~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■誤投稿

皆様、日々の生活お疲れ様です。



最近、記事の誤投稿が多く、

未完成の状態で誤って公開してしまう事が増えています。



あまりに休息の時間が無く、

フルマラソン状態からの一瞬の休息である

寝る前や、電車の中で書いているため、

度々意識を失って、投稿ボタンに触れているようです。



気付いて直ぐに下書きに戻しているのですが、

未完成記事を見掛けてしまった方がいたら、

本当に恥ずかしい限りです…



以前も、未完成記事にスターを頂いてしまい、

それを下書きに戻したらスターが消えてしまった事がありました。

本当に申し訳ございませんm(__)m💦‬



ノロノロ更新のブログになっていますが、

何とかしてこの困難な状況に立ち向かうための

起爆剤の1つとして続けていますので、

生暖かい目で見守って頂けたら幸いです。



次の記事も頑張ってまとめてますよ~( *・ω・)ノ

■舌癌32 術前抗癌剤治療と、妻と知り合って23年

2017年1月



年明けから再入院し、

術前抗癌剤治療からの、

舌、右顎の大部分切除手術による治療を進める事になった妻。



これからの治療は、

手術後経過と、抗癌剤経過が良好とならない限り、

退院は出来ない、と正式に宣言された上で行っていく、

年齢が若いこともあって、

治療を諦めて終わらせず、可能性に掛けてみよう

という思いを込めて行う治療となりました。






1月10日



数日前からTS-1を開始し、数日経過を観察。

重篤な副作用が無いことを確認の上、

今日から、ネダプラチン、ドセタキセル併用による

3剤で癌を本気で叩く為の抗癌剤治療が始まります。



ネダプラチン、ドセタキセル、及びTS-1については以下参照。(国立ガン研究センター ガン情報サービス より)



************************

■ネダプラチン

プラチナ系抗癌剤の1つ。

対象となる癌は、

 頭頸部がん
 肺がん(小細胞肺がん、非小細胞肺がん)
 食道がん
 膀胱がん
 精巣(睾丸)腫瘍
 卵巣がん
 子宮頸がん

細胞障害薬という種類の薬。
その種類の中で「白金製剤」と呼ばれるグループに属し、白金(プラチナ)を含んでいます。
DNAに結合することによって、がん細胞の増殖を抑えます。



ドセタキセル

タキサン系抗癌剤の1つ。

対象となる癌は、

 乳がん
 肺がん(非小細胞肺がん)
 胃がん
 頭頸部がん
 卵巣がん
 食道がん
 子宮体がん
 前立腺がん

細胞障害薬という種類の薬。
その種類の中で「微小管阻害剤」と呼ばれるグループに属し、化学物質のタキサンを含んでいます。細胞分裂を阻害することにより、がん細胞の増殖を抑えます。



■TS-1

以前から抗癌剤として高い効果を証明している5-FU(フルオロウラシル)という成分を、より効果的に、長時間体内で作用し、副作用を抑制するための全ての成分が含まれている薬です。抗癌作用は以下参照。



■5-FU(フルオロウラシル)

フッ化ピリミジン系抗癌剤の1つ。

対象となる癌は、

 胃がん
 肝がん
 大腸がん(結腸がん、直腸がん)
 乳がん
 膵臓がん
 子宮頸がん
 子宮体がん
 卵巣がん
 食道がん
 肺がん
 頭頸部がん

細胞障害薬という種類の薬。
その種類の中で「代謝拮抗剤」と呼ばれるグループに属し、フッ化ピリミジン系の化学物質を含んでいます。増殖の盛んながん細胞に多く含まれる酵素を利用し、がん細胞の増殖を抑えます。

************************



数日前から始めているTS-1により癌細胞の分裂を遅らせ、

TS-1の効果が徐々に減退するタイミング、

つまり、癌細胞がまた活発に分裂をし始めるタイミングで

ネダプラチン、ドセタキセルを入れて、

一気に癌細胞を叩く、という事になります。



この抗癌剤の使い方は以前にも伝えていますが、

主治医曰く、

国立がん研究センターでも研究中の投薬方法。

という事で、ちょっとネットで調べたくらいでは

エビデンスとなる資料を見つけることも出来ない状態。



ただ、この3剤の組み合わせ

(TS-1、ネダプラチン、ドセタキセル)

による化学療法は、頭頸部の扁平上皮癌に対して

従来から効果があるとされている

DCF化学療法 (5-FU、シスプラチン、ドセタキセル)

よりも高い治療成績を残し、

より副作用が抑えられる組み合わせとしての結果が

近年増えてきている方法で、

効果自体は充分に見込まれている方法。



そして、ネダプラチンもドセタキセルも、

いきなり癌細胞を攻撃、死滅させる薬ではなく、

どちらも細胞分裂時の働きを阻害することで、

分裂後の細胞がどちらも正常細胞になれずに

機能不全を起こさせ、自滅に追いやる効果があるため、

癌細胞が分裂増殖しようとした時に

ネダプラチン、ドセタキセルが最大効果を発揮するように

使う方がより効果が高いだろう、

という理屈の部分は既に判明しているものです。



以下は、シスプラチンよりもネダプラチンの方が

延命効果が高いとされる研究結果だそうです。

正式に学会報告されている事から、

ある程度の信頼性を持った情報だと言えそうです。



がん情報サイト「オンコロ」
肺扁平上皮がん ネダプラチン(アクプラ)+タキソテールが生存期間を延長
https://oncolo-jp.cdn.ampproject.org/v/s/oncolo.jp/news/151130k01/amp?amp_js_v=a2&_gsa=1&usqp=mq331AQCCAE%3D#referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=ソース%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Foncolo.jp%2Fnews%2F151130k01



シスプラチンよりもネダプラチンを使った方が

予後に良い傾向が見られたという統計は

調べれば結構沢山見つかります。

(とはいえ、「予後がよい」 とは、
今の苦痛を除いてくれる。
癌が縮小した。
という事とは必ずしもイコールでは無い、という事は付け加えておきます。)



最新の情報はどうなんでしょうね…

ここに書いている事が全てにおいて正しいなんて事は

決して無く、しかも同じ部位の、同じタイプの癌でも

その特性は千差万別ですから、

だから専門家でも、医者でも対応が難しく、

一番助かる見込みのある方法、つまり

エビデンスが確立している方法で

まずは治療を進めよう、となる訳です。






本編に戻ります。



昼頃にネダプラチン、ドセタキセルの点滴を入れたあと、

16時過ぎまでは食欲もあり、

大好きなモンブランを食べたと連絡があったが、

その後はLINEを入れても既読にもならない。

辛いのか、寝てやり過ごす作戦か…

結局この日は夜までLINEが既読になる事は無かった。



実は、この時自分は風邪をひいてしまい、

病院に入る事が出来なくなってしまった。

下手に会いに行き、感染症を起こしてもまずい。

吐き気、だるさとの戦いの中、

側にいられても逆に辛いだけ、という事もある。

とにかく、身悶えするような辛さと戦っている間は、

全ての力を、辛さに耐える事だけに使って欲しい。






1月11日



昼頃、抗がん剤の副作用が確実に始まった、

と連絡があった。

胸の辺りがもやもやし、

多く何かを口にしたら吐きそうだと。



何も食べなければ収まる吐き気ではないため、

ゼリーや、OS-1など口にしやすいもので、

ゆっくりと水分補給をすることを勧める。

その後は連絡しても既読にはなるが反応無く、

辛さと戦っていると思われる。



お義母さんが見舞いに行ったので様子を聞いたら、

吐き気があり、食欲が無いとの事。

また、顎の腫れが大きくなった感じがするとのこと…



前日、抗癌剤投与前の水分点滴で

浮腫んで苦しいと言っていたので、

その影響だけと思いたいが…

また、特にドセタキセルの副作用にも

強い浮腫が出る事が知られている。

しかし、抗癌剤投与前から

顎の先あたりに固いしこりが広がってきている事から、

単純な浮腫とは思いがたい。



とにかく、今行っている治療は、

抗がん剤による腫瘍を小さくする治療だ。

今はそれが効く事を祈るしかない…






1月12日



まだ風邪の影響で妻のところにはいけない。

11日夜から暫く連絡が取れず心配していたが、

夜中に吐き気に襲われ2回吐いたと、朝連絡があった。



昼過ぎに連絡があり、

昼食にアイスを出して貰い少し食べられたらしい。

また、実家から暖かいスープを持っていってくれているとのこと。

本当に助かります。






1月13日



副作用が少し落ち着き、余裕が出てきたらしい。

調子の悪さは、つわりの時のようとのこと。

ネダプラチンを入れてから4日目で少し楽になってくるのが分かったので、

次回の投与に対して気持ちにも余裕が出てきたらしい。

明日は妻の39歳の誕生日。

自分は風邪がまだ治りきらない…






1月14日



39歳の誕生日おめでとう🎂



本当に大変な治療、入院のさなかだけど、



無事誕生日を迎える事が出来たね。



ひとつの節目を過ぎれば、



自分を取り巻く環境、体調、運気…



色々な事が、流れが変わっていく。



まだまだこれから楽しいこと、



嬉しいことがいっぱいあるよ!



