~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■漂流21 真の辛さや悲しみの正体

2020年6月26日



妻の命日でした。






あれから満3年



闘病を開始してからで言えば約6年。



あの日の妻の顔が鮮明によみがえります…






あの日のこと、



その時の妻のこと、



それまでの妻のこと、



覚えている人、いますか…?






妻の笑顔、覚えている人、いますか…?






病気に立ち向かって、折れることが無かったこと



覚えている人、いますか…?






妻と共にあった私たち家族のこと、



覚えている人、いますか…?






今年も、お花、御供え、



妻を思う気持ちを忘れずにいてくれた方、



3年経った今でも、



共に辛さを分かちあって頂けている方、



本当にありがとうございます。



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私たち家族も、



先日、お墓参りには行ってきました。



義両親、息子と共に、



妻の墓前に花を手向け、



お水とお線香をあげ、



お墓回りを綺麗にしてきました。






私は不甲斐ないながらも、



妻の供養、障害を持つ子供、生活の維持、仕事の維持、



完全父子家庭という時間的制約が大きい環境、



これら全てを一手に引き受ける事がやり切れず、



子供と共に生活していくことだけで精一杯のため、



妻の供養は、妻の実家にお任せしている状況にあります。






勿論、日々の供養や、お墓参り、



お花、お供え物など、



妻の実家に持っていったり、



実家の義両親と共にやるべき事はやっていますが、



義両親にも、娘を先に喪ったという



大きな悲しみがあり、



それを、手が回らない私が何とかしようとするよりも、



妻も住み慣れていた実家で供養を行う事が最善として



この形を選んでいったいう事情もあります。






親よりも先に亡くなってしまうという事は、



その事以上に複雑な思いが絡み合い、



家族が、親族が、そこに関わりを持つことでもあります。



結婚したからといって、



義両親から娘が失われた訳ではないですからね…






好きな人と結婚し、



生活を組み立て、



その中で、誰かが亡くなり、



また新しい命が生まれてくる時の家族のあり方。



その時のたくさんの人たちの関係性まで考えて



その好きな人と共に生活を始める人は



どれくらい居るんでしょうね…






たとえ考えていたとしても、



平穏無事でいられるのは



怪我も病気もせずに、



自然の摂理によってその営みが行われていった時だけ。



そこに、ひとたびあってはならない事が起きれば、



どうすることもできない大きな歪みが



関わる全ての人達の人生を変えていきます。






真の辛さや悲しみの正体。



3年が経過した今、



とても強く、大きく、



それを背負い続けなければならない辛さを



感じています。