~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■漂流05 新生活準備

2018年2月11日



誰かコピーロボット

作ってくださ───ヽ(*゚∀゚*)ノ───い!



もうね



ムリ(笑)






引っ越し作業と、新入生準備作業が
いよいよ大詰めとなってきました!



今やってるのはコレ ↓



■今まで住んでいた家の片付け、粗大ゴミ出し

■必要荷物のまとめ、持っていく荷物の清掃

■新居の整理、必要家財、家電の購入、設置対応

■新居の諸々費用の支払い、引き落とし手続き

■息子の小学校入学手続き

■小学校で必要な道具の購入、名前付け

■学費支払い関連手続き

学童保育申請手続き

発達障害を見て貰える病院の確認、
 相談機関の移行、引き継ぎ

■役所関連の転出、転入手続き

■父子家庭関連手当て、手続きの解除と再申請

■保育園卒園の為の卒対活動

■個人的な契約等の住所変更手続き



そして平日は毎日普通に仕事。

作業の8割くらいを土日に集中し、平日は帰宅後、夜21時~24時頃に家の片付けを。

これからの小学校入学等で色々な事が起きる想定をすると、休みなんてとれません!



そこに更に、小学校説明会にて、

PTA参加してねー!
ボランティアに参加してねー!
任意だけど必須だよー! (えっ?)
防災頭巾カバーは手作りした方がいいよー!
設計図を渡すから作って来てねー!
みんなが同じように負担する事なんだからやらなかったら…わかってますよねー(*^_^*)

という、くだらない囲い込み。

本当に書いてあるんすよ。
任意だけど、6年間の間で必ず全員が参加して下さいね❤って(笑)



PTAを毛嫌いしている訳では御座いませんが…

人それぞれ、事情も環境も違うし、
協力したいけど休みまでは取れない人、
協力自体したくない人、
出来るし、やれるんだけど、拒否したくはないんだけど、平日昼間に学校に行く事が頻繁に発生するという事だけは難しい人、
休みを父母で分けて取りながら対応できる人、
全ての休みを一人で消費しなければならない人、
全てを一人でやろうとすると有休では足りず欠勤扱いになってしまう人…

色々あるでしょうに。

そういう相談には乗って貰えるんだろうか…

いや、みんな同じように苦労してるんだから、
と一括りにされて、
なんか嫌な人認定されてしまうんだろうな…

気を付けなきゃね。



保育園の卒園式後にやることになっている謝恩会もなかなかのもんですよ。

園が指示してやることでは無く、
園児と、園児達の親が企画してやるもの
という位置付けなのですが、

園の先生から

「親の代表は、園に謝辞を述べてください。ある程度の定型文はありますので。それを覚えて言って貰えればいいです。」
とか、

「先生達を謝恩会に呼ぶための手紙を園児に書かせてください。その手紙を先生から子供に渡しておきますので家でやって来てくださいね。」
とか、

「子供たちも、親からも、出し物をひとつやってください。ただ、先生たちにばれないようにやって貰いたいので、お迎え後とかに園内で集まって練習したりはしないで下さいね。」
とか言われるんです。

子供の為だけに時間を使える "ヒマだとは認めない人" の集まりならともかく、

そもそもそういう都合が取れない人達だけが保育園入園を許可されたという事を考えれば、園の外で集まってアレやろう、コレやろう、なんて時間はない事くらいわかると思うんですけどね。

園の先生たちには、聞き分けの無い息子をしっかり見て頂いて本当に感謝していて、ずっと関わってくれた今の担任の先生には特に頭が下がる思いですが、

なんか、この演劇染みた、名ばかりの任意の強制イベントに少々気持ちが萎え気味…(´д`|||)



ただ、良い思い出を作ろうと頑張っている卒業対策チームのママさん達の努力には本当に本当に感謝しています。

保育園側の、少々理解の無い対応に負けず、良い謝恩会、良い卒園式にしましょう。

自分は準備を手伝う事が殆ど出来ませんが、当日の写真撮影とかで貢献出来たらいいな📷



話が逸れましたが…

まぁ、なんにしても

溢れかえるほどやること満載です。






本格的に作業開始したのは、

引っ越し先の審査が通り、
入居可能が確定してから。

それが1月中旬。

ここから3月末までは家賃が2重に掛かります💦

3ヶ月間の家賃合計は約60万。



まず始めに手を付けたのは…
引越屋の見積もり。

3社取りました。
業者バッティングしないように。

同時に、

引っ越し予定日の時点で、
どこまで自力で片付けが進み、
どの程度引っ越し屋に片付けて貰うのか。

決めなければ見積もり自体が出来ないため、
兎に角部屋を片付けまくります。

その過程で出る粗大ゴミ処理。

捨てるもの、引越で持っていくものを選別。
自力で運べるもの、運べないものも選別して、
どう処理するのか、いつ処理するのかを決めます。

都内は、粗大ゴミを出すだけでも
1~2週間前の予約、登録が必要で、

しかもうちの区は、
年間持ち込み回数も 3回だけ! 
と決まっているため、

邪魔になったタイミングで持っていく、捨てる、
と言うことも自由には出来ず、

全てスケジュールを立て、
これまた他の作業とバッティングしないように
綿密な計画を立てます。

(訪問回収は何度でも出来ますが、費用が持ち込みの倍掛かり、2週間以上前の予約が必要です。)



また、そういった大物のゴミを先に処理しないと、荷物をまとめようにも、出して広げるスペース自体がありません(爆)

明らかにメモリ不足のパソコン状態ですね(´д`|||)



片付けは、
2月中旬の現在でも続いていますが、2月末前には終わる目処がたちました。



当初、片付け間に合わないかなー?と思って、
引っ越し屋に全部任せた場合の見積もりを取ってみたのですが、

なんと総額27万円!!たかっ(゜ロ゜;

結局、全部自力でやります…という条件にしたら
10万円強の見積り。

まさかこれほど違うとは…

やるしかねーだろ(笑)

この時点で腹を括りました。



どの業者に決めたか、
どこが良かったか、悪かったか、
ふざけんじゃねぇよクソ業者が!
というやり取りもありましたが(笑)
そこは面倒なんで省きます┌(`Д´)ノ)゚∀゚)ォゥ



ということで、

今は2月24日、25日の引っ越しに向けて、
全力で部屋を片付け、新居作成中です🎵






新居生活をするための家財、家電、

その他もろもろの買い物にも

大変時間と費用が掛かっています。



今まで暮らしていた家では、
10年以上大切に使ってきたものばかりで、新しく買い換えた物が殆どありません。

さすがに薄汚れたものが多いので、
冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、石油ファンヒーター以外は全て買い換えです。

これからは、とにかく時間を節約したいので、
手間が掛からない生活が出来る、ということに
凄くこだわって家電家具を揃えています。

そして、妻の為の場所も…

賃貸アパートなので出来ることも限られ、
後にまた引っ越すであろう事も考えると、お仏壇を構えるのはなかなか難しい話です。

出来ない訳ではありませんが、
ただでさえ父子家庭、発達障害、小学校入学と
やること満載なのに、さらにお仏壇の管理となれば、時間も体も足りません。

理由はそれだけではありませんが、
結果として、妻の位牌は妻の実家のお仏壇で…

様々な思いがありますが、
私は、私が出来るやり方で、
妻が最も喜ぶ事をしてやりたいと思っています。



そうそう、新しく買った家電ですが、

ルンバ買いました!

こいつはきっと救世主になると思います。



こないだ暫く動かしてみましたが、

新居だからといっても、

新しい家財等を準備するだけでも綿埃って凄いんですね。めっちゃ満タンにゴミ取れてました!

スマホから操作出来るんでネットワーク名を付ける必要があるのですが、

ルンバに名前をつけて下さい!