妻の39歳を、希望に満ちた最高の1年にしよう!



お義母さんが、地元のケーキ屋さんに

ダッフィーのケーキを作ってもらい持ってきた!

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👩ケーキ食べれた💕

なかなかおいしかったよ。

バタークリームのケーキ、ちょ~久しぶりに食べた。

今日はホント調子良くてよかった!



自分も行きたかったが、風邪が治らず自宅待機…



どうか、2017年、妻39歳の1年が



最高の1年になりますように…。








🧑妻と高校の時に知り合ってから23年。

あの時は、妻と付き合うことになるなんて思ってなかった。



妻も、生涯を通しての大親友と知り合い、

みんなで生徒会でバカな事ばっかりやって、

合間に真面目に仕事して、本当に楽しかった。



卒業後、自分は大学に行ったけど、

妻はすぐに就職して働き始めてたよな。

結構凄い大会社で。

大学に行った自分なんかよりよっぽど凄い就職先だったよな(笑)



それから2年、

音沙汰無く過ごしていたけど、

ちょうど自分たちが生徒会3年の時に1年だった奴らが

また文化祭で楽しそうな事やってるからって、

高校の文化祭に行こうって当時の生徒会メンバーに連絡したんだけど、

みんなそこまで暇でもなくて、

考えとくわー

で終わってた。



みんなが来るか来ないかは分からなかったけと、

逆に、無理に誘って一緒に行くより、

なんとなくパラパラと、

あれ?本当に来たの!?

なんて人が集まる方が面白そうだなーなんて思って、

あえてそれ以上声を掛けずに、

でも、1人でも誰か来てくれたらそれでいいかな、

くらいの気持ちで文化祭に行ったんた。



そこに来てくれたのは、

妻、1人だけだったな。

えっ、まさか2人だけ!?(笑)

なんてwww



でも、

薄々気付いてはいたんだ。

声を掛けた時に、

喜んで 行くよ!

って言ってくれたのは妻だけだった事。

なんとなく、みんなは来なそうだな…と思ったこと。



でも、それならそれでもいいかな。

そうだったらちょっと嬉しいな、って思ってた。

もし本当にそうだったなら、

始めてみてもいいかなって。

2人で前を向いて歩いていく人生を。



まさか本当に2人だけだとは自分も思わなかったけどさ(笑)



あの時、近くのジョナサンでいっぱい話したよな。

あの頃はまだインターネットが世の中に普及し始めたばかりで、

メールの使い方わかんない!

URLってなんであんなに分かりにくいの!?

なんて、プンスコしてた妻に

色々教えて使いこなせるようになって、

パソコンの先生なんて呼ばれたり、

実はスノーボードを始めていた自分よりも

妻の方が先にやり始めていた事にビックリして、

一緒にザウス行こう!

(今や知らない人も多いでしょうね。千葉県の南船橋にあった大型室内スキー場。)

なんて誘ったりして。

今思うと、本当に時代を感じるな(笑)



あの時から19年。

高校で始めて知り合ってからは23年。

実に半生以上の時間を妻と一緒に過ごしてきた。

自分は、妻と一緒になって本当に幸せだった。



でも、

自分は今、妻を守れているかな…

支えられているのかな…

幸せにはしてあげられているんだろうか…

出来る限りの事はしているつもりだけど、

病気に苦しんでいる妻を見ると、

自分は本当に無力だと思う。

何もしてやれていない、

辛い思いしかしていないと感じる。

今日だって、記念すべき誕生日なのに、

風邪ひいて一緒にお祝いも出来ない(涙)

今、辛くて仕方がない…






👩私も (私) くんがパートナーでホントに良かったと思ってる。

いっぱい心配と迷惑をかけちゃってるけど、

絶対復活してやるんだ!

こんな病気に負けてられるか!

私にだって守りたいものがあるんだ!






伝えたいことが沢山ある。

話したいことが沢山ある。

このまま、話も出来ないような状態になってしまうかもしれない。

なんて思いは、

治療が成功して生きて家に帰る事を望む今、

考えてはいけない事…

になってしまっている。



話が出来なくなるかもしれないから、

今話をしよう、なんて思いは、

どんなに辛い状況になっても最後には必ず



👩私は治って家に帰るんだよ?ふふん(ФωФ)



なんておどける妻の前では、

そんな後ろ向きな思いは封印するしかなく、

ただ胸が締め付けられるような思いを

噛み締める事しか出来なかった。

■舌癌31 2017年 再入院 (とコーヒーの話)

2017年 年明け後



2016年12月後半から、2017年年明けまで、

家族3人、自宅で水入らずの時間を過ごす事が出来た年末年始。



小線源治療後に、口腔低に再発してしまった癌が

妻の顎下に大きな腫瘍を形成し、

一部が皮膚を破り、穴が開く状況となってしまった。



口の中、舌の付け根あたりは、

以前のように、米粒が入り込むような小さな穴

というよりは、全体的に口腔低が窪んだような状態に変化し、

今にも顎下の穴と、口腔低の窪みとが

貫通してしまいそうな感じを受ける状況に。



病状の変化は非常に深刻。

これを、根治を目指して治療するには、

右顎、舌を、顎骨ごと、

ほっぺたから頸部辺りまで大きく切り取り、

切り取った部分を、

体のほかの部分の肉で補うように埋める、

癌を根こそぎ体から排除するような手術をするしか

助かる方法は無い、という。



更に、その状況の中で抗癌剤をフルドーズ、

予定では6クール近く、休薬期間も含めれば

約2年近くも繰り返さなければならないと判断された。



この過酷な治療を、妻は



👩助かる方法があるなら何でも受けます。



と即決し、

2017年1月から術前抗癌剤投与を開始、

1クールの経過を見て、2月に手術を行うか、

もう1クール進めてから手術を行うかを判断する、

という事になり、

その鋭気を養うために、

また、治療が始まったら退院も外出も難しくなる可能性を考え、

年末年始は家族の大切な時間を過ごすように…

と、やや長期のお休みを頂き、

この年末年始を過ごしていた。



その休みもいよいよ終わり、

2017年1月4日から、治療を開始するための再入院となります。






1月4日



再入院の日。

息子を、妻の妹家族に預け、妻を病院に送っていく。



🧑絶対癌に負けんなよ!

絶対癌をぶっ倒す!

絶対諦めんなよ!

な!そういう想いでいこうな!



