないと!」



って…



🧑カロリーって言ったって、

 食べられなきゃ意味無いですよね?

 変更をお願いして、すぐに食事が変わるなら

 何も気にしませんが、

 変更されるまで時間かかりますよね?

 なら、それを踏まえて相談なりしてくれないと…

 食べられないのも悔しいし、

 食べずに捨てるのも勿体ない。

 さすがにもう少し配慮が欲しいです!



食べられない妻の目の前で言われた

配慮のない言葉。



自分も感情的になっていたと思います。

でも、とても悔しかった。

妻の一番の願い、食べて元気になる!

それが出来ない悔しさを、

こんなにも理不尽な言われ方で踏みにじられた事が。






食事は大事な治療のひとつ。



後にわかった事ですが、

普段自分たちが口から食べているものの栄養、

また、それを胃や腸で吸収する力、

それを全身のエネルギー、再生力とする仕組みは、

本当にすごい能力だと感じます。

ほんの少しの食事でも、

多量の高カロリー点滴なんかより

遥かに大きなエネルギーを摂取出来る。



生きるって、食べることなんだ!

と、改めて強く思ったのは、

この時から数ヶ月後の事でした。






また、2月9日~12日まで、

夜間も病室で付き添い出来るよう許可を貰った。



急なお願いだったため、簡易ベッドの用意は

出来なかったようだが、

そんなことは承知の上。



妻が、自力で体を動かせるようになるまで一緒にいて、

看護師にはなかなか言えないワガママを

私が聞いてやりたい。



そして、

これからの事もしっかりと話していきたい。






夜、

妻の両親に看病を頼み、

自分は風呂に入るため一旦帰宅。

病院泊まりの準備をして、すぐに病院に戻る。



病院から仕事へ行き来するため、

明日の仕事着を着て、仕事道具を全て持って、

私服スニーカーも持って病院へ向かう。

明日食べる朝食も買っていった。



病院に着いたのは夜11時をまわっていた。



妻は既に寝ていて、

私も、スーツから私服に着替え、

スーツをハンガーに掛けて、

パイプ椅子にもたれかかり、

しばらく妻の寝顔を見ていた。



苦しそうな顔をしていなかったのが、

せめてもの救いだった。






2月10日



昨晩は、手術直後のような

寝ることも出来ないような状況からはだいぶ改善し、

落ち着いて寝ることが出来ていたが、

まだまだ痛みはあり、

体を動かしたい時には介助が必要。



夜、目が覚めてしまい寝れない時に、

改めて、手術の結果や、今とこれからの状況を話した。



私が決断した未来には、

妻も それでいいよ👍

と手を握ってくれた…






その後、

首に付けられたカニューレのフィルターから

寝息を立てて眠り始めた妻の横で、

パイプ椅子に座り、

手術の事や、これからの治療方針、

先生に聞きたいこと等をスマホにメモをしながら、

朝を迎えた。



朝、7時30分には病院を出ないと

仕事に間に合わないため、

6時頃から買ってきた朝食を食べ、

持ってきたスーツに着替えて、

妻に、 行ってくるね  と、

おでこに手を当てて、

7時過ぎにバタバタと動き始める病棟を後にする。

睡眠時間は…1時間くらいか。



日中、

妻は自力で歩き、

椅子に座って食事をしたという。



トイレにも行き、

オシッコの管も抜けたらしい。



この驚異の回復力と強運で、

抗癌剤による化学療法が効き、

またディズニーに行ける日が来ると、

またあの、あどけない笑顔が見れる日が来ると願って…






私は、また

仕事後一旦家に帰り、

1時間で風呂と洗濯を済ませ、

翌日のスーツを着て、病院へ向かう。



洗濯を日々しないと、

仕事に着ていくシャツや下着も無くなってしまうので…



私服は病院においてあるので、

病院に着いたら、明日の仕事着から私服に着替える。



食事も、病院に着いてから食べる。



そうしないと、妻が起きていられる時間に

病院に着けないから…






仕事と、看病と、

深夜の付き添いで、

寝る時間など無い。



本当ならずっと付き添ってやりたいが、

仕事を辞めたら生活が成り立たない。

妻の治療を続けることも出来なくなる。

息子の生活、将来も巻き添えだ。



休む?

いつまで?



