~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌30 2017年 穏やかな年明け

2017年1月1日



癌の治療を開始してから1年3ヶ月。

2016年を生き抜き、2017年の新年を迎えることが出来た。



本来であれば退院なんて出来る状況でもなく、

病状は深刻な状況とはいえ、

新年を家族3人、慣れ親しんだ家で迎えられた事は

本当に嬉しかった。



当初は積極的に退院を勧める先生や、

妻の容態、進行具合に不安感もあったが、

場合によっては次の一連の治療で

退院が出来なくなる…という可能性を考えると、

この5日間の家族の時間を頂けたことは

本当に有り難かった。



元旦は雑煮を作り、おせちを食べ、

近くの公園で妻と息子と一緒に遊び、

普段自分と息子で過ごす休日と同じ1日を

妻にも感じて貰うことが出来た。



妻は、1年程前のように、

息子と一緒に走り回って遊ぶことが出来なくなってしまったが、

この入院の間に息子が出来るようになったこと、

新しいおもちゃで遊ぶ姿、

特性ゆえに他の子と折り合いが付けにくく、

すぐに喧嘩になってしまっていた息子が、

その時は仲良く周りの子と遊んでいる所を見て、

我が子の成長に驚き、笑顔が溢れていた。






1月2日

私の実家への新年挨拶と、

その近くの大きな公園で、

妻、息子と、古くからの友人も合流して

息子を遊ばせながら、久しぶりの友人との時間を。



私は、一緒に遊んで欲しい息子に手を引かれ、

ストライダーで走り回る息子を

追いかけ続けてましたが(笑)



妻は、今の病状や、これからの治療、

懐かしい思い出、

昨年冬には皆と一緒に行っていたスノーボードの事と、

色々な話をして、写真も撮って、

楽しい時間を過ごすことが出来たようでした。



私は息子を追いかけ走り続けていましたが(笑)



夕飯も一緒に食べに行き、

楽しい時間はあっという間に過ぎた。

そして、また会う約束をして、

来年はきっと一緒にスノーボードに行くと約束して、

自宅に帰ります。



家に帰ると、息子は、

貰ったスノーボード道具に足を通し、

こうやるんでしょ?

と、今まで私たちが見せてきた事を

教えることも無くやっていた。

満面の笑みで。



自然と涙が出た…



毎年、この年末年始の時期は、

皆と一緒にスノーボードに行っていた。

これまでの10数年ほど、

年越しは毎年新潟で、というほど

妻の為に遊びに来てくれた友人達とは

年末年始はいつも新潟に滑りに行っていた。



友人のお子さんが使っていた

ボード用具一式を譲っていただき、

これからはうちの5歳の息子もソリではなく

スノーボードを一緒に、という

これからが息子の成長が楽しみ、という時期に

闘病で病院から出ることが出来ない、

息子も、道具を貰って喜んでいるのに

遊びに連れて行ってやれない、というのは、

本当に家族みんなが、辛く、悔しい思い。



連れて行ってやりたいよ…

妻も、息子も、

バッサバサの雪の中で

笑顔が弾けたあの時が本当に懐かしい。



ただ、今は行けない事を悔しがったりする前に、

来年こそは一緒に行こうな!

と前向きに考えるしか無かった。






1月3日



ディズニーシーへGo!



入院前最後のパークイン。

息子が初めてタワーオブテラーに乗りビビる(笑)

でも、次来たらまた乗りたいと、

何とも頼もしい限り!

(6歳になった頃から怖さが分かったようで、今では乗らなくなってしまいましたがf(^_^;)



息子の思い出にと、

シー15周年記念のリゾートラインの

6デザインを連結出来る6台のトミカを見つけ、

妻が全部買ってくれた。

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母親として、息子に何かをしてあげたい。

今、息子の喜ぶ顔は、妻にとって最高の宝物。

これからの治療に立ち向かう勇気。



明日、1月4日には、

また病院にもどり、

フルドーズの抗がん剤治療を1ヶ月強と、

その後の過酷な手術が待っている。



最悪、もう家には帰れず、

退院や外出も出来なくなる可能性がある。

と、主治医から言われており、



38年間生きてきて、

自由に行動出来る本当に最後の日が

今日までかもしれない…



息子に何かしてやれるのは、

これが最後かもしれない…



夕飯は、ポートディスカバリーにある

ホライズンベイレストランへ。



息子と2人で遊びに来た時に、

当時はファインディング・ニモではなく、

ストームライダーが稼働していて、

息子が音楽を口ずさむ程大好きだったため、

その目の前にあるレストランに

よく食べに来ていたらしい。



そのレストランで、

お馴染みのハンバーグを食べる妻と息子。

美味しい、美味しいと、沢山食べていた。

それを見ていて、また泣きそうになってしまった…



こんなに元気にご飯を食べられるのは

この先、回復に向かわなければ2度と無いかもしれない。



もし回復に向かったとしても、

半年、1年と、普通の食事が出来ない日が続く。



決して思いたくはない事だが、

妻と一緒に行けるディズニーは、

これが最後になるかもしれない…(ノ_<。)






絶対に、最後になるつもりの言葉は言えない。

「いまのうちに…」

なんて一言も口には出来ない。



「また来ような!絶対癌に勝って、また遊びに来よう!」



行く場所全てで、

祈りのようにこう約束していく。



回復を信じるしかない。

しかし、それでもこれが本当に最後かもしれない。

今が本当の最後の時なのかもしれない。



どんなに辛い状況でも



「まだ次があるから!」



と前を向く妻に、

これで終わり?

なんて思いをさせてはいけない。



それでも、

私はこの時伝えたかった。






俺の、俺たち家族の人生に、



彩りを与えてくれてありがとう!



かけがえの無い時間をありがとう!



どんなに多忙な毎日に追われても、



決して夢を見ることを、楽しむことを忘れず、
       


みんなが笑顔で居られることにいつも全力だった、



そんな 妻 が本当に大好きだ!



これが最後じゃなく、



また絶対に一緒にここで笑顔になろう!






私は、この思いを言葉にすることは出来ず、



また来れるから大丈夫。



いつものようにそう話して、



いつものようにディズニーシーエントランスの



心地よい閉園時間の音楽を聞きながら、



妻と息子を乗せて自宅に帰りました。



また、2人を乗せてこの音楽を聞きながら



何も変わること無く家に帰る日常が



1年後には戻ってくる事を信じて。