👩…うん。



妻の返事は力強くは無かった。



このところ、痛み止めの薬が強いのか、

また、夜息が苦しくてあまり寝れていないからか、

車に乗っていたり、静かに座っていると、

イビキをかきながら直ぐに寝てしまう。



舌、喉の辺りの筋肉が弱くなるとイビキをかきやすくなるというが、

癌の影響で、そういうことも起きているのかもしれない。



日中寝ている時間が長くなるのは、

癌の末期症状で良く聞く症状…

病状のせいでもあり、薬のせいでもあり…

なんにせよ、癌は確実に妻の体力を容赦なく奪い、

出来ることを確実に奪って来ている。






病院に着くと、早速主治医の先生から、

これからの治療について再度説明を受ける。



治療方針に変更は無し。

しかしながら、以前行ったTS-1は

十分な効果が無かったように思える、との事。



ただ、以前にもお伝えしているが、

TS-1は癌の細胞分裂スピードを遅め、

休眠のような状態にするだけらしいので、

癌が小さくなる事はない。



しかし、年末に行った投与の結果、

年明けの時点で、顎下の状況が悪くなっているため、

効果が薄かった、と見ているようだ。



正直、この判断の仕方も

妻の命を掛けた実験のような状況で、

ひとつも前向きに受け取る事は出来なかった。



これから始める抗がん剤は、

TS-1で一度癌の動きを止め、

分裂タイミングを揃えてからネダプラチンを入れて

分裂時に癌を一気に叩くという方法。



2016~7年当時の抗癌剤の使い方としては、

治療効果が高いと結果が出てきている最新の使い方らしく、

癌研究センターで研究含め実践されている方法。

と、先生から説明があった。



妻の病院は、癌研究センター系列ではなかったが、

治療方針、投薬方法、緩和ケア方法について

癌研究センターとの連携をしているらしく、

判断を仰ぐまでの多少のタイムラグや、

設備そのもの違いこそあるものの、

癌研究センター同等の投薬(治療は設備の違いにより出来ないこともあるが。)は、

出来るようにしているらしい。



どうか、薬がよく効き癌が小さくなりますように…

と祈るしかない。






1月5日



TS-1を開始。

ネダプラチンは10日からの予定。



TS-1で多少癌の動きを弱める事ができるとしても、

12月後半から1月中旬までの約半月、

癌を放置しているような状況に、

たったこれだけの期間でも苛立ち、焦りを抑えられない。






1月7日



変わり無くTS-1を続けている。

が、ここ数日で顎の先の辺りが

ガチガチに固くなって来たと…

右頚部リンパのしこりも一回り大きくなっている。



舌が痺れていて動きが悪く喋りにくい。

舌の切った断端に痛みがあるらしく、

もしかしたら舌への再発も考えられるのか…



もう治療方針に検討の余地がないため、

とにかく抗がん剤が良く効いて

癌が縮小する事を祈るしかない。

下手をすれば手術だって適用不可の判定になる可能性だってある。



今日は妻に少しの差し入れとお見舞いを。

明日明後日はネダプラチン投与前の

最後の外泊許可で、妻実家に戻ってくる。

自分もそこで一緒の時間を過ごす。






1月8日



TS-1服用中だが体調は悪くないため、

外泊許可を取り、病院に妻を迎えに行き、

そのまま妻が食べたいと言っていた

都路里へ抹茶パフェを食べに行く。

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写真は都路里webサイトよりお借りしました。



美味しく、楽しく食事が出来るのもあと1日、2日…

せめて手術の前、抗がん剤の期間は

体調が悪くならずに食事が出来ることを祈る…。



午後は家でゆっくり過ごし、

夕飯はリクエストのすき焼き。

薄く柔らかい牛肉は、食べやすく、食欲も出るらしい。



私も、実家の両親も、

今のうちに食べておきな!

と、できる限り妻の好きなようにさせてあげる。






1月9日

(少し余談が入ります)



息子の冬靴を買いにクロックスへ。

お気に入りの、歩くとピカピカ光る長靴は

売り切れで買えず残念。

でも、履きやすく走れるくらいのブーツがあり、

息子は店内を走り回って満足げ。

気に入ってくれたので良かった。



昼は妻リクエストの

ピッツァサルバトーレクオモのピザとパスタ。

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こちらも写真は店舗webサイトから拝借しました。



サラダも食べていた。案外色々食べれたね!

ピザも沢山食べて満足!

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サルバトーレクオモのピザは、

チェーン展開されているピザの中では絶品中の絶品。

しかも、店舗近くにはデリバリーもしてくれるから凄い。

お値段はそれなりになりますが、

ここもよく妻と記念日などに行っていたお店です。



元はと言えば、

新宿に Paul Bassett というバールが出来た時に、

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どうしても世界No.1バリスタがプロデュースした店に行ってみたく、

わざわざ妻と一緒に

新宿まで足を伸ばしたことが切っ掛けで見つけた

サルバトーレクオモ。

多分、日本初出店の店だったと思います。



Paul Bassettとサルバトーレクオモが店内壁ぶち抜きで併設されており、

なんて美味そうなピザ屋なんだ…

しかもPaul Bassettと店舗を共にしているなんて。

凄い店に違いない。

食わざるを得ないっԅ(,,´﹃`,,*ԅ)



という事で、そのままファンになった店。

最近はいつの間にか店舗も沢山増えて、

今住んでいる地域の駅前にも出来てるので、

いつでも行ける店になりました。



ちなみにPaul Bassettでは、

店でも使っているオススメのコーヒー豆が、

シグネチャブレンドとして販売されており、

店舗でサーブ頂いたカップが、

自分が気に入っているとある豆、味に、非常に似ていた為、

バリスタさんに聞いてみたところ…

やはり使っていました、ブラジルのナチュラル。



ほかの豆では絶対に出すことが出来ない

独特の(クセのある)タンニン感のような、

どっしりとしたボディ感のある、

チョコのような茶色に形容される香りや、

ベルベットのような滑らかな舌触りとは少し違う、

乾燥ベリーのような赤く熟し、水分が飛んだような強い香りと、

まったりとした滑らかさの中に、

色々なベクトルの味が沢山の粒のようになって飛び込んでくるような、

複雑な舌触りを感じ(る気がし)ますf(^_^;



シングルで使うと癖が強すぎる。

しかし、ブレンドでうまくハマると、

エスプレッソでも、ドリップでも、

なかなか他では飲めない重厚な飲み応えを楽しめるので、

大好きな豆なんです。

最近はイルガチェフェナチュラルなども

多く出回るようになりましたが、

自分が探し回っていた頃は、

なかなか手に入りにくい豆でしたので、

Paul Bassettでそれを購入出来た時は、

コーヒーの事をまったく知らない妻に



すげー豆なんだよ!

これを混ぜないと味に厚みが出ないから、

この店のブレンドにも必ず使ってるって、

よく分かりましたね!って言ってた!



と、子供のようにはしゃいでいた事を思い出します。



写真は、その時に買ったブラジルナチュラルをブレンドした

Paul Bassettのシグネチャブレンドの豆です。

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ナチュラルの豆は製法、管理が大変で、

腐った、カビの生えた豆や、異物の混入も多く、

少量で味が激変するので扱いが難しく、

ハンドピック、ブレンドに相当自信のある

こだわりのある店でなければ、

逆に味を落としてしまう事になるため、

ブレンドに少し混ぜている、という店は多数あれど、

自前で焙煎して売っている店のうち、

本当に美味しい!と思える豆を扱っている所は

コーヒー特集の本に掲載されるような一部の店以外では

滅多にないと思います。



特に工場で大量生産しているような、

サードウェーブコーヒー気取りの

星後進や、青瓶などの豆で、

美味しいと思えた豆はまず無いですね。

あの辺はただ宣伝に掛ける金が豊富で、

やり方がうまかっただけ。

結局、先人が築いてきた人気のものを

後から出てきて乗っ取ってしまったずる賢い人達。



冠だけ被せた素人の店よりも、

やはり、サードウェーブの本家、

大量購入以外では手に入らなかった貴重なシングルオリジンを

コーヒー輸入事業の賛同者共同で購入、

輸送の船まで手配して輸入コストを下げ、

更に、コーヒー農園にも出資をして、

生産体制、管理体制の質を大きく引き上げ、

豆の品質を高めて更に買い手が付く流れを作り、

産地の産業そのものを活性化して、

更には自分たち専用の現地農地まで拓いて行った開拓者の方々、

その事業に共同出資してサードウェーブコーヒーの本流を作った、

丸山珈琲や、堀口珈琲、Café des Arts Picoに始まる

日本国内を代表するロースターの方々が焙煎する豆は、

あまりの品質の差に驚きます。

(個人の好み、豆購入費用の捻出の関係で、主に購入している豆の代表店舗しかご紹介出来ません。ご了承ください。)



何よりもハンドピックに掛ける時間が違うと思います。

相当に厳選された豆以外使いませんので、

雑味が多くでやすいナチュラル系の豆で

スッキリとしたクリアな舌触りに、

非常に複雑な表情を持つシングルビーンズを提供してくれます。

もちろん、クリアなウォッシュドも多数扱い、

透き通るような舌触りに、

バニラのような白く甘い香り、

ピーチや柑橘系のようなフレッシュな果実感を楽しめる豆なども、

扱う豆、焙煎のレベルの高さ、多彩な表情には、

決して他では真似出来ないものがあります。



こういうカフェを見つけると、

コーヒー好きな私としてはとても嬉しくて、

Paul Bassettにも同じ流れを感じたんですね。



一応、ここで紹介したロースターのお店を紹介させて頂きます。



丸山珈琲
http://www.maruyamacoffee.com/

堀口珈琲
http://www.kohikobo.co.jp/

Café des Arts Pico
http://cafe-pico.com/

Paul Bassett
http://www.paulbassett.jp



すみません、話が飛躍しすぎました╭(๐_๐;)╮

コーヒーのマニアックな話はさておき…






サルバトーレクオモで美味しくピザを頂く妻。

これだけ食べれて調子が良いなら、

顎切る手術して食べられなくなるなんて、

そんな事になってほしくない!