って言われたので

kinaco

って名前にしました(笑)



家具もルンバが掃除をしやすいように、

足元がスッキリした家具や、

突っ張りラックのような物を出来るだけチョイス。

これが凄い時間掛かりました…

思い描いているような物を探そうとすると、

何店舗見てまわっても、ネットで探そうとしてもなかなか見つからず苦労しました。



今回一番費用が掛かってるのはエアコンですね。

2台買う事になりました。

新居は 2LDK なんです。

子供が中学生になる頃までは住むだろうと考えてますから、個室を用意出来るようにしたかったんです。



今回、エアコン2台と、取り付け費用で、
50万円ほど掛かっています…

他家電家具をあわせると、
カード2枚が利用制限満額まで掛かり、
繰り上げ返済を依頼して、なんとか繋いでいっています。



あっ、借金、ローンはしてませんよ。
全て一括払い、の繰り上げ返済。

auウォレットカード、クレジットを使ってるので
ポイントの付き方が半端じゃないんです。
多分、引っ越し終えて落ち着いたらポイントでスマホ買い換えます🎵

しかも、コンビニとかではauウォレット、ポンタカードなど、ダブルでポイントが付くので、
マジで2倍の現金還元がある状態です。
もう現金使わないっすよL('ω')┘



また話逸れましたが…

家電家具は、ただ良いものが欲しかったという欲求ではなく、

今までの生活でダメだったところ、不満だったところを徹底的に改善したかったんです。



あとは、今まで部屋に物が溢れ、

空間をどんどん狭めるような生活しか出来ていませんでした。

これを改善するため、

とにかく足元に何かを置く

という事を徹底的に無くしていっています。



壁を活用する、

空中に物を配置する、

部屋の壁を見えなくするような家具は使わない。

とにかく見通しを良く、

広い間取りを、生活空間にした後でも広く感じる状態を維持出来るように考えて全てのものをチョイスしています。

ルンバが活躍出来る事も考えて、ですね。



細かい事を言えば、

綺麗を保つために、どうしてもコレだけは必要

というちょっとした犠牲みたいなものも、

徹底的に対処、排除していってます。

例えば、シンクの3角コーナーとか。

あんなん、ゴミはまとまるけど、

すぐに汚れてこまめな掃除が必要で…

時間ばかり食うわけですよ。

自炊する人はよくわかると思いますが。



洗面台回りも、

物を直に置くと拭き掃除が大変になるんですよね。

いちいち物をどかさないといけない。

それが汚れの元。

置きませんよ、もう。洗面台の回りには。

でも、必要なものはすべてすぐに取れる場所にあります。

工夫工夫の繰り返しですね。

100均には大変お世話になっています(ง •̀ω•́)ง✨



ゴミ箱だって、小さな屑入れは使いますが、

45Lや70Lといったゴミ出し用の袋を掛けておくゴミ箱は使いません!

ゴミ箱にゴミ袋を掛けるのがそもそも面倒くさい。

貯まったゴミを出すのも大変だし、ゴミ箱自体も臭くなる。

ゴミ箱を置くスペースがそもそも場所とりすぎ。

もう置きません(笑)



経験上、
どうすればゴミが匂わないか、
周囲が汚れないか、
見た目もスッキリするか、
息子のオムツ処理をしていくなかで
沢山の経験をしました。

そういうやり方をうまく使って、
汚さず、匂わず、場所を削らずにゴミ処理が出来れば良いわけですから。



こういう工夫をするため、

生活の効率を上げるために

雑貨や家電を見に行くのは本当に大変で

3、4店舗まわっても答えが見つからず、

また同じ店を巡ったり、新しい店を見たりするなかで、新しいアイデアが生まれて行きます。

大変なんですが、こういう苦労は大好きです❤



こんな事をしながら、

更に息子の為の色々な準備もしているのですが、

長くなりすぎるので今回はこの辺で…



今日も栄養ドリンク飲んで、

埃まみれになりながら頑張ろう!

これを書いている今はもう2月18日。

引っ越しまであと1週間!

もうやるしかないんだぜι(`ロ´)ノオルァー!

■ASD08 発達の遅れ

2018年1月



先月、ASDと診断された息子の直近の状況です。



あっ、ちなみに今回からタイトルが

ADHDではなく、ASDに変わっています。



最近の息子の様子ですが、

ここ1ヶ月で、今まで出来なかったこと…

ではなく、

出来るくせにやってくれなかったことを

少しずつやってくれる姿が

見られるようになりました。



例えば、日中のトイレ。



今までは、明らかにおしっこがしたくて

モジモジしながらもトイレに行かず、



👨ほーら、トイレ行ってきなー!

と言っても、



👦大丈夫行かない!

と、意地を張り、



👨早く行け!

と強く言えば、



人を睨み付けて、



👦嫌なこといった~🎵
 とーさんが~やなこと~🎵



と、ひどいオリジナルソング(笑)を歌ったり、



👦おとーさんの頭は蜘蛛だらけ~(?)



と、謎な反撃をしながら、

(更に半年前までは、どっかいっちゃえ!死んじゃえ!と、攻撃的な言葉を繰り返していたため、嫌な事を言われた時は "死んじゃえ" じゃないよ、"やめて" とか "嫌だ" だよ。と代わりになる言葉をひたすら伝えていましたので、その効果が変な言葉になって出てきたのかもしれません(笑))



👦出ない!大丈夫!
 ただこういうモジモジ踊りを踊りたかっただけ!



と、100%嘘だとバレる
おしっこ出ないよアピールを繰り返すので、

あまりガミガミ言うと余計にやらないし、癇癪にも繋がっていくため、



👨濡らすなよ?
 したくなったらちゃんとトイレ行きなよ?



と約束だけして放置した直後にはもう漏らしている…という日常が続いていましたが、



最近は、



👨行ってこーい!



👦出ない!大丈夫!



👨いいから行ってこーい!



👦じゃあこれやってから!



👨いいから行けーッ(笑)ほれっ!



👦(トイレの前まで行ってから戻ってきて)
おとーさん、xxxってツムツム取った?僕取ったんだよ!凄いんだよ!でゃーってなってガーって出てきて消えるんだよ!僕30,000円貯めて🎁買ったら一発で出たんだよ!おとーさんなんで持ってないの?出なかったの?おかねな



👨わーったから行けーっ!(笑)行ったら聞いてやるから!



👦わかったー!漏れる漏れるー!



って感じて、行ってくれるようになりました(笑)

漏らさないようにする、という意識は強くなったようで、凄い成長を感じます。



他にも、

朝起き、着替え、顔洗い、うがい、朝ごはん、歯みがき、トイレ…

といった朝のセットプログラムも、着替えの時に少しだらけますが、ギリギリ予定時間を過ぎた直後には終わらせられるくらいになってきました。



今までは、

テレビで 花かっぱ が見たくて見たくて、

それまでに準備終わらせて、ご飯食べ始めよう!

と促しても、

全然間に合う時間(10分くらい前)にも関わらず、

動こうとせず、着替えようとせず、ストーブの前で裸で寝っ転がり、
ストーブが当たってる所が熱くなりすぎて



かゆい…



と言いながら、

花かっぱが終わったら着替える。

なんて言い出す始末で、

そこで一悶着起きて、
不機嫌になり更に何もやらなくなったり、
癇癪を起こしたり、につながっていました。

しかし、今では、



👨ほら、花かっぱ 始まっちゃったぞ!
 まだ歌だから、今のうちに着替えて、
 顔洗って、うがいしてきな!



と言えば、花かっぱの歌が終わって、本編が始まった直後くらいには席についているような感じで動いてくれるようになりました(笑)



元々、ADHDだろうと思うほど多動気味で、
いつも慌ただしく、じっとしていられないという特徴はあったため、

逆に、目的をもって動き始めた時の早さ、
慌ただしさはピカイチで、
やる気になれば行動が早いのは
将来良い方向の特徴となってくれたらいいなぁ
とおもっています。



でも、トイレとか、朝の支度とか、
これくらいの事は、
平均的な発達、という方向から見た場合、
1~2年くらい前(4~5才頃)には
みんな卒業していく事なんですよね。



昔から感じていた事ですが、

息子は、出来るようにならなければならない生活習慣について、

ちょうど健常児が出来るようになっていく時期から、半年~1年くらい遅れて出来るようになっていく感じがします。

少なからず同学年の子と同じようには、なかなかうまく出来ない事を理解している親としては、



多少遅れがあったって、出来るようになるならそれでいいじゃん(*^_^*)



と思っているので、

たまたまそのときに出来なくたって、ガミガミ言わずに自由にやらせてやればいいんじゃないかなって思っています。



大人でも同じだと思うのですが、

まだ不慣れな時に、自分よりも出来る人に見張られて、

ちょっとでも間違ったらガミガミ言われるような状況が毎日続くのは嫌なんじゃないかな。



慣れるまで暫くほっといてくれよ!



