~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌38 奇跡を起こさなきゃならないんだよ…!

2017年2月9日



前日の、

舌、及び、右下顎摘出と、

左右頚部の癌転移リンパ切除の手術で、

左頚部の癌が頸動脈に癒着していて、

切除手術自体が行えなかったその後、



私は、ICUに入ることが許され、

昼過ぎ頃から、翌日の朝方まで、

けたたましく警告音が鳴り響く、朝も夜も無い空間で

妻と一晩を過ごした。






首の両側を切っており、

可能な限りの転移リンパを切除しているため、

術後のダメージはそれなりに大きい。



気管切開も行っており、

首と、肋骨上部との間あたりに

穴を開けて、カニューレが差し込まれ、

首に固定されている。



気管切開した場所は、

初めは、血が滲んだり、唾などの水分が

喉に落ちてくるため、

それを出そうとする反射で、

エホン、エホン、と頻繁にむせる。

その度に、気管吸引用のカテーテルを差し込み、

吸引器で吸う。

気管の奥までストローのような管を入れられ、

バキュームで吸われるため、

その度に、苦しい思いをする。






そんな状態で、約18時間。

介抱を続け、後半は少しだけ眠る事も出来るようになり、

2月9日の朝を迎えた。






10時45分

一般病棟個室に移る。






辛さは同じく続いているが、

タンや血でむせて、吸引を繰り返すのはだいぶ落ち着いた。

しかし、3箇所の首周りの切除部が痛い。



まだ、身の起きどころが無い感じで、

頻繁に体を横にしたり、仰向けになったり、

その度に、自力では無理なため、

頭、首の裏側全体を支えるようにして、

体の向きを変えるのを手伝う。






これ、

こんな風に面倒を見れる人がいなかったら、

毎回看護師にお願い出来る回数じゃないし、

そこまで優しくはやって貰えない。

もし、一人になってしまって、

誰も看病してくれる人がいなかったら

どれだけ辛いだろう…



将来、寄り添うひとがいなければ、

必ずそういう時が訪れる。

きっと自分がそうなったら

それはとても辛く、悲しい思いをするだろうな。



だからこそ、

今、寄り添える時に、

少しでも苦しくない生をまっとうするために、

出来ることは全てやってあげたい。

一生を共にする、

いかなる時も相手を思い、助ける事を

約束したのだから…






朝食は、横になったまま

ゼリーをシリンジ(注射器本体)で口に運ぶ事が出来た。



昼は、ベッドを起こせば身を起こしていられたので、

プリン、フローズンヨーグルトを。



食べられる、

という所を見るだけで、

張り詰めていた気持ちが和らぐ。






病院から、夕飯と、明日以降の食事について

相談があったが、

この病院の食事対応は、少々配慮が足りない、

また、動きが遅いと感じる。



用意された食事は普通の食事。



口腔内の手術は今回はしなかった。

しかし、口腔低に穴はあいており、

食べることに対して非常に気も使うし、

普通に食事が出来る、という状態ではない。

しかも術後すぐ。



もう少し食べやすいものに変更して欲しい。

そう伝えて、実際にそれが反映されるのは

翌々日の朝食くらいから。

5~7食後くらいまで待たないと変更されない。

それまでは、食べられない食事をただ出される。



🧑さすがにこれじゃ食べられない。

 せめて嚥下食とか、ミキサー食とか、

 食べられるかどうか様子を見る食事にしてほしい。



食べたくて、食べたくて仕方がない人に、

食べられない食事を出し、

食べられずに悔し涙を流しながら食事を下げる患者に、



「食べないと栄養取れないですよー、

カロリーも計算して出していますから、

しっかり食べて栄養つけないと!」



って…



🧑カロリーって言ったって、

 食べられなきゃ意味無いですよね?

 変更をお願いして、すぐに食事が変わるなら

 何も気にしませんが、

 変更されるまで時間かかりますよね?

 なら、それを踏まえて相談なりしてくれないと…

 食べられないのも悔しいし、

 食べずに捨てるのも勿体ない。

 さすがにもう少し配慮が欲しいです!