とお義母さんが。



自分も妻も想いは同じ。

それでも妻は手術をしなければ命に関わる、

と…強く決意し、

やらなきゃいけないんだよ。

と、お義母さんを窘めていました。



舌を含めた、顔の一部が無くなる。

痛み止めを全開で使っても取り切れないであろう

苦痛を伴って。

そのような状況にも関わらず、

目が覚めれば全身麻酔の副作用で、吐く。

吐く時に、否応なしに動いていまう喉や舌は、

大部分が切除され、逃げようのない激痛に悶える。

下手をすれば傷口が開く。

生きている中で感じる苦痛としては

最大級のものだろうと、容易く想像出来る。

誰もそんな苦痛は味わいたくない。

しかし、それを拒否しても、

その先に待っているのはそれを上回る、

想像すらも出来ない壮絶な苦しみ。

もう、選択肢はない。

それでも妻は、

しょうがないんだ、と諦めて治療を受けるのではなく、

自ら、その治療を受ける。

治るためにその治療をやるんだ、と。

その意思は何があっても曲げることは無かった。



夜、妻を病院へ送っていくため、車へ…

玄関先で息子を抱きしめる。

もう一度抱きしめる。



その頃息子が大好きだった

ベイマックスのバラララララをやって息子とお別れをする。

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「ベイマックス」MovieNEX/バラララララ~




静かに車に乗って何も言わない妻に話しかける。

俺の想いを伝える。



🧑今度の治療は本当に大変。

命を掛けた治療になると思う。

妻 が一番よく分かってる…よな。

退院が出来ないかもしれないって言われたけど、

そんなことは無いと思う。

長い時間が掛かるけど、

手術して2ヶ月、傷が癒えるのを待って、

癌さえ無くなれば体は必ず元気になる。

今まで2ヶ月くらいで再発を繰り返してきてるから、

逆に、手術後、半年たって再発なければ絶対大丈夫だよ。

食べ物とか、不自由は残るかもしれないけど、

生きている限り、

たとえどんな状態になったとしても、

一生守っていくから。

それは今までも、これからも、変わらない。

大変なんだけどさ、信じてるから…

絶対に癌に勝って、うちに帰ってきて。

息子の成長をこれから見ていく時でしょ。

こんなとこで負けてらんないよね!



妻はただ うん と頷く。



言いたいことを我慢しなくていい。

煩いくらいに言っていい。

要求していい。

自分一人で抱え込まず弱音を吐いていい。

頑張るのは治療や痛みに耐えるだけで、

それ以外の事は頑張らなくていい。

気持ちを吐き出していいんだよ。



と伝える。



妻はただ うん と頷く。



病院に着いたとき、



👩あーあ着いちゃった…戻ってきちゃった…



と小さく呟く。

涙が出た。



次、退院して家に戻れる保証は無い。

次退院出来るのは手術後経過が良かった時だけだ。



妻が勝つか、

癌が勝つか、

もうそれ以外の選択肢はない。



看護師さんの顔を見た時、

妻が噛み締めるように涙をボロボロと流した。



辛かったね、治して家に帰ろうね、大丈夫!



と声を掛けられる。

自分もただただ涙が静かに溢れてくる。



入院の支度を終え、お別れ前の話をする。

何度も何度も妻の体に手を当て、励ます。

帰らなければならないが離れられない…



よしっ、じゃあそろそろ…



と意気込むが、離れることが出来ない。

何度も、何度も、

よしっ、と自分に言い聞かせるが離れられず、

二人で静かに泣いた…



絶対帰ってこいよ!

待ってるから!

と、歯を食い縛って妻の元を離れた。

病室に一人残して…



この時の、私の背中を見送る妻の気持ち、

想像することも出来ません。



考えようとすると、

今でも焦燥感と、

体がジリジリと、

血液中に砂が流れているような感覚が襲ってきます。






既に面会時間を1時間以上過ぎた21時30分頃、

夜勤担当者だけがナースステーションに残る

人気の少ないフロアで、

先程妻に声を掛けてくれた看護師さんに、



🧑どうか妻の事を助けてやってほしいです…

どうか、

どうか、

お願いします…治してやってください…

お願いします…



相手の迷惑も考えず、

ただただ歯を食いしばり、

こらえきれない涙を拭いながら

懇願を繰り返していました。






2017年

これが私たち家族の年明けでした。

■漂流11 🎍本年もよろしくお願い致します🎍

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。






このブログを初めてから約1年4ヶ月が経過しました。



妻を失ってからおよそ1年6ヶ月が経ちました。



妻の病気が発覚し、
通常の生活が出来なくなってからは3年6ヶ月…






とても言葉では簡単に書き表せない、

表現しようの無い、

混沌とした状態のなかで迎えた新年。



しかし、ようやく



あけましておめでとうございます。



と、新年を喜びで迎える事がはじめて出来た1年目が、

2019年の年明けとなりました。






このブログをいつも見て頂いている皆様。

いつも支えて頂き本当にありがとうございます。



更新が遅く、浮き沈みも激しい不安定なブログですが、

毎月の訪問数は6,000~10,000程にも増え、

総アクセス数は10万を超えるところとなりました。



大半は、

まだ更新しないのかよ…

という落胆の数だとは思っていますがf(^_^;



しかし、それだけの方々に支えられているという事が、

ブログを続ける原動力だけでなく、

この壮絶な生活環境のなかでも、

諦めや、何かを切り捨てて行くこと無く、

今を生きていく事への力になっていますので、

本当に感謝しています。






えー、また、これは一部の方へ向けたメッセージではありますが、

今年からは年賀状を書くのをやめさせて頂く事をお許しくださいm(__)m



これまでの様々な困難を乗り越えてなお

今も繋がりがある皆様とは、

単なるお付き合いではなく、

様々な想いを超えた 縁 で結ばれている方々だと

思っております。

年賀状をやめることと、

その 縁 を切ることはイコールではない、

という事をご理解頂けましたら幸いです。



年賀状に代わり、このブログやLINEなどで

近況はお伝えしていきますので、

今年、年賀状を送って頂いた方には

大変失礼かとは思いますが、

こちらのご報告をもってお返しとさせて頂きます。






今年は、以前から妻とずっと続けてきた

新潟でのスノーボード年越しを

息子と二人でやってきました。



いつも一緒に行っている友人も

いつもと変わらず新潟に集合しましたが、

最近はそれぞれの家庭、生活の事もあり、

年末だけの参加というケースが増えており、

今年は年越しまでそこにいたのは

私と息子の二人だけでした。



それでも、

妻が大好きだった年に1度のイベントですから、

周りに流されず、

妻も含めて私たち家族の思いとして、

新潟で年を越しました。



年末までは天候も悪く、

新潟らしいドカ雪が続いていましたが、

元旦は、昨年までの悪天候が嘘のような見事な晴天。

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旅館の窓から撮影



雲ひとつないピーカンとはまさに。

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前日までのドカ雪に続くピーカンは

雪山の天気としては年に数える程しかない

最高のコンディション。

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雄大な景色に圧倒される息子



ゲレンデに毎年用意される振る舞い酒を一口頂き、

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それが体内から一瞬で蒸発するほどに

アドレナリンを噴出させてゲレンデを駆け巡ります。

(この日本酒が本当にウマイ!市販されている750mlサイズで5,000円程もする高価な日本酒なんか比にならないほど美味い酒です。新潟の酒造蔵出しの最高のお酒なんでしょうね。)



とはいっても、息子と二人では

置いていくことも出来ないので、

ずっとくっついて行くだけでしたがでしたが( ˘・з・)



でも、息子もだいぶ度胸が付いてきたのか、

まだまともに立って滑る事も出来ませんが、

しゃがんだまま、スーパー木の葉滑りで

自分がビンディングをはめている間に

見えないくらい先の方まで行ってしまうようになりました。

木の葉だけであんだけのスピードを出せるのは

妻が初心者だった時とまったく同じですね。

それをポカーンとみている初心者カップルの視線が面白い(笑)



その先に行ってしまった息子を追いかける時だけは

自分も本気で滑れたので、だいぶ楽しめました!