って言いたくなりますよね。

多分、そうゆうストレスをもろに喰らって、

怒られて、出来ない出来ないと言われ、

いざ、やるときになったらみんなから 出来るのかな… とマジマジと見られる。

そりゃあ、みんなのいるところではやりたくなくなりますよね。



そんな毎日を過ごしている息子に対して、
親としてやってあげられること。



ストレスをなくしてあげよう。

好きにやらしてやろう。

強要はしないよ。

プレッシャー掛けないよ。

失敗は、咎めることじゃなく、最高の経験。

何度も失敗し、笑って済ませばいい。

次、やりたくないという気持ちにならずに、
もう一度やればいい。何度でもやればいい。

躾、という大切さよりも、
見守る、という事の大切さを常に意識する。



これからの息子との生活、

こういう事を意識しながら

おおらかな気持ちで送っていけたら理想的だな。

■舌癌17 緩和ケア入院の開始

2016年7月14日(木)



癌発覚からおよそ10ヶ月。

続いてきた大変な治療も一段落し、

これから復帰のための生活を始めようとした矢先、

今までの痛み止めでは対処がしきれない状態となってしまった妻。

いよいよ主治医から、緩和ケアのための入院を勧められます。



また、単なる緩和ケアのための入院だけでなく、次の治療をどうするか、それを決めるための期間でもありました。



緩和ケアとは?



この言葉を聞くだけでも嫌な気分になる方も、なかにはいらっしゃるでしょう。

病気や、治療に耐えられず、治る見込みがないと判断されたときに開始されてしまう医療行為…

そんなイメージばかりが先行しているのが実情のような気がします。

緩和ケア病棟、なんて言われる施設があるのもその原因のひとつだと思います。

緩和ケア自体は、別にそのような場所に入らなくても、癌治療等を行っている一般的な大学病院や、癌専門の医療機関であればどこでも行っている医療行為であり、決して、死を待つまでの快適な暮らしを…といったネガティブな医療行為ではありません。



緩和ケアの主な目的は、

癌を代表とする、耐えがたい痛み、苦痛を伴う難治性の病気、怪我などに見舞われた患者の、痛み、苦痛を可能な限り和らげ、または取り除く事を目的として行われるものです。



しかし、目的の最終地点としては、

痛み、苦痛を取り除く事により、肉体的にも、精神的にも、可能な限り落ち着いた状態を維持出来るようにする事で、より適切な治療を受けられるようにし、QOL(Quality of Life:生活の質) を高められるようにする事が目的とされています。



結果として、

根治出来たり、
良く延命出来たり、
好きな事をしながら生活を送れたり、
辛くない余生を送ったり…

結果は "病状により" 様々ですが、

その間に、苦しむだけで時間が過ぎていく事や、
食べたいのに食べられない、
やりたいのにやれない、
治療を続けたいのに体全体の状態が悪くて治療を続けられない、

など、
いわゆる生活の質 QOL が下がり、

生きている価値がない、
希望が持てない、

といった状態になってしまわない為に行う医療行為だと理解した方が良いと思います。



そして、緩和ケア入院とは。

痛みや苦痛、そして、
薬による副作用(特に急性期副作用)に対して、
より適切な薬の量、種類等を確認し、
安定した状態を作るための期間として
行われる入院です。

一言に緩和ケアと言っても、
人により、病状により、
効く薬の種類、
量、
タイミング、
組み合わせ、
副作用、
すべて違います。

ただ、麻薬系の鎮痛剤を使えば痛みは取れる
なんて乱暴、かつ、楽なものではありません。

逆に効きすぎて、生活が出来ないレベルまで意識が低下してしまうような事さえあります。

そういった問題に対処し、
初期の副作用が発現し、それが落ち着き、
その人に合った安定した薬の投与が確定するまで、
最低でも1~2週間程度は掛かります。

そのための、薬の投与方法のプランニング期間が緩和ケア入院の目的です。



勘違いしないようにしたいのは、

緩和ケア入院なんてしたら、薬漬けにされて逆に殺されちゃう!

なんて安易な考えを持ってしまわないこと。

今よりももっと良い治療を受けられるようにするため。
生きていること自体が苦痛になり、希望を持てなくならないようにするため。

そういう生活、治療をするための基盤作りのために、

患者と、家族と、医師とでプランニングしていく事が大切なのです。

そういう取り組みに対して、緩和ケアという名前が付いただけであって、決して麻薬漬けにされて、訳も分からなくされてしまうなんて思わないで下さいね。






【ご注意】

以下で紹介する薬、量、摂取タイミング、組み合わせ、副作用等は、すべて妻の2016年7月時点での病状にあわせたプランです。

同等の症状でお困りの方であっても、ネットにこんな情報があったと医療機関に相談したり、どちらが正しいのかと確認されることの無いようお願いします。

緩和ケアは常に患者様自身の状態に応じて医療機関にて計画されるものです。ネットの情報は参考、予備知識程度と考え、この情報が正しい、間違っている、といった判断材料とされないようお願い致します。






改めて、2016年7月14日



緩和ケア入院の開始。

まず処方されたのは痛み止めの オキノーム。



オキノーム散
https://www.qlife.jp/meds/rx18285.html



最もお世話になった痛み止めです。

痛みの度合いに応じて成分量は変わりますが、非常に即効性があり、強い痛みでも消し去ってくれるほど強力な効き目があったようです。
(痛みの強さに応じて、成分量は増えていきましたが…)

また、一般的な投薬間隔は6時間ごとと決まりがあるようですが、

痛みがある場合に限り、1時間あければ何度飲んでも構わないと言われていました。

主な副作用は、吐き気・眠気・便秘。

使い始めた1日目は、強烈な眠気以外の副作用はなかったとのこと。

暫くこれで痛みのコントロールを続け、適切な量を決めていきます。






2016年7月16日



生検の結果が出た。

やはり舌癌の再発。

小線源治療をやる方向で話を進めてもらう。



オキノームの副作用がまあまあ強く、
飲むと15分以内に強烈な眠気。

薬を飲んで、暫く話でもしながら待っていると、突然意識を失うように、ベッドの上に座ったまま寝てしまう。

食事の前に薬を出して貰い、薬を飲んで痛みが消えたところで食事を食べようとする頃に眠気が来るため、
この頃は食事が出てきてから30分くらい先に寝てしまい、その後起きて食事をする。という具合に。



この日、
昔からスノーボードによく行っていた知り合いがお見舞いに来てくれた。



ヨーグルトをたくさんいただいたよ( ´艸`*)

その中のひとつに、
見たことのない、高級そうな飲むヨーグルト♪



あってるかどうかわかりませんが…
記憶の限りでは↓のヨーグルトだったはず。
四角い形で、白い箱入りだったヨーグルトなんてこれくらいしか見つからない。



プロテオグリカン入りヨーグルト
http://sakurabeautiful.com/?p=13479



口の中の痛み等で、食べられるものが限られることを伝えていたので、色々考え気遣って頂けたんだと思います。

本当にありがとうみんな(ノ_・。)






2016年7月17日



今朝は体重測定があった。

41.4kg。

入院時の体重と変わりなし。

けっこう食べてるんだけどなぁ…。



一時期は、痛みで何も食べられない状態だったが、オキノームを飲み始めてからは結構普通の食事が出来ていた。

ここ数ヵ月の食事量からすれば確かに多いが、
さすがに太れる量では無かったかな。



そして、痛み止めが一部変更に。

1日4回のトラマールから、

1日2回のオキシコンチンに。



オキシコンチン
https://www.qlife.jp/meds/rx18279.html



オキシコンチンは、即効性はオキノームに劣るものの、効果がゆっくりと半日くらいは続く痛み止め。

オキノームだけだと、痛みと、無痛との波が大きく、頻繁に痛みが再発してその度にまたオキノームを飲み、眠気に襲われるため、

一日中、痛みと眠気と追いかけっこをしているような感じであった。

これをオキシコンチンで大きな緩やかな波に変えていきつつ、強い痛みが出る前にオキノームで抑えよう、という感じか。





2016年7月19日



朝起きたとき、痛みが一段とヒドい。

起きてすぐ(6:00頃)ロキソニンを飲む。

7:00にオキシコンチン、7:30にオキノーム。



この頃から、オキノームの強烈な眠気が無くなってきた。

麻薬系の痛み止めは、短期的な副作用が強く出る傾向があるが、暫く続ける事で体が慣れ、消えていくらしい。



強烈な眠気はないものの、常にふんわり眠いようで

午前中は寝て過ごすことが多かった。



夕方、CT検査があった。

遠隔転移の有無を調べるためだったようだ。






2016年7月20日



朝の診察の時に、昨日のCT検査の結果報告。

遠隔転移ナシ!(≧∇≦*)