仕事と、闘病と、生活と、

これを全て並び立たせて

毎日を回していくのは、

相当な協力と、理解してくれる人、職場が無ければ

無理だ。



その無理を、

自らの持てる力の全てを超えて、押し通す。






大切な人を守るために、

大切な人から離れて仕事を続けなければならない。

そうしなければ、

大切な人を守ることが出来ないという矛盾。



一言で言うのは簡単だが、

実際にこの状況になった時、

そのやりようの無さに、

想いとは真逆をやらなければならない現実に

絶望する。



仕事が大変、

看病が大変、

そういうことを理解してくれる人はいるが、

本人にしかわからない絶望を理解出来る人は、

絶対にいない。






私も、仕事も生活も目一杯だが、

目一杯を超えて生きている妻に比べれば、

こんなもの、なんて事はない。



今帰ってきた自宅への夜道を、

もう一度スーツを着て駅へ向かう。



家になんていられない。

風呂、洗濯の問題が無ければ、

もう、家に帰る必要もない。






🧑奇跡を起こさなきゃならないんだよ…!






鼓舞するように自分に言い聞かせる。



もう、奇跡でも起きない限り、

妻の回復はありえない。



治る治療は存在しない…



抗癌剤が劇的に効くことはある。

しかし、それだって奇跡的な事だ。

通常は、多少の延命効果や、

進行を和らげることが出来るかどうか、

その程度の効果しか見込めない。



現在の治療技術では、

切るか、

放射線を当ててDNAを破壊するか、

根治を確立出来ている治療はこのあたりしかない。



それが出来ない以上、

治療法は  無い。






妻の命は、



もう、奇跡以外に治療法が無い…






奇跡の起こし方は…わからない。











それがどうした…!!











やるしかないんだよ!!









2月11日



病院付き添い2日目。



起き上がる事、

可能な限り食べることなど、

意欲的に行う。



意外にも回復が早くて驚いた。



癌ではない場所は、

これだけ早く回復し、日常を取り戻していく。



癌さえ取り除く事が出来たら…






妻の様子を、妻を支える仲間に報告する。



🧑おはようございます。

 妻は、自力で体を動かせるようになり、

 痰吸引なども間隔が長くなってきたので、

 よく眠れるようになりました。

 今日は自分の出番も殆ど無く、一緒に寝てました。

 椅子でf(^_^;



何か行動するとき、

先に痛み止をフラッシュしてから行うなど、

コツも掴み始めたので、

何とか一人でも頑張って行けそうだ。






息子が、

お父さんと遊びたい遊びたい!

と暴れ回っているらしいので、

昼から息子を連れて、病院横の交通公園で

自転車の練習をさせにいく。



👦絶対離さないでよ!!!



🧑そんなこと言ったって、

 無理に決まってんだろー!



ストライダーに乗っていた息子は

いとも簡単に補助輪無しの自転車に乗り始め、

猛スピードで加速していく…が、

性格同様、ブレーキってものを知らないので、

そのまま突っ込む、ぶっ倒れる、

その度に、

離すなって言っただろーっ!

と無茶を言う。

息子は体中アザだらけ。



怒ったり、

笑ったり、

中腰で自転車支えながら

何百メートルも走り、

自分も腰がガタガタになりながら、

もーほんと勘弁してくれーっ(#`皿´)💢

とウンザリしながらも、

ハチャメチャな息子を見ながら

幸せな時間を過ごす。






ここに足りないのは…

妻の、お母さんの笑顔だけだ…!!






何がなんでも、妻の笑顔を取り戻したい!



家族の幸せを取り戻したい!!






昨夜、

妻の介助もほとんど必要なかった事から、

夜間の付き添いは一旦終わりにした。



側にいてやりたい、という想いも、

相当な理由がない限り、

病院からしてみれば迷惑な話だ。






👩もう大丈夫だよ。

 ありがとう。

 たまには息子を遊ばせてあげて。

 また、動画で撮って、

 遊んでるところ見せて(๑•ᴗ•๑)






そう、LINEで送られてくる。



妻の言葉のひとつひとつが、

心に染みる。



そして、

その裏に隠れる、言葉にならない想いが、

鋭く心に突き刺さる…






この日、妻と私は、

結婚11年目の結婚記念日を迎えた。

f:id:aegis-pilebunker:20190523070644j:plain

f:id:aegis-pilebunker:20190523070537j:plain