そして今回の旅行で発覚した衝撃の事実。

今まで私たちのスノーボードライフを支えてくれた

20年弱もお世話になった旅館が

今シーズンをもって閉業する事になったそうです。



ひとつ、またひとつと、

妻との思い出の場所が失われ、

まるで妻が、昔の思い出に捕らわれずに、

新しい道を切り開いていけ、と

背中を押しているようにも感じます。



そして、その旅館で息子と二人で年越しを迎える時、

とても不思議な事が起きました。



元旦の0時0分を伝える、スキー場で上がる花火

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毎年これを旅館の窓から見ながら

新年をお祝いしていました。



今年もこれを写真に撮り、

先に帰った友人にLINEで送信すると、

なぜかその写真だけはアップされず、

再アップしてもダメ。



相手側で見えているか聞くと、見えているという。

こちらでその写真をタップしてみると…

なぜか、その写真ではなく、

その友人と私たち家族で、

妻が病気になる直前の年越し時に撮影した

4年前のこの瞬間の写真が一瞬画面に映り、

「掲載期間が過ぎているので表示出来ません」

と、画面が真っ暗になる。



たしかに、その画像は

その友人と4年前に撮影し、

そのLINE上にアップされている画像。

その画像をタップすれば同じ状態にはなるのだが、

今回アップが出来ない花火の画像をタップしたときに

その写真が出ること自体、通常はありえない。



しかも、そこで一瞬表示された画像を

タイミングよくキャプチャしてみると、

昔の写真に、今のLINEの画面が映り込んでいて、

昔の写真ですらない。



妻が一番好きだった恒例の行事で、

大好きだった友人と過ごした時間を、

今の私たちと一緒に感じている。



この想いを伝えたい。

今も一緒にいるよ。

見守っているからね。



そういう事を伝えようと、

妻がこの不思議な現象を起こしているように感じました…



数分後、画像は正常にアップされた事になり、

その現象は起きなくなりましたが、

その時の画像はキャプチャしたものを残せました。






色々な事が、私に対して

前を見ろ。

前に進め。

思い出に捕らわれていては駄目。

新しい、今の生活を

今までのように切り開いていって!

そう伝えてきているようにも感じます。



暗く、雪が降り続いた2018年から、

晴天の2019年へ。



今は亡き妻をはじめ、

今まで私を支えてきてくれた全ての人、

全ての環境が、

立ち止まる私の背中を優しく押し出してくれている…

これに応えられるかどうかは、

全て私次第。



過去の思い出にすがるのは悪いこととは思いません。

しかし、もし妻の声が聞こえたならば、

必ず、



また下を見てるよ!

また悪い方を見てるよ!

もっと前を見て!



そう言われるでしょう。






辛いことですが、

過去に捕らわれずに前に進む。



今年の目標はこれにしてみましょうか…!!

■漂流10 クリスマス爆発しろおぉぉっ!( ゚Д゚)┌┛Σ( ゚∀゚)・∵

2018年年末



息子の小学校2学期が終わり、

冬休みに入りました。



私はまだ1週間仕事がありますので、

平日は、妻の実家にお泊まりや、

お弁当持って学童で、

28日までは過ごしてもらうことになります。






息子の長期お休み中のお泊まり先として、

笑顔で迎えてくれる

妻実家の義父義母さんには大変感謝しております。



息子を、妻の唯一の子…孫として、

本当に可愛がってくれています。

息子の特性の事も、

とてもよく理解をしてくれた対応をしてくれています。



そんな息子との二人暮しという事にも気を掛けて頂いて、

食事の負担が軽くなるようにと、

手作りの料理、食材を小分けの冷凍パックにして

作って頂いたりもしてくれています。

本当に有難い限りです。



ここまでの理解をしてくれるまでには、

非常に長い時間と、

嫌われる事も覚悟の上での強い言葉による衝突も

何度もありました。



発達障害のカウンセラーの方からも、

祖父母世代の人達は、時代背景もあり、

障害に対して、理解が出来ない、認めない、

という風潮も強く、

躾をしっかりしていかないとダメだ!

親の責任だぞ!

と強く言われる方も多いため、

本当の意味で理解をしてもらうことは

難しいかもしれないですね。

そもそも、理解ということではなくて、

発達障害について当事者の意識で

勉強をしていかないと何も理解は出来ないので、

その勉強ということが出来ない方は

祖父母世代だけでなく、

実の親でも難しい事だと思います。



と言われていましたが、

息子を通してたくさんの衝突があった裏側では、

実際に同じADHDの息子を持つ友人などから

情報を集め、知識を増やし、

今までの常識では対応しきれないと言う事を、

妻に代わり、孫を正しく育てるための勉強をして頂けて、

徐々に意見が合うようになり、

衝突も減り、

ようやく今の信頼関係を築けた感じがあります。



ここまでくるのに、

双方、相当な努力と負担があり、

それだけやっても、大人数人掛りでも

対応が難しい息子…孫を、

妻が残した唯一の子として、

とても深い愛情を持って接してくれています。



そんなじいじ、ばあばの所にお泊まりに行く息子は、

一時期は、



怒ってばかりで嫌だ!(怒られるばかり、が正しいf(^_^;)



と言って嫌がる時期もあったが、

最近は、対応も適切なため、

嫌がる事も無くなって、

泊まりに行くのも、楽しみになってきたようです。






それに引き換え、うちの実家は…

以前の記事でも伝えた通り、



■漂流06 今こそ決断する時だ!
http://aegis-pilebunker.hateblo.jp/entry/2018/05/01/100702



兄のひきこもりを放置しすぎて手に負えなくなり、

両親もあらゆる事を解決しようと努力をしないため、

実家の財産全てを兄に牛耳られ、

身動きが取れなくなっている。



それを、解決、または、

何とかしようと努力を始めないのであれば

私は、自分の生活を維持するのが精一杯なので、

実家とは一切接点を持たない!

と宣言しています。



家はすぐそばですが、姿を見ることもありません。

ごくごくごく稀に手紙が投函される事がありましたが、

手紙にはその事は一切書かれていないため、

こちらからはコンタクトをしていません。



下手に手を出しても、

兄、両親の全員が、

一切自分たちは変えようとせず、

こちらの生活にだけ注文を付けてくるなんて

そんな無駄な時間に構っている暇は無いので。

家族なのに悲しい思いをしているのは、

自分も、息子も一緒です。

つらいのはそちらだけではありません。



一部で、家族を見捨てた非常な人間

という見方をされている雰囲気があります。

家族なら、事情を超えて助け合うもの。

そういう気持ちが強いのでしょうが、

妻の病気という、

努力ではどうにも出来なかった不幸から、

突然人生の岐路に立たされた息子と、孫に対して、

偽りの手を差し伸べ、

共に協力して、助け合って生きていこうと

手を繋ごうとした瞬間に、

その手を振り払われて、

調子に乗るな!