小線源治療への道、第一歩前進♪






2016年7月22日



息子の保育園での個人面談のため、保育園まで外出。

外出届を出し、妻は両親の車で保育園へ。

自分は会社を午後半休して、保育園で妻と合流する。

が、妻の調子が悪そう…

どうやら、来る途中の車の中で車酔いしてリバースしたらしい。

お昼ご飯せっかく完食したのに…と悔しがる。

保育園の面談では頑張って話を聞いていたが、眠気に勝てず。

頑張ってしまう性格のため、調子が悪いのか眠いのかわからず、途中でトイレに行くも帰ってこず、心配になって保育園の先生に見に行って貰う一幕も。
妻はトイレで寝ていたらしい。

痛み止めにより、痛みに苦しむ事は少なくなったが、起きて活動するということが難しいくらいの副作用が続く。

これら副作用と、痛みと、活動のバランスを取るのが難しいのだ。






2016年7月23日



昨日の保育園外出が思った以上に疲れたらしく、ほぼ1日寝て過ごした。

オキシコンチンの副作用(吐き気)がだいぶ出てきているっぽい。

吐き気止めを予防的に飲んでおき、少ない水で薬を飲めばだいぶ収まるみたいだ。








2016年7月25日



この日は、

顎の切除を伴わない治療法として
受けられることを期待している、
小線源治療を行っている東京医科歯科大学病院へ。

小線源治療の可能性を聞きに、
放射線科のY先生を訪ねます。



が、

この話は次回に詳しくお話をします。



とりあえず、小線源治療について話を聞きました。



ここでも色々な事がありましたが、
納得するまで話をし、
今日はいったん元の病院に戻り、
緩和ケア入院を継続します。






2016年7月26日



あまり眠れず、夜中に何度か目が覚めた。

眠剤もらえば良かったなぁ。

明日はいちばんつきあいの長い親友がお見舞いに来てくれるので楽しみ♪






2016年7月27日



朝ご飯食べたらリバース(;´Д`)!

食事の後に吐いたのははじめて。

最近、胸のモヤモヤがヒドくて、食べるたびにモヤモヤしてたけど…



吐き気を押さえる薬を
強いものに変えてくれるみたい。

これで少しはおさまって、
食べられるようになるといいなぁ…

ナウゼリン坐薬という吐き気止めに変えてもらって1時間後、だいぶ吐き気がとれてきた。



夕方、一番の親友がお見舞いに来てくれた!

親友のお母さんからもお見舞いの品をいただいたよ!

みんなが応援してくれてて、見守ってくれてるんだから、絶対負けるわけにいかないんだ!






2016年7月28日



お母さんが漢方薬をお茶にして持ってきてくれた。

漢方屋さんへ行って、
私に合うように調合してもらったんだって♪

今の症状と、これからやる予定の抗がん剤での副作用を考慮して作ってくれたもの。

味は、甘めでとても飲みやすい。



薬剤師の先生方が言ってたんだけど、
飲みやすい漢方はその人に合ってるんだって。






2016年7月29日



朝、体重測定したら39.8kgだった。

わ~!

ついに夢の30kg台に突入しちゃったよ!



東京医科歯科大学付属病院への転院日が
8/1(月)に決まった。

の~びり過ごそ~っと☆






2016年7月30日



ぜんぜんお腹がへらない!

そりゃそうさ。

午前中はダラダラ寝てばかり。

午後も動かずベッドの上。

それでも午後はストレッチしてるんだけどな。



お昼と夕方2回、嘔吐。

薬を飲むときの大量の水が原因っぽい。

水はチョビチョビ飲むなら大丈夫なんだけど、

一気に飲むと嘔吐反応が…。



今日は隅田川の花火大会だったのね。

入院してる部屋から、小さくだけど花火が見えた。



この花火は二人で病室から見ました。

この緩和ケア入院の頃から、土日含めると週に4日くらいはお見舞いに来ており、

一緒に夕飯を食べたり、

院内を一緒に歩いたり、

ただ一緒にいたり、

調子が良かったり、悪かったりしていたので、

無理をさせず、リラックス出来るように過ごしていました。



自分も以前、怪我で1週間ほど入院したことがありました。

とても辺鄙な所の病院だったのですが、
その時に、まだ付き合っていた頃の妻が2日に1回お見舞いに来てくれた事が物凄く嬉しくて、
病院に一人でいる時間って、

たった1時間でも物凄く長いなぁ…

なには無くとも、誰かが来てくれるだけで本当に嬉しいし、気持ちが楽になる。

と感じた事がありました。

たった1週間でもそんな気持ちになります。



そう思うと、

自分がお見舞いに行っても病気の状態が変わる訳じゃないし、病院にいるんだから、何かあっても一番安全な場所だし、大丈夫だよね…

なんて思うことは到底出来ず、

お見舞い時間終了10分前に着く事が分かっていても、

顔を見てすぐ帰る、という事が分かっていても、

それだけで気持ちは全然違う。

そういう想いを持っていつもお見舞いに行ってました。

実際、

プリン買ってきたよ!
じゃあねーッ! ヾ(@゜▽゜@)ノ

なんて事もよくありました(笑)






2016年7月31日



夜中の2時と5時に痛くて目が覚めた。

痛み止めをもらってなんとか寝られたけど

しっかり寝た気がしないなぁ。





ここまでの、

7月14日~7月31日の経過が、妻の緩和ケア入院の状況です。

結果的に、痛みと副作用の十分なコントロールとまではいきませんでしたが、

急性期の吐き気や、意識の低下、うとうと、ぼんやりなどの副作用も、どうすれば楽になるか本人なりにコツを掴み、

痛みも朝方薬が切れてくるタイミング以外はコントロール出来て、薬の量も決まり、安定した感じとなりました。



痛みをずっと我慢していた妻は、

うなだれ、元気がなく、何も喋ることも出来ず、食事も出来ずにいましたが、

痛みや、吐き気のコントロールが出来るようになってくると、食べる楽しみが戻り、一緒に夕飯やスイーツを食べながら話をする事も出来るようになりました。



私の気持ち的にも、



大丈夫かな…(ノ_・。)



という思いから、



楽しめる事は楽しみながら、治療頑張ろうぜ!



という思いに変わり、

心に余裕と、希望が沸いた事を記憶しています。



妻本人は、当然苦痛が減った事で相当楽になったでしょう。
食事も出来るようになり、笑顔が戻りました。

私としても、
妻の苦痛に耐えている事に対して、自分は何も助けてやれない、という思いが消えたことが何よりも前向きになれたと思います。

緩和ケアの効果ですね。



こうして、約半月の緩和ケア入院を経て、

いよいよ、命を繋ぐ最後の望み。

小線源治療のために、東京医科歯科大学付属病院へ転入院することになります。

■舌癌16 絶望と、希望と・・・

2016年7月10日



舌切除、

頚部リンパ節切除、

頚部放射線治療

と治療を繰り返し、やっと会社復帰と、これからの体力回復と、抗がん剤治療の準備の為に、ようやく前を向いて自分の足で歩き始めた妻の出足を払い、どこまでも付きまとい続ける病魔。



口内の強い痛みの為に救急対応を行った7月10日。

精密検査と、主治医の判断を仰ぐために

また会社を休んで病院を訪れたのは、その翌日。






2016年7月11日



おはよ~✨
調子は昨日と変わらず。
今朝は痛くて3:30に目が覚めた。



妻は、朝早くから痛みがあり、
痛み止めを飲んではいるが、今までのように効いてはくれず、食事もままならない状態に。



癌の再発は最悪の結果だとして、

それ以外の原因があるとすれば…



顎骨壊死は、まさかこんな早く起きる筈はない。

今回の放射線治療は、顎骨に当たらないよう注意しながら行っており、出来る限り壊死を起こさないように治療をしているのだ。

しかし、舌の付け根付近がえぐれ、
その深い位置、右奥歯の虫歯か、右耳の中耳炎か、
そういった類いの強い痛みが消えない事を考えると、顎骨壊死も想定される。

だとすれば、舌の付け根のえぐれた部分から、
骨が壊死した膿のようなものが出てくるために、
そのような変化を起こしている可能性はある。

起きる可能性こそ低いものの、
状況だけで考えれば、顎骨壊死もあり得る。

絶対にあって欲しくない事だが…



舌の神経がビリビリと激しく痛むのは、
口腔カンジダの可能性?それとも…

カンジダの画像を検索すると、妻の今の口腔内の状態に近い画像が沢山見つかってくる。

発生原因も、
放射線治療後や、ステロイドの多用、口腔内の十分な清掃不足(放射線副作用の悪化を防ぐために致し方無い部分が多分にあるが)、唾液の分泌不足など、全ての条件が合致する。