食べられない妻の目の前で言われた

配慮のない言葉。



自分も感情的になっていたと思います。

でも、とても悔しかった。

妻の一番の願い、食べて元気になる!

それが出来ない悔しさを、

こんなにも理不尽な言われ方で踏みにじられた事が。






食事は大事な治療のひとつ。



後にわかった事ですが、

普段自分たちが口から食べているものの栄養、

また、それを胃や腸で吸収する力、

それを全身のエネルギー、再生力とする仕組みは、

本当にすごい能力だと感じます。

ほんの少しの食事でも、

多量の高カロリー点滴なんかより

遥かに大きなエネルギーを摂取出来る。



生きるって、食べることなんだ!

と、改めて強く思ったのは、

この時から数ヶ月後の事でした。






また、2月9日~12日まで、

夜間も病室で付き添い出来るよう許可を貰った。



急なお願いだったため、簡易ベッドの用意は

出来なかったようだが、

そんなことは承知の上。



妻が、自力で体を動かせるようになるまで一緒にいて、

看護師にはなかなか言えないワガママを

私が聞いてやりたい。



そして、

これからの事もしっかりと話していきたい。






夜、

妻の両親に看病を頼み、

自分は風呂に入るため一旦帰宅。

病院泊まりの準備をして、すぐに病院に戻る。



病院から仕事へ行き来するため、

明日の仕事着を着て、仕事道具を全て持って、

私服スニーカーも持って病院へ向かう。

明日食べる朝食も買っていった。



病院に着いたのは夜11時をまわっていた。



妻は既に寝ていて、

私も、スーツから私服に着替え、

スーツをハンガーに掛けて、

パイプ椅子にもたれかかり、

しばらく妻の寝顔を見ていた。



苦しそうな顔をしていなかったのが、

せめてもの救いだった。






2月10日



昨晩は、手術直後のような

寝ることも出来ないような状況からはだいぶ改善し、

落ち着いて寝ることが出来ていたが、

まだまだ痛みはあり、

体を動かしたい時には介助が必要。



夜、目が覚めてしまい寝れない時に、

改めて、手術の結果や、今とこれからの状況を話した。



私が決断した未来には、

妻も それでいいよ👍

と手を握ってくれた…






その後、

首に付けられたカニューレのフィルターから

寝息を立てて眠り始めた妻の横で、

パイプ椅子に座り、

手術の事や、これからの治療方針、

先生に聞きたいこと等をスマホにメモをしながら、

朝を迎えた。



朝、7時30分には病院を出ないと

仕事に間に合わないため、

6時頃から買ってきた朝食を食べ、

持ってきたスーツに着替えて、

妻に、 行ってくるね  と、

おでこに手を当てて、

7時過ぎにバタバタと動き始める病棟を後にする。

睡眠時間は…1時間くらいか。



日中、

妻は自力で歩き、

椅子に座って食事をしたという。



トイレにも行き、

オシッコの管も抜けたらしい。



この驚異の回復力と強運で、

抗癌剤による化学療法が効き、

またディズニーに行ける日が来ると、

またあの、あどけない笑顔が見れる日が来ると願って…






私は、また

仕事後一旦家に帰り、

1時間で風呂と洗濯を済ませ、

翌日のスーツを着て、病院へ向かう。



洗濯を日々しないと、

仕事に着ていくシャツや下着も無くなってしまうので…



私服は病院においてあるので、

病院に着いたら、明日の仕事着から私服に着替える。



食事も、病院に着いてから食べる。



そうしないと、妻が起きていられる時間に

病院に着けないから…






仕事と、看病と、

深夜の付き添いで、

寝る時間など無い。



本当ならずっと付き添ってやりたいが、

仕事を辞めたら生活が成り立たない。

妻の治療を続けることも出来なくなる。

息子の生活、将来も巻き添えだ。



休む?

いつまで?