と意味のわからない手の平返しをした人間が、

今度は自分たちが大変なんだ、助けてくれ。

なんて言われたって、

こちらから差し伸べる手なんて無いのは当たり前ですよ。



こんな話を掘り下げたくは無いので

話を先に進めます。






息子を学校へ通わせる毎日がひと段落すると、

やっぱり気持ちが楽になるというか、

緊張感がなくなりますね。



毎日いっときも休みが無いのは、

それなりのストレスもありますが、

毎日のリズムを崩さないようにする気持ちが

張り詰めているため、心地よい緊張感があり、

悩みや、不安を感じる隙も無いように感じます。



しかし、緊張の糸が緩むと、

今まで張り詰めていた分、体も、気持ちも、

ちょっと休みたい、楽したい。

という気持ちになってきます。



そうすると、心に隙間が生まれるんですね。



その隙間には、



緊張している時には出てくることの無い



様々な思い、雑念、不安が、



堰を切ったように押し寄せてきます。






以前、

妻とまだ一緒にいた時、

息子と3人でいた時、

この、たまにの 休息の時間 は、

とても心地が良い時間でした。



自分の影響で、妻も好きになったコーヒーを淹れ、

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(他の写真は出来損ないばかりで、精一杯の背伸びしてます💦)



スコーンなんかを焼いたりして、

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何をするでもなく家族を構い、

柔らかい幸せを感じるひとときでした。



それが今、この休息の時間は、

普段の緊張感を感じている以上のストレスを

感じる時間に変わってしまいました…(。´Д⊂)



何よりも辛いのは、

当然ながら、ここに妻がいない事…



どんなことがあっても、それさえ解決すれば

どんな悩みも吹き飛ばせる自信がありますが、

それは叶わないことだと、

普段は望まないようにしている自分がいます。



しかし、やはり緊張感が無くなればこの想いは、

あれから1年半の月日が流れても、

容赦なく頭をもたげてきます。



多分、前向きになんてなれていないのです。

普段は、息子との生活に忙殺されて、

そんなことを考える余裕すらないだけで、

1年半前から、

いや、

もう助けること叶わない

と思わざるを得なくなったあの時から、

妻への想いは何も変わっていません。



言葉にすると聞こえは良いかもしれませんが、

生きていく上で、これ程辛いことはありません…



今まで、この1年半、

自分をここまで生かしてきたのは、

息子

ただ一人です。



息子を、何とか

1人でも生きていけるように、

少しでも適切な行動が出来るようにと頑張る事だけが

自分の役割、生きる目標になっています。



でも、これって共依存になる

相当に高いリスクがある状態なんですよね。



今、自分のやりたいこと、

誰かと一緒にやりたいこと、

ほとんど無くなってしまいました。

息子の為の時間、

息子の為の趣味、

生きている時間の全てが息子の為に使われています。



ADHDの息子を理解し、制御出来るのは

絶対に親しかいません。

少なくとも、小学校低学年くらいでは、

1人で行動させたり、

他人の家に遊びに行かせたりなんて、

とても出来るものではないです。

いつなんとき、突然の結果を考えない暴力などが

出てしまうかもわかりません。



迷惑を掛けられない…



ADHDの子を育てる親は、

必ず共依存になると感じます。



他の親に任せて友人関係を広げたりも出来ないですし、

普通の方はADHDの子なんて制御出来ませんので、

面倒を見るなんて間違いなく嫌がられます。

親が面倒を見て、責任を取るしかないんですよ。



私も今、まさにその状態なので、

数日でも息子がお泊まりなどで

一緒にいない期間があると、

相当な不安が襲ってきます。



普段、誰とも話が出来る余裕がありませんので、

こんな時だけ都合よく誰かを捕まえて

自分の欲求を解消しようとしても、

そんなことに付き合ってくれる人は

当然ながらいない訳です。寂しいですよね…



しかもクリスマスですしね。

ほんと、クリスマスなんて爆発すればいいのに(笑)

妻がいないクリスマスなんて、

ただ子供にオモチャせびられるだけじゃないですか
ԅ(,,´﹃`,,*ԅ)



この共依存の不安感と、

寂しさを埋める事が出来るようになるのは

いつの日か…

■舌癌30 2017年 穏やかな年明け

2017年1月1日



癌の治療を開始してから1年3ヶ月。

2016年を生き抜き、2017年の新年を迎えることが出来た。



本来であれば退院なんて出来る状況でもなく、

病状は深刻な状況とはいえ、

新年を家族3人、慣れ親しんだ家で迎えられた事は

本当に嬉しかった。



当初は積極的に退院を勧める先生や、

妻の容態、進行具合に不安感もあったが、

場合によっては次の一連の治療で

退院が出来なくなる…という可能性を考えると、

この5日間の家族の時間を頂けたことは

本当に有り難かった。



元旦は雑煮を作り、おせちを食べ、

近くの公園で妻と息子と一緒に遊び、

普段自分と息子で過ごす休日と同じ1日を

妻にも感じて貰うことが出来た。



妻は、1年程前のように、

息子と一緒に走り回って遊ぶことが出来なくなってしまったが、

この入院の間に息子が出来るようになったこと、

新しいおもちゃで遊ぶ姿、

特性ゆえに他の子と折り合いが付けにくく、

すぐに喧嘩になってしまっていた息子が、

その時は仲良く周りの子と遊んでいる所を見て、

我が子の成長に驚き、笑顔が溢れていた。






1月2日

私の実家への新年挨拶と、

その近くの大きな公園で、

妻、息子と、古くからの友人も合流して

息子を遊ばせながら、久しぶりの友人との時間を。



私は、一緒に遊んで欲しい息子に手を引かれ、

ストライダーで走り回る息子を

追いかけ続けてましたが(笑)



妻は、今の病状や、これからの治療、

懐かしい思い出、

昨年冬には皆と一緒に行っていたスノーボードの事と、

色々な話をして、写真も撮って、

楽しい時間を過ごすことが出来たようでした。



私は息子を追いかけ走り続けていましたが(笑)



夕飯も一緒に食べに行き、

楽しい時間はあっという間に過ぎた。

そして、また会う約束をして、

来年はきっと一緒にスノーボードに行くと約束して、

自宅に帰ります。



家に帰ると、息子は、

貰ったスノーボード道具に足を通し、

こうやるんでしょ?

と、今まで私たちが見せてきた事を

教えることも無くやっていた。

満面の笑みで。



自然と涙が出た…



毎年、この年末年始の時期は、

皆と一緒にスノーボードに行っていた。

これまでの10数年ほど、

年越しは毎年新潟で、というほど

妻の為に遊びに来てくれた友人達とは

年末年始はいつも新潟に滑りに行っていた。



友人のお子さんが使っていた

ボード用具一式を譲っていただき、

これからはうちの5歳の息子もソリではなく

スノーボードを一緒に、という

これからが息子の成長が楽しみ、という時期に

闘病で病院から出ることが出来ない、

息子も、道具を貰って喜んでいるのに

遊びに連れて行ってやれない、というのは、

本当に家族みんなが、辛く、悔しい思い。



連れて行ってやりたいよ…

妻も、息子も、

バッサバサの雪の中で

笑顔が弾けたあの時が本当に懐かしい。



ただ、今は行けない事を悔しがったりする前に、

来年こそは一緒に行こうな!

と前向きに考えるしか無かった。






1月3日



ディズニーシーへGo!



入院前最後のパークイン。

息子が初めてタワーオブテラーに乗りビビる(笑)

でも、次来たらまた乗りたいと、

何とも頼もしい限り!

(6歳になった頃から怖さが分かったようで、今では乗らなくなってしまいましたがf(^_^;)



息子の思い出にと、

シー15周年記念のリゾートラインの

6デザインを連結出来る6台のトミカを見つけ、

妻が全部買ってくれた。

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母親として、息子に何かをしてあげたい。

今、息子の喜ぶ顔は、妻にとって最高の宝物。

これからの治療に立ち向かう勇気。



明日、1月4日には、

また病院にもどり、

フルドーズの抗がん剤治療を1ヶ月強と、

その後の過酷な手術が待っている。



最悪、もう家には帰れず、

退院や外出も出来なくなる可能性がある。

と、主治医から言われており、



38年間生きてきて、

自由に行動出来る本当に最後の日が

今日までかもしれない…



息子に何かしてやれるのは、

これが最後かもしれない…



夕飯は、ポートディスカバリーにある

ホライズンベイレストランへ。



息子と2人で遊びに来た時に、

当時はファインディング・ニモではなく、

ストームライダーが稼働していて、

息子が音楽を口ずさむ程大好きだったため、

その目の前にあるレストランに

よく食べに来ていたらしい。



そのレストランで、

お馴染みのハンバーグを食べる妻と息子。

美味しい、美味しいと、沢山食べていた。

それを見ていて、また泣きそうになってしまった…



こんなに元気にご飯を食べられるのは

この先、回復に向かわなければ2度と無いかもしれない。



もし回復に向かったとしても、

半年、1年と、普通の食事が出来ない日が続く。



決して思いたくはない事だが、

妻と一緒に行けるディズニーは、

これが最後になるかもしれない…(ノ_<。)






絶対に、最後になるつもりの言葉は言えない。

「いまのうちに…」

なんて一言も口には出来ない。



「また来ような!絶対癌に勝って、また遊びに来よう!」



行く場所全てで、

祈りのようにこう約束していく。



回復を信じるしかない。

しかし、それでもこれが本当に最後かもしれない。

今が本当の最後の時なのかもしれない。



どんなに辛い状況でも



「まだ次があるから!」



と前を向く妻に、

これで終わり?