カンジダ、つまりカビ、真菌は、
非常に患部の状態が良くないときに併発する恐れのある、病状を更に悪くする原因にもなり、免疫力が落ちている証拠にもなる。

知らずに放置したり、
舌のかさぶたのような塊を綺麗にしようと磨いてしまったりすると、菌が血管に侵入し敗血症になる恐れもある。

治療に時間も掛かり、他の治療も止めてカンジダを先に治さなければならず、いま、そんな事に足を引っ張られてしまう訳にはいかない。



これら起きて欲しくない問題が起きていないかどうか。

癌の再発は無いか。

今の痛みを抑える方法はあるのか。



病院は大変混み合っていて、すべての検査が終わるまで長い時間が掛かったらしい。

血液検査、口腔内検査、触診、真菌検査、MRI

特に今回の検査では、
MRIで舌付け根のえぐれと、顎骨の状態、癌再発を早期発見するための検査という意味合いが強かったのだろう。



私は、色々な可能性を考え、

癌の再発が頭を過り、

しかし、悪く考えてはいけない、思えば思うほど悪いことが起きるぞ、と妻両親に釘を刺され…

辛い思いをしているであろう妻へ連絡します。



     いろんな言葉が浮かんで、消えて…

     心がメチャクチャだ

     痛みを取ってあげることが出来ない、
     無力で、悲しくて、辛くて、怖くて、



痛みを取るのは医者の仕事。
家族はそばにいてくれるだけでいいんだよ💕

明日、検査の結果聞きに行くから
一緒に来てね✨



これじゃ、どっちが励まされているのか…

本当に情けないm(__)m



この言葉を私に投げ掛けた時の妻の気持ちを
私は2017年5月頃に知ることになります。



この日、妻がひとり涙を流し、

言葉を失い、

明日、旦那様と一緒に結果を聞きに来て下さい。

と言われていた事を、私はまだ知りません。






2016年7月12日



妻と一緒に、昨日の検査結果を聞きに行きます。

妻は、妻の両親に車で送られ、義母と一緒に病院に来ます。



長い長い待ち時間…



ようやく呼ばれ、妻と私だけ診察室へ。
義母は外で待つ事に。

診察室に入った私たちは、MRIの画像を見ながら主治医の説明を聞きます。



舌右側切除部 ~ 舌右側の付け根
付近にあやしいモヤモヤが写っている。

癌の再発の可能性が高いです。
確定診断の為に生検が必要です。



と。



妻は、何も言わずポロポロと涙を流します。

私は、一瞬言葉を失い、

妻の手をぎゅっと握り、



手術では、癌を取りきったんですよね?



と、何を求めているのかわからない言葉で、沈黙を遮ります。



手術では、ちゃんと安全域をとって癌を取りきっています。切除断面にも癌は見つかっていません。

癌は数年掛けて大きくなっていくんです。
通常はこんなに早く癌が広がる事は少ない。
しかし、10人に1人くらい、大変アグレッシブな動きをする癌があります。

手術の時にも言いましたが、
奥さんの癌は浸潤性が高い癌で、あまり一ヶ所に固まっていない。

そういう癌は、癌が手を伸ばしていなくても、
突然近くのリンパや臓器にジャンプすることがあります。



主治医の先生はMRIの画像を見せながら、淡々と続けます。



舌の切除部分と、
口腔低(舌の付け根など、舌の下の部分)に影が広がっています。

これがもし癌だとした場合、

外科手術で、舌を半分以上切除(亜摘出)と、
右顎の骨を区域切除、または、半分近くを切除して、その周辺と、口腔低の肉をすべて一塊として切り取る必要があります。

当然、右下の歯もすべて無くなります。
舌も、以前は神経を残して切っていますが、今回は神経ごと切る必要がありますから、殆ど動かなくなります。

ただ、切ったままでは傷を閉じることが出来ませんから、別の部位から肉を持ってきて、切った部分を移植により補います。

舌も再建します。

その際、十分な血流が見込める血管ごと肉を移植しないと、切った肉が壊死して落ちちゃいますから、そうならないように顎の血管を縫合して、血流を確保したものを当てる必要があります。

通常、肉を補う場合は、お腹、お尻、太股、腕などから切り離した肉を使うことが多いのですが、顎への移植の場合、顎に流れる太い血管が人間には1本しか無いため、この血流が妨げられるとすぐに肉が腐ってしまう。

そのため、切り離した肉を使った移植(遊離皮弁・ゆうりひべん)を行うのはややリスクがあり、最近は組織を切り離さずに繋がったままの組織を使って移植(有茎皮弁・ゆうけいひべん)をする方が良いとされています。

ですから、もしやるとすれば、右肩~右胸辺りの肉を切り取り、首付近の肉は繋げたまま肉をねじり、顎の中に入れて繋げる、という方法がいいと思います。

切り取った肩、胸の所は皮膚の代わりになる医療用の網のようなものを被せて、治癒を促します。
他の肉などで整形するかどうかは癌の再発がない事が確実になってから考える事ですね。

歯も、癌再発が無い事を確認してから口腔外科などと協力して、歯茎や歯を再生させることも出来ます。最低でも3~5年後くらいの話ですね。

傷が癒えて、残った歯でものを噛んで食べられるかどうかは、半年後くらいからリハビリすることになると思いますが、顎骨を切りますから噛むのは難しくなります。

顎骨の区域切除なら、切った部分を補う金属プレートか、人工骨で、骨と骨を繋げて噛めるようにしていきますが、顎骨を半分切除してしまうと、右耳の方まで骨が無くなりますから、その場合は金属プレートなどで補う事は出来なくなります。

金属のプレートも、人工骨も、体からしてみれば異物のため、周囲が膿んでしまい、体の外に排出される事もしばしばあります。
いずれにしても、そうなってくると噛むのは難しくなりますね。

まずは、先の事よりも、癌を何とかしなければいずれにしても顎は無くなりますから。
すぐに準備を始めて、最短で8月24日に手術の予約を入れておきましょう。



悪性腫瘍切除後再建
慶應義塾大学 整形外科学教室
http://prs.med.keio.ac.jp/akusei/



遊離皮弁壊死への対応
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjshns/27/2/27_141/_pdf



口腔癌切除後の有茎皮弁再建についての検討
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsot/25/4/25_142/_pdf



ただ淡々と話を進める主治医と、

あまりの治療内容に絶句する私、

静かに涙を流し続ける妻…



顎の半分を切り取る…
あれだけ痛がっていた舌もまた切る…
もし、この手術が上手くいったとして、
妻は、食べ物を食べることは出来るのだろうか。
人として生きていく事は出来るのだろうか。

治療をしなければ、これ以上に辛い結果が待っている。



治療を選ぶも地獄

諦めるも地獄



…絶望しかありませんでした。



もし、手術が上手くいったとして、
妻は食事は出来るようになりますか?
いつ頃から食べられるようになりますか?



少なくとも、半年は経管による流動食。
嚥下リハビリを行って、飲み込みが出来るようになれば、その後は口からヨーグルトなどから始め、徐々に流動食を食べられるようになるでしょう。

私の患者で同じ手術をして、
片方の顎だけでお煎餅を食べられるようになったお爺さんもいらっしゃいます。



最高の結論だった時はそうなるんでしょう。

しかし、

個人的には、上手く行く結果だけを見て、悪いときの結果を考えずに進んでしまい、とてつもない、とても人として耐えきれないような苦痛を妻に与えることは絶対にしたくない。

怖がって治療しない、という事ではない。
この先、自分がどうなるのか見通しが立たなければ、希望を持つことも出来ない。

希望を持てない治療をしても、癌以外の苦痛によって生きる力、意思を無くしてしまうような結果にだけはなって欲しくない。

生きる力を治療によって奪われ、
生きながらにして絶望をし続け、
殺して欲しいと懇願されるような未来を描きながら今の治療に立ち向かっていく事など、どんなに強い人でもそれは無理だ。

もし悪い結果になってしまったとしても、
それでも希望を持って生き続け、
もし癌に負けてしまうような事になっても
癌以外の、死ぬことさえ出来ないような苦痛を
常に感じ続けるような、
そんな人生を妻には送って欲しくない。

だからこそ聞きました。



もし、その手術をして、
万が一、今回のように癌が再発したら
妻はどうなりますか?