仕事と、闘病と、生活と、

これを全て並び立たせて

毎日を回していくのは、

相当な協力と、理解してくれる人、職場が無ければ

無理だ。



その無理を、

自らの持てる力の全てを超えて、押し通す。






大切な人を守るために、

大切な人から離れて仕事を続けなければならない。

そうしなければ、

大切な人を守ることが出来ないという矛盾。



一言で言うのは簡単だが、

実際にこの状況になった時、

そのやりようの無さに、

想いとは真逆をやらなければならない現実に

絶望する。



仕事が大変、

看病が大変、

そういうことを理解してくれる人はいるが、

本人にしかわからない絶望を理解出来る人は、

絶対にいない。






私も、仕事も生活も目一杯だが、

目一杯を超えて生きている妻に比べれば、

こんなもの、なんて事はない。



今帰ってきた自宅への夜道を、

もう一度スーツを着て駅へ向かう。



家になんていられない。

風呂、洗濯の問題が無ければ、

もう、家に帰る必要もない。






🧑奇跡を起こさなきゃならないんだよ…!






鼓舞するように自分に言い聞かせる。



もう、奇跡でも起きない限り、

妻の回復はありえない。



治る治療は存在しない…



抗癌剤が劇的に効くことはある。

しかし、それだって奇跡的な事だ。

通常は、多少の延命効果や、

進行を和らげることが出来るかどうか、

その程度の効果しか見込めない。



現在の治療技術では、

切るか、

放射線を当ててDNAを破壊するか、

根治を確立出来ている治療はこのあたりしかない。



それが出来ない以上、

治療法は  無い。






妻の命は、



もう、奇跡以外に治療法が無い…






奇跡の起こし方は…わからない。











それがどうした…!!











やるしかないんだよ!!









2月11日



病院付き添い2日目。



起き上がる事、

可能な限り食べることなど、

意欲的に行う。



意外にも回復が早くて驚いた。



癌ではない場所は、

これだけ早く回復し、日常を取り戻していく。



癌さえ取り除く事が出来たら…






妻の様子を、妻を支える仲間に報告する。



🧑おはようございます。

 妻は、自力で体を動かせるようになり、

 痰吸引なども間隔が長くなってきたので、

 よく眠れるようになりました。

 今日は自分の出番も殆ど無く、一緒に寝てました。

 椅子でf(^_^;



何か行動するとき、

先に痛み止をフラッシュしてから行うなど、

コツも掴み始めたので、

何とか一人でも頑張って行けそうだ。






息子が、

お父さんと遊びたい遊びたい!

と暴れ回っているらしいので、

昼から息子を連れて、病院横の交通公園で

自転車の練習をさせにいく。



👦絶対離さないでよ!!!



🧑そんなこと言ったって、

 無理に決まってんだろー!



ストライダーに乗っていた息子は

いとも簡単に補助輪無しの自転車に乗り始め、

猛スピードで加速していく…が、

性格同様、ブレーキってものを知らないので、

そのまま突っ込む、ぶっ倒れる、

その度に、

離すなって言っただろーっ!

と無茶を言う。

息子は体中アザだらけ。



怒ったり、

笑ったり、

中腰で自転車支えながら

何百メートルも走り、

自分も腰がガタガタになりながら、

もーほんと勘弁してくれーっ(#`皿´)💢

とウンザリしながらも、

ハチャメチャな息子を見ながら

幸せな時間を過ごす。






ここに足りないのは…

妻の、お母さんの笑顔だけだ…!!






何がなんでも、妻の笑顔を取り戻したい!



家族の幸せを取り戻したい!!






昨夜、

妻の介助もほとんど必要なかった事から、

夜間の付き添いは一旦終わりにした。



側にいてやりたい、という想いも、

相当な理由がない限り、

病院からしてみれば迷惑な話だ。






👩もう大丈夫だよ。

 ありがとう。

 たまには息子を遊ばせてあげて。

 また、動画で撮って、

 遊んでるところ見せて(๑•ᴗ•๑)






そう、LINEで送られてくる。



妻の言葉のひとつひとつが、

心に染みる。



そして、

その裏に隠れる、言葉にならない想いが、

鋭く心に突き刺さる…






この日、妻と私は、

結婚11年目の結婚記念日を迎えた。

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