なんて思いをさせてはいけない。



それでも、

私はこの時伝えたかった。






俺の、俺たち家族の人生に、



彩りを与えてくれてありがとう!



かけがえの無い時間をありがとう!



どんなに多忙な毎日に追われても、



決して夢を見ることを、楽しむことを忘れず、
       


みんなが笑顔で居られることにいつも全力だった、



そんな 妻 が本当に大好きだ!



これが最後じゃなく、



また絶対に一緒にここで笑顔になろう!






私は、この思いを言葉にすることは出来ず、



また来れるから大丈夫。



いつものようにそう話して、



いつものようにディズニーシーエントランスの



心地よい閉園時間の音楽を聞きながら、



妻と息子を乗せて自宅に帰りました。



また、2人を乗せてこの音楽を聞きながら



何も変わること無く家に帰る日常が



1年後には戻ってくる事を信じて。

■ADHD14 コンサータ服用開始

2018年11月下旬



前回ADHDの記事で、

夏休み明けから、てんかんのような症状があり、

10月頃からてんかんの薬(テグレトール、イーケプラドライシロップ)

の服用を開始した事をお伝えしていました。



その後から、

少々行動が落ち着かない事が多くなり、

友達との些細なやりとりの中で、

突然顔を叩いたり、なわとびで叩いたり。



先生に対しても、叩いたり、

突然大泣きして色々訴えたり、

噛み付いたり…(これで、ぐらついていた歯が抜けました💦)



授業中も頻繁に抜け出して、

床や廊下で寝転がっていたり、

保健室や校長室で過ごしたり、

2時間ほどぶっ通しで寝てしまったり。



余りに行動のコントロールが出来なくなってきたため、

学校側でも対策を考えてくれて、

大好きな体育の時間を、

毎日1回出来るようにと対処をしてくれましたが、



可能な限りの根本的な解決に向けて

こちらがそれにおんぶ抱っこ状態でいる訳にはいかず、

家庭の方でも、大きく話を動かしていきます。






まず、行動がだらけてきたタイミングと、

てんかんのような症状が出てきたのは、夏休み後から。



夏休みで狂ってしまった生活リズムから

元に戻すのに苦労する、という話はよくありますので、

大部分はその影響とは思いますが、



うちは父子家庭で、私が不在の間は

家で面倒を見れる人はおらず、

放課後は18時頃まで学童に行かせており、



当然夏休み中も、車で1時間30分ほど離れた

妻の実家にお泊まり中でなければ、

7時30分~18時まで学童に通わせています。



私の仕事も、

息子の学童も、

普段の通学、通勤の時間と変わらないため、

だらけさせるような生活は出来ません。



ですが、それが逆に幸いしてか、

生活のリズムを崩しやすい障害を持つ子ではありますが、

朝夜の時間や、1日のリズムが崩れること無く

夏休み前半はトラブルの無い生活を送っていました。



しかし、何日かにわたる終日学童という空間と、

ある程度の対処と対応しか望めない学童先生方との終日活動と、

休み中、何回かの妻実家へのお泊まり生活の影響と、

私との2人生活と…



何が悪影響を及ぼしたかは断定は出来ません。

色々な要素が絡み合って結果が付いてきますので、

あえて悪者を決めようとは思いませんが、

それぞれの要素の中で原因になったであろう事は

ある程度は目処が付いています。

その中の殆どは、避けようのない事ばかり。

息子の近くにいた人毎の、ほんの少しの対応の違い。



結果として、

夏休み後半から、朝起きなくなり、

食事の時に、テレビだ、タブレットだとうるさく言うようになり、

食事を食べなくなり、

コントロールが利かず、

黙っていれば好き放題、

口を開けば言い合いになり、

指摘を受ければ怒りをぶちまけ、

収集がつかなくなる、というループに。



障害を持つ子供全員が、とは言いませんが、

この状態になってしまったのを、

言い聞かせ、叱りつけ、怒られる恐怖、

好きな事が出来るのは約束守れた子だけという囲い込み、

他の事で気を逸らす、無視する、放っておく、

そういった事での軌道修正は大変難しいのです。



言われる側の子供も黙っちゃいません。

足をドンドンと踏み鳴らす、

椅子でガタンガタン!と音を立てる、

白目を剥いた目で睨みつけてくる、

うるせえっっってんだろ!

しゃべるな!だまれ!

と激しく暴言を吐く事も。

時には、他の部屋に逃げ込み、

しばらく閉じこもる。



そもそも、何らかの形で 反抗する ため、

どうしたら楽しく過ごせるか?

という解決の為の話し合いに辿り着けません。

無理矢理そういう話をしても、聞く耳を持ちません。



家だと、一応私には逆らわない方がいい、という

多少の制御が利いているのか、

この程度の状況が続きますが、

同学年近くの子がいる所では、

即座にパンチ、突き飛ばしなどが始まります。



このようなやり取りで相当に嫌な思いをしても、

次回の行動には反映されません。

また同じ嫌なことになる、と理解しているかどうかも定かではありませんが、

1度このループが始まると、

相当上手く対応したとしても、

改善 (悪い行動が出ずに、適切にやるべき事をやってくれる。又は、言われれば文句を言わずにやるようになる) まで、

1~2週間、長ければ数ヶ月はこの状態が継続します。



どんなに優しく諭そうが、

報酬で釣って誘導しようが、

怒りと恐怖を植え付けようが、

また翌日、同じ時間になれば同じことを始めます。

約束をすれば、その場の返事はしますが、

そんなことはお構い無しです。当然破ります。



この改善までの期間が非常に長く、何度でも同じやり取りを繰り返す事と、

自分にとって不利益なこと、嫌なことが繰り返されても、それでも同じことを続ける、

という所が、特に周囲から理解されないところで、

本当に気が滅入る程に繰り返すのです。



しかし、経験上ですが、

毎日根気強く、淡々と、強弱だけ付けながら同じ対応を繰り返していけば、

その子にとって、それが習慣化されるまでの長い期間、

とにかくシビレを切らさず、キレること無く、

やるべき事だけをやろう、と対応し続ける事で、

いつのまにかそれが当たり前になります。

文句を言わなくなります。

その間、別に叱られている訳では無いので、

イヤイヤやる、という感じでもありません。

習慣化するだけです。



ただし、注意しなければならない事は、

「甘やかせてもらえる特別な環境」

という場所を絶対に作ってはいけません。



おじいちゃん、おばあちゃんの家では

テレビを見ながらご飯が食べられる、とか

そういう環境を1日でも与えれば、

また家に帰ってきてから地獄の毎日が始まります。



結果、生活が成り立たない状態が続き、

親も、子も、二次障害まっしぐらとなってしまいます。



普段、他の子より頑張ってるんだから、

おばあちゃんの家ではいいよねー

なんて事をしたら、



なんで家ではそれが出来ないのか!?

と始まり、



あれは、学校がお休みの日で、しかも実家だから特別だよ!

なんていう理屈は通用せず、

なんだかんだと反発し、

結局やるべき事はやってくれない。

一切体を動かそうとしなくなります。



学校の時間になろうが、

準備はしない、ご飯は食べない、

片付ければ大癇癪を起こす、

とにかく体を動かさない。



全ての制御が効かなくなり、

学校でも悪い行動が増え、

私(家族)も相当に大変な思いをすることになりますが、

結果的に本人が1番辛い思いをすることになります。



障害をもつ子に対しての甘やかせ方は、

通常の子に出来る甘やかせ方とはまったく違う、

と考えるべきだと思います。



まぁ、この辺の話は長くなるので、

また今度気が向いたらにしましょう。






結局、

そういった夏休みの生活の乱れから、

朝の活動に支障をきたし、

その頃から学童でもやや大きなトラブルが増え、

そのまま2学期に突入していきます。



当然、学校でも同様のトラブルが続きます。

周りの子への影響が大きいことが続くため、

それなりの躾、言い聞かせは必然的に増えますが、

それを冷静に聞く事も出来ず、

人を睨みつけたり、

無視したり、

うるさい黙れ!