今考えるべき事では無いと思いますが、
もしそうなった場合は、
切った傷口が繋がらずに、下顎はすべて無くなり、
下顎が無い、という状態で大変な苦痛を感じる事になるでしょう。
当然出血も続くようになりますから、
その状態でどれだけいられるのかは今はわかりません。



そうですか…



今回の再発までに掛かった期間およそ半年。

直感的に、

最悪の場合、半年後には妻はそのような状態になる可能性がある。

手術結果が悪ければ余命半年…
しかも想像を絶する苦痛が待っている…

そう感じました。



もしうまくいったとしても、
そんなツギハギだらけの顔で生活している人を、私は見掛けた事がない。

治ったとしても、生き続ける事が難しいのか、
家に籠ってしまうのかわからないが、
とても妻がそんな生活でもいいと、心の底から思うとは到底思えない。
たとえ命が助かっても、だ。



その後、

手術をせずに抗がん剤による延命治療の可能性について話されましたが、
口腔癌、扁平上皮癌は抗がん剤が効きにくい事が、統計上で分かっています。

まだ根治が望める方法は切除しかない、とされ、

もし抗がん剤で癌がとても小さくなるようであれば、その時はサイバーナイフによる治療も検討出来るかもしれない、という事だ。



サイバーナイフ
wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95



1週間後までに、家族でよく話し合って決めてきて下さい。



あと、今日やるべき事として、
この画像診断結果が本当に癌の再発かどうかの確定診断をしなければならないため、舌の生検を取らなければなりません。



と言い、妻の口の中にゼリー状の麻酔薬を含ませて、生検の準備をしていきます。



麻酔が効くまでの暫くの間、先生と話を進めます。



先日、痛みが酷くて救急対応頂いたのですが、
痛み止めがあまり効かず、処方されている薬でも耐えるのが難しい感じがするのですが…



多分、緩和ケアの為の入院をした方がいいでしょう。

緩和ケアというと、末期症状の方がやるものだという意識があるかもしれませんが、
癌治療と緩和ケアは、癌治療における2本柱で、
どちらが欠けても治療が上手く進まないのです。

もっと強く効く痛み止めはありますが、救急などでは処方出来なくて、入院管理の中で、どの薬をどれくらい使っていけばよいのか決めていく事になります。

奥さんの痛がり方を見ると、緩和ケアを始めるのがいいと思いますよ。



このとき、麻薬系(モルヒネ系)の薬の事など色々聞きましたが、今回は割愛します。

早く痛みを取ってあげた方がいいと思いますので、明後日、7月14日から入院出来るようベッドを予約しておきます。
そのまま切除手術まで入院で管理して行きましょう。
その方が奥さんも安心でしょ?



麻酔の効きを待っている妻が、
口を開けたままウンと頷きます。



なお、
今回の検査前に懸念していた

顎骨壊死、口腔カンジダ

は、検査の結果どちらも起きていない事がはっきりしました。

良かった…

しかし、だとすると今の痛みはすべて癌再発の仕業となる。
どちらも嫌な事だか、結果的に最悪の結果だったということだ。



それでは検査が終わるまで外で待っていて下さい。



私は外に出て、義母へ今の話を伝えます。



………



もう、それをするしか無いの!?
その手術をすれば助かるの!?



助かるかどうかは、わからないんです。

もう、ここからは命を掛けたギャンブルでしかない。

やってみて、
結果が良くても、どれだけ生きられるか。どこまで生きる力が回復するか。
結果が悪ければ、最悪の結末が待っている。



抗がん剤で、癌が小さくなって
癌と共存していく事が出来てる人だっているじゃない。
そういう方法はないの!?



それは、
根治が望めない人が選択する方法であって、あくまで延命治療です。

もし抗がん剤が効かなければ、何もせず放置したのと同じ結果が待っている。

そうかどうかの結果が出るまで、少なくとも2~3ヶ月の抗がん剤治療を行い、結果をみなければいけないんです。

その時、結果が悪かったからといって、今回の手術をやっぱりやります、とは言えないんですよ。

そうなったらもう根治は望めないんです。

まだ根治が望める今のタイミングで、あえて根治が望めない方法を選択しますか?
妻がそれを望むとは思えないんです…



もう何も他に出来ることは無いの!?



他に出来ることが無いか自分も調べます。
手術をするかどうか、1週間後に伝える事になっています。それまで考えます。

ただ、この癌のプロフェッショナルが、この方法しか根治が見込める方法は無い、と言っているんです。今の状況はそういう状況なんです。



そんな話をしながら二人で涙を流している所に、妻が生検を終えて診察室から出てきます。



妻をぎゅっと抱き締め、背中を何度もポンポンしながら、何も言えずにいると、



そんな顔しないで(*^_^*)

まだ死ぬと決まった訳じゃないよ。

そんな顔をしないで…



一番辛いのは、妻なのだ。

治療をしなければ、何をするか決めなければ、

という苦しみが待っている。

どんなに辛くても、逃げたくても、

決断しなければならない。

諦めている暇などない。

絶望なんかしてる時間はない。

生きるために何をすべきか、

考え、決断し、覚悟を決めなければならない。



妻は、今回の報告を受けて、

どうしても話をしておきたい人がいる。

と言って、病院地下にある放射線科へ向かいます。

義母は、誰かに連絡をするのか、携帯を持って 上で待ってるからね とそこで待ちます。



つい先日まで治療を受けていた放射線科。

その担当医であった女医さんが、とても親身に話を聞いてくれる良い先生だという。

とてもフランクな話し方をする方で、名前が純粋な日本名ではない事から、恐らくハーフの方なのだろう。

急な訪問だったが、ちょうど診察がすべて終わるタイミングだったため、快く私たちを迎えてくれた。



妻が、

再発しちゃったみたいです…

と伝えると、



ええー!
ついこないだ放射線終えたばかりなのに…
再発って、どこ?



と言いながら、電子カルテを見始めます。



舌と、口腔低か…
場所が切った場所だもんね、転移じゃなくて再発なんだろうね。

確かに、放射線治療は頚部リンパ切除後の掃除としてやってるし、転移予防だからねー

しかも顎の中には直接は危なくて当てられないから…でも、それでも20、30グレイくらいはその場所にも当たるはずだから、ある程度予防くらいにはなるかもしれないけど…

そっかぁ…

で、主治医のH先生は何て言ってるの?



下顎の半分を切って、胸の肉を持ち上げて再建するしかないって…



でもそれじゃ何も食べられなくなっちゃうじゃない!
んー…もう少し早く気づいていれば、切らなくても放射線で十分治療出来たと思うんだけど…



半年は経管だろうって。
歯とかを再建するのは3~4年掛かるみたいです…



先生は妻の背中を撫で、無言で妻の気持ちを受け止めます。

私も、妻も、涙が溢れ、我慢していた感情が溢れてきてしまいました…



私から先生に訪ねます。



正直に言います。
今回の顎切除治療は、どうしても他に出来ることが無い時の最終手段だと思っています。
他に何か治療方法はありませんか?



本当は、舌に出来た小さな癌が対象なんだけど、同じような口腔低癌に対しても根治できた放射線治療があって、私実際に見たことがあるんですよ。

小線源治療といって、医療用の放射線を出す針を舌に刺して、その周囲の癌だけをやっつけるやつ。

ちゃんとした設備がないと出来なくて、子宮頸癌や、前立腺癌にはうちの病院でもやってるんだけど、口腔癌で出来る所は少ないんですよ。

この辺で有名なとこは、
癌研有明
東京医科歯科大学放射線科ならやってるんですよ。医科歯科大学は症例数も非常に多く、日本で一番治療成績残してる所なんですよ。



舌癌の小線源治療について
広島大学病院
http://home.hiroshima-u.ac.jp/housya/medical/disease11.pdf



東京医科歯科大学 放射線治療
http://www.tmd.ac.jp/medhospital/medical/department/housyasen.html



実は、東京医科歯科大学で小線源治療やってるY先生と友達で、本当に素晴らしい技術のある先生だから、もし小線源治療やってみるなら、私から連絡しておきますよ!
あと、主治医のH先生にも伝えるようにするから、もし本当にやるなら私のところに来て。全部話つけてあげる!