などの言葉が増えてきたり。

学校でも、 死ね!  などの言葉が増え、

更なるトラブルに。



ちょうどこの頃から、

テレビを見ている時に、目が左右に振れる動きと、

首が左右どちらかにゆっくりと動くような、

部分てんかんのような動作が見られるようになりました。



前兆として、夏休み前からも

目をしぱしぱ渋そうにする感じはありましたが、

ここに来てハッキリとした動きになってきた、

という感じでしょうか。



ただ、

タブレットやテレビを見ているだけの時には

それほど気になる動きはありませんでした。

単純に目が疲れているとか、そういう感じでは無い

という事は、毎日一緒にいる中で感じた事です。



酷くその行動が出るのは、

夕飯時、テレビを見ながらご飯を食べてもいいと許している時間のみ、

特にこの動きが顕著に出ました。



やはり、テレビを見ながらだとご飯はスムーズには食べられず、

しかし本人は、

朝ご飯の時間じゃなければテレビ見てもいいでしょ?

と、ある意味、夜見れるなら朝は我慢する

という事を交換条件として、朝の行動の約束を守る

という部分があったので、



まあ、夜は食事とテレビを同時にさせる訓練として、

また、少しの息抜き、ストレスをため過ぎない一環として、

許して、やらせつつも、

テレビに集中し過ぎずに夕飯を食べてね!

という事をやらせていました。



ですが、今のうちの子には、

テレビの刺激と、食事を時間を守ってしっかり食べる

という事が大変難しかったんでしょう。



毎日食事が進まず、

注意を受けながらテレビを見て、食事をちょっとして…

これが凄いストレスだったのかもしれません。



部分てんかんのような症状は

日増しに悪くなっていき、

食べ物を口に入れたまま

意識を支配されたように食べる動作が止まり、

目と首が勝手に動くような状態になり、

暫くして我に返って、食事を続ける

という状態になっていきました。



ものを喉に詰まらせてからでは遅い、とすぐ病院に行き、

9月後半から、てんかん抑制の薬テグレトールを開始します。



テグレトールを開始すると、副作用の眠気が強く出てしまい、

学校での居眠りだけでなく、

朝起きる事も困難になり、

そこから始まる おきなさーい! という毎朝のやりとり。

朝起きる時から感情的には最低の状態で始まり、

朝調子が悪かった日の学校、学童の活動も最悪の結果に。



この眠気を改善しないと全ての活動に支障が出る事から、

10月中旬からはイーケプラドライシロップと、少量のテグレトールに変更。



このイーケプラドライシロップの副作用には、

些細なことで感情的になりやすい、という作用があるようで、

それが原因かどうかはわかりませんが、

眠気はやや改善されたものの、

感情的で、衝動的な行動はおさまらず。



そして11月に入った頃には、

てんかん様の動きは薬のおかげか、

ほぼ出なくなりましたが、

やはりまだ思わしくない行動は続き、



仲良く遊んでいたと思いきや、

ちょっとした事で突然暴力を振るったり、

いきなり泣き始めて激しく思いを訴えてきたりと、

安定しない状況が続きました。



これを病院に報告。

判断としては、



ADHDからのやや深刻な二次障害に発展しつつあります。



ちょっとした人との関わりの中で

暴力ばかりが出る状態は、

もう二次障害が出ている状態です、と。



本人は、相当辛いでしょうね。

訳もわからず、いつのまにか自分は、

みんなから 暴力を振るう子だ とレッテルをはられ、

何をしても人から避けられ、嫌がられ、

その度に自分でもコントロール不能になって、

やってはいけないことを繰り返し、また避けられ、

自己嫌悪と、他人に対して憎悪ばかりが膨らんで、

もう、どんなに本人が何とかしようと思っても、

ADHDの子が、自分の力だけでこれを改善するのは

不可能だと思いますよ。



そうハッキリ言われました。



ここで、薬の処方を大きく変えていく事になります。



てんかん薬の効果については冷静に判断しなければならず、

そもそもが飲み続ける事を前提に処方される薬のため、

相当な悪影響が無い限りは簡単に処方を変えることも出来ません。



まずは、強い眠気が生活に支障を来たしているという事で、

少量にしていたテグレトールを無くし、

イーケプラドライシロップのみとします。



そして、いよいよADHDの二次障害を防ぐために、

ADHD対策薬のコンサータを始めることを強く勧められます。

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写真は、薬の説明として頂いた冊子です。



くすりのしおり
コンサータ
http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=12829



これまで、私は

出来ればADHDの対処は、漢方薬(甘麦大棗湯)のみでいければな、

と思っていて、正式な対策薬は避けたい気持ちがありました。



これは、しっかりと薬の成分まで調べての事ではありませんが、

ADHDの薬は、

覚せい剤の効果に近い

と色々な所で言われている事によります。



実際の薬の作用については、

上の画像にも書かれているので、

参考にしてください。



しかし、嫌だと思っていた薬を試してみようと思ったのは、

いつ息子が、他の子に、取り返しのつかない怪我や、事故を起こしてしまわないか、

学童で最も問題視されている中で、これ以上の問題を起こせば退所させられていまい、生活が成り立たなくなる。

他の親御さんの間で、息子の問題行動が噂されるようになる事から始まる、子供までを巻き込んだ村八分

息子自身が、望まずして引き寄せてしまういじめ。

何よりも、息子が、親でさえも対人関係が築けずに、

誰からも見向きもされず、

反発、拒絶、反抗、諦め、怒り…

そういった経験だけで育って行ってしまう事への重大性のほうが、

薬に対する不安、猜疑心を完全に上回った事によります。



いつか良くなる。



という希望は誰しも持ちたいものです。

しかし、その間に失われた時間と、

友人関係と、

その年齢相応で学ぶ、習慣的な行動は、

他のみんなもやっているから一緒に学べるものであって、

遅れを取り戻す為の関係というのは、

そう簡単に築けるものではありません。



コンサータや、ストラテラ

インチュニブに代表されるADHD対策薬は、

必ずしも 悪い行動が無くなる という

魔法の薬ではありませんので、

効果はひとそれぞれだと思います。



大渋滞で正しく情報が伝わらない脳の働きを、

交通整理してくれるような効果があるため、

考え、行動がハッキリして、

より本来の特性が強調されるような感じになるようです。

眠気も無くなるようですね。

うちの子は喋りが止まらなくなっていますf(^_^;



薬を飲み始めて約3週間が経過しますが、

経過は概ね順調で、

学校からも、学童からも、



居眠りがなくなった!

指示がとおりやすくなった!

暴力が少なくなった!

注意した時に、ちゃんと話をして、

悪かった事は素直に謝れるようになった!

課題をちゃんとやりきる事が出来た!



と、ぞくぞくと息子の成果が聞こえてくるようになりました。



まだまだ怒ったり、教室を抜け出したり、

喧嘩したり、暴れたりすることはありますが、

それでも、

これだけの変化があったことには驚きです。



おかげで、

他の親御さんへの謝罪の電話をどうするか

悩むような事件、事故は、

薬を飲んでからはパタっと無くなりました。

それだけでも相当に嬉しいことですし、



ちゃんと勉強や、活動に向き合って、

ある程度の結果を出してくれるようになった事で、

息子も、周りから

すごいね!

と感心されることが増え、

それが相乗効果で、また良い行動が増える

という流れが増えてきたようです。



よく聞かれる副作用の、食欲減退も殆ど無く、

給食も全部食べてきています。



暫く薬の効果を見ながら、

この状態を続けていく事になりそうです。



コンサータの効果については、

よもぎさんの #よも暮らし で

とてもわかりやすく紹介されています。

勝手ではございますが、とても参考になりますので

リンクを貼らせて頂きますね。



ADHD治療薬のコンサータの効果や副作用は?服薬開始から1年経過した感想について
https://www.yomocracy.com/entry/2018/01/10/180000