小線源治療ってどんな…



まだ知識の無かった私たちは、小線源治療に対して聞きまくりました。

また、小線源治療がダメだった場合に、主治医の言っていた切除手術は可能か聞いたところ、状況にもよりだけど、出来ないという事は無いはずだよと。



これは…いけるかもしれない。まだ残された治療法があった!



その場で過去の治療実績などを調べ、すぐさま



やる方向で調整します。早めに結論を出します!
ありがとうございます!
これが唯一の希望です!



といって、この治療をやりたい事を義母に伝えに行きます。



義母に伝えると義母もすぐに納得し、
もう、今すぐやるって先生に伝えてきなよ!
と言われ、もう一度地下へ駆け降り、先生にその旨を伝えます。

明日朝イチで主治医に伝えておくから、主治医からの連絡を待ってくださいね。

と快く引き受けて頂きました。



絶望のなかに見えた、唯一の希望…

7月12日、たった1日の間に起きた天国と地獄。

私たちは、小線源治療にすべてを掛けてみる事にしました。



そして、

主治医からの報告を待ちつつ、
2016年7月14日、妻の緩和ケアが開始されます。

■舌癌15 過去最悪の痛み

2016年7月1日



頚部放射線治療後、

約1ヶ月弱経過し、喉の荒れ、味覚障害も収まり、ようやく好きな食べ物が食べられるようになった頃。

抗がん剤以外の治療を終えた一旦の快気祝いと、これからの順調な回復を祈って、しゃぶしゃぶを食べに行ったのは前回までのお話。



その食事の最後で、小さな錠剤の薬が舌の付け根付近にはまって取れなくなり、痛みが。



舌の付け根に出来た潰瘍が酷くなり、
潰瘍の真ん中が窪みのようになっているような感じで、そこに物が詰まってしまう。

しかし、

潰瘍は、恐らく放射線潰瘍で、
舌や口腔内に無数に出来ており、そのうちの1つがたまたま物が落ち込みやすい場所に出来てしまっただけ。

そんな風に思っていました。

思うようにしていました。

悪く考えればいくらでも悪く考えられる事は沢山ある。

口の中の潰瘍なんて、
考え次第ではすべてが癌の再発だとさえ思える。

そういうなかで癌を治す為の治療だと信じてこの治療を続けているのだから、悪いことばかりを考えてしまう訳にはいかない。



少し心配をしながらも、
放射線治療の早期副作用の影響は、治療後半から約2ヶ月近くは続く可能性があり、

挽期副作用は半年~1年後などに起きる事が多く、

小さな変化で一喜一憂は出来ず、慎重に経過を観察し、かつ、出来る限り早く主治医へ相談する事が大切。

主治医への相談は救急ですぐに出来る事になっている事と、口腔内の荒れにはケナログ(ステロイド系の軟膏)が処方されており、まずは薬を塗りながらよく経過を観ることに。



7月1日からは放射線治療の経過を見ながら、次の抗がん剤治療の計画を立てていく期間とし、

2015年11月下旬から続いていた会社の長期休みを一旦終えて、会社復帰する日でもありました。



妻は、
共に過ごした家よりも、実家の方が会社に近く、
かつ、もしもの時にすぐ動ける両親がおり、
会社の送り迎えも可能ということで、
息子もいる実家から会社へ行くことに。



いざ会社に行ってみると、
椅子に座っているだけでも体力を消耗し、

以前は電話番もしたので、リハビリの為に続ける事を申し出たようなのですが、舌足らずなしゃべり方のため相手に言葉が伝わりにくく、



ものすごい疲れた😰



と。

食事も昼の時間だけで食べきることが出来ないため、小さなおにぎりやゼリーなどをちょこちょこと取りながら、

その度に口腔ケア用のスポンジで口の中を綺麗にしなければならないため、



自分のやるべき事が出来ていない…



と申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったようです。



それでも、

会社の仲間は、妻の体の事を気遣い、

出来ることだけしてくれればいいんだよ。
辛かったら休んでいても、横になって寝ていても構わないよ。

と、大変理解をしてくれたそうです。
本当に有り難い事です。



しかし、

そんな頑張りも束の間。



2016年7月4日

仕事復帰してからわずか4日後。



舌が沁みて、舌の付け根に出来た窪みに物が詰まりやすく、痛くて食べられない。



と連絡が。

出来るだけ刺激の少ないもので、カロリーが取れるものを、ということで、カロリーメイトのチョコ味を牛乳に溶かしたものを主食に、お粥を少々。

しかし、お粥はごはん粒が舌の付け根に入りやすいため、パンの方が良くないか?と勧めてみたが、ごはん派の妻は、どうしてもごはんが食べたいと。

ただでさえ食べられないため、好きなものを食べる事がストレス解消にもなっていたようです。



放射線治療後、

味覚障害、口腔内の荒れなどから殆ど何も食べられずに数日を過ごしたために、体重も目に見える早さで減少。

それを少しでも元に戻そう、という意気込みもあったでしょう。

何とかどうにか食事をし、
これくらいの事が出来なかったら元気になれない、会社復帰できない、
と気合いで食べて、元気に振る舞っていたのかもしれません。



そして、
舌の痛みに耐えながら1週間の勤務を頑張り、

7月9日、10日の土日

久々に家族3人で我が家に帰り、ゆっくり過ごしてみる事に。



その時の7月10日(日)、最悪の事態が起こります。



朝からゆっくり起きて、家族の団欒を楽しみながら、妻は朝から昼まで掛けて食事を続けていた時でした。



痛い……



と右頬を押さえながらテーブルにうずくまっている。



大丈夫?



また舌の付け根に物が詰まって、そこから激しい痛みが続いているらしい。

何度か詰まりを取ろうとうがいをしにいったが、詰まり物は取れたのかどうかわからず、痛みだけは続いている。



痛み止めにロキソニンを飲むもすぐには改善されるわけもなく暫く痛みに耐えていたが、遂に限界が。



頬を押さえ、

しくしくと涙を流しながら、






お腹がすいてるのに食べられない…!



痛くて何も食べられない…!



もう死んだ方がましだ!!






妻の初めての弱音でした。

異常を感じてから約1年。
手術等、癌治療を初めてから約7ヶ月。
舌切除、
頚部リンパ切除、
頚部放射線治療
放射線副作用による口腔内の激しい荒れ、
味覚障害と痛みで食事が殆ど食べられない1ヶ月。

やっとこれらを乗り越え、

ようやく食べられるようになった矢先に起きた舌と、舌の付け根の痛み。

今まで、
痛み等の状況を話してくれた事はありましたが、弱音を吐いた事は一度もありませんでした。



この時感じていた痛み、

どんなに治療をしても無くならない辛さ、

少し良くなり、前を向こうと思った瞬間に出足を払われ、次の異常が起きるという繰り返しが起きる悔しさ…

相当辛かったんだと思います。

気丈に振る舞っていましたが、相当我慢していたんだと思います。



処方されている痛み止めを使っても痛みはひかない。

妻は助けを求めている。

これはもう、経過を観ている状況ではない。



そう感じた私は、すぐさま病院の救急外来に連絡。



「今すぐ連れてきて下さい」



と言われ、夢中で遊ぶ息子に



お母さんが大変なんだ。すぐに病院に行かなきゃいけない。



と言い、嫌だ嫌だと駄々をこねる息子と妻を抱えて車に乗り、病院へ向かいます。

家から病院は車を飛ばして約20分。

この時、お昼少し前の11時くらい。

少し駄々をこねていた息子を車の中で説得し、

妻の両親に、すぐ病院に来て貰うよう連絡し、

病院の救急車が停まるスペースの横に車を停め、



急患です!すぐに車どかします!



とだけ伝えて病院に駆け込みます。



少しの待ち時間…

妻が痛みに耐えている間、息子が言うことを聞いてくれる筈もなく、下手に両方どうにかしようとすれば、余計に妻のストレスになるため、とにかく子供の相手をしながら待合所で待つことに。

妻はうずくまったまま。

その間に妻両親が到着。

自分の車を駐車場に移動してくる、と伝え外に出ている間に妻は診察室へ。

自分が戻ると、妻両親から

今診察室入ったよ。

と伝えられ、息子がここにいたら妻の方に集中出来ないからと、

妻を頼む。

と言われ、息子を連れて遊びにいってくれることに。



その後、診察室から車イスで出てきた妻に駆け寄り、車イスを押す看護師に状況を聞きます。

腕には点滴。

日曜日のため主治医、担当医は居なかったが、同じ耳鼻科の当直先生がいたため、状況はすぐに把握。

口腔内の診察はするも、急患外来で出来る事は限られており、今は点滴で痛み止めを入れるしかないという。

薬名は忘れましたが、救急外来で即座に使える痛み止めはロキソニンボルタレン同等のものしかなく、緊急手術などにならない限りこれ以上の処置は、今は出来ないと言われました。

30分程で効いてくるだろうから、暫く頑張ってと言われ、救急外来用のベッドへ。

付き添い、暫く様子を見るも、痛みはひかない様子。

そんなさなか、妻から言われます。



まだ点滴時間掛かるし、お腹すいたでしょう?
売店で何か買って食べてきなよ。



涙が出そうになりました。



妻がこんな状態でご飯なんて食べる気にならないよ…と伝えるも、



日曜は売店のお弁当とか少なくて、すぐ無くなっちゃうから早く行った方がいいよ。
どうせ待ってもらう事しか出来ないんだから、今のうちに行ってきな。



と、自分の事より私の事を気遣う妻。

これでは行かない方が妻に気を使わせると思い、売店へ。

おにぎり2つ程を流し込んで、すぐに妻の元へ。



点滴開始から30分以上経過するも、まだ痛みはひかないらしく、様子を見に来た看護師に伝えます。



座薬の痛み止めも使えますが、使いますか?



との提案。
お願いします。と伝え、座薬を入れて貰う。



それから数分後、

すうすうと寝息をたてて寝始めました。

やっと痛みから解放されたようです。



それから1時間くらいでしょうか、暫く付き添い、穏やかに寝ていましたが、

点滴も終わり目が覚めた時に痛みを聞いてみると、



まだ痛い…

歯痛と、中耳炎が同時にドーンと来た感じ…

でもさっきよりはだいぶマシ。



と。



改めて耳鼻科の先生に呼ばれ、診察室へ行き、状況を聞きます。



痛み止めは、救急外来で出来ることに限りがあること。

今の状況の判断は、まずは主治医に見て貰うしか判断のしようもないということ。

これだけ痛みが出ているのであれば、明日必ず病院に来て貰って、今後の治療をどう進めるのか確認が必要なこと。

舌の付け根には、小さな窪みが出来ていて、これが何なのか、今この場では答えが出せないこと。



いずれにしても、

今日は一度帰り、明日もう一度主治医の診察を受けなければ、これ以上何も出来ない事と、

救急外来というのは、以外と出来ることが限られていて、今の妻の病状に対して適切な処置は難しいんだな。

という事が分かったので、一旦妻を連れて実家へ帰る事に。



その頃、息子は近くの水族館に連れていって貰い、ご機嫌で帰ってきました。



全ての状況を妻両親に伝え、
明日、朝イチで病院に行かなければならない事をお伝え。

妻の会社に、明日は検査のため休む事を友人にLINEで連絡。

自分も休みを取ろうとしましたが、病院には実家から送って連れていってくれるので、自分は会社に行きなさいと言われ承諾。



夜、自宅に帰り、舌の痛みについて色々調べていくと、気になる症状が。



口腔カンジダ
wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%85%94%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%80%E7%97%87



口腔カンジダ
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mmj/58/2/58_17.004/_pdf



出てくる情報の通り、妻の舌には放射線治療副作用による黄色いかさぶたのようなものが多く出来ていた。

先生にも相談していたが、放射線治療で必ずそういう状態になるらしい。

また、それを剥がしたり、磨いたりすると、出血もするし、余計に舌が荒れてしまってもっと酷くなるため、剥がしたり磨いたりせず、自然に剥がれるのを待つ方がよいという。

しかし、

口腔内の荒れを治すために、ステロイド剤のケナログを長期に使っており、舌の付け根にも塗っていた。

しかし治るどころか悪化しかしていない。

もしカンジダだとしたら、悪化して当然の事を繰り返している事になる。



ただ、痛みの本体は…

放射線潰瘍ならまだ治癒の見込みはある。

顎骨壊死、癌再発の可能性もある。

それは然るべき検査で明らかになるだろう。

まずは、今起きている症状からして、気になる所は潰しておきたい。



翌朝、仕事に行く途中で病院へ電話し、今日診察に行くためカンジダの検査も検討してほしい、と伝える。



実はこの頃、妻がずっと実家にいたため、妻両親にもあらゆる情報を伝え、何か感じる事があればすぐに病院に相談するよう伝えていました。

しかし、

"悪いことを考えると悪い方に行ってしまう"

という考えが妻実家にあり、
いつでも

"大丈夫大丈夫"

と思っていれば大丈夫だから、と目の前で実際に起きている事からは目を反らし、いざ本当に悪いことが起きたときには

"じゃあどうすればいいの?"
"その時に考えればいいのよ"

と、どうしても

"仮定 と 準備"

という事に気持ちを向けたがらない。

また、対策自体も架空の話なんだから、考えても仕方がない、と、思考を巡らす事にストレスを感じるらしい。

自分の言った事はことごとく遮られ、逆に

"どうしてそういう悪いことばかり言うの?"

ととても疎まれていた感があった。

妻もそのような家庭で育ったためか、同じような考えがあり、自分が心配しすぎる事に対して、

"治すのは医者。私たちはそれに従えばいい"

と、私の心配を聞き入れなかった時期でもあった。
そのため、どうしても気になることは直接病院へ伝えるしかなかった。



2016年7月11日(月)

早朝から痛みがあり、あまり寝られなかった様子。

妻は病院へ行き、痛みと、舌の付け根の異変を伝え、至急MRIで検査することに。



結果報告は明日。

今までの検査よりもだいぶ結果報告が早い。

恐らく院内の医師だけで確認し、各地の画像診断士による評価無しに結果を出すという事だろう。



明日の結果報告には旦那さんも来られるようにしてください。と言われたよ😄



と明るく連絡が来たが…

このとき、

妻は、とても一人では受け止めきれない、

とても辛い結果となるかもしれない事を、

一人で聞いてきていたのでした。

■漂流04 Turning point

2017年12月29日



今年もあと3日程で終わりですね。


最近、月日が経つのがとても早いと感じるようになりました。

何かに追われ続けている証拠かな…と思います。



ブログを開設してから4ヶ月が経過しました。
2017年8月末くらいから始めていたんですね。

妻が無くなったのが2017年6月末ですから、
それからちょうど半年です。

もう半年で一周忌です。



今年は、激動の1年でした。

本当に色々な事がありました。

まさに人生最大のターニングポイント。

何もかも、生活の基盤そのものが根こそぎひっくり返されました。



年齢41歳。

数え年で42歳。

男の本厄年。

やはり、昔からの言われには何か根拠があるのでしょうか。

それとも、誰かが考えた定期的に儲ける仕組みの成れの果てか…

今まで、厄払いは自分も妻も続けて来ましたが、効果はあったんでしょうか。



この1年を少し振り返ってみたいと思います。

まずは直近の出来事から。



今後の生活拠点について。

2018年4月、息子が小学生に通うときから、
私の実家近くに家を借り、
私の実家の力を借りながら
息子と2人で生活をしていく事に決まりました。

当初の予定航路、妻の実家近くに家を借りて義父母の協力を借りて生活をするという方向から、大きく舵を切って進路変更した形です。



この方法が可能なのかどうか

その判断が正しいのかどうか

妻側の義父母の思いはどうか

両家関係者の思いはどうか

両家跡継ぎ、墓守はどうか

自分の仕事は継続可能か

勤務形態の相談はどこまで可能か

妻側実家付近で暮らす場合と
私の実家付近で暮らす場合の
将来のお金の問題についてはどうか

完全父子家庭としてやりきれるかどうか

行政で出来ることはどこまでか

民間サービスで出来ることはどこまでか

息子の生活環境としてはどうか

発達障害の理解に対する環境は整っているかどうか

亡き妻の供養に対する問題はないか

私は、私の人生を送れるのかどうか…



これらをすべて判断、解決、ある程度の結論を出すまでに、約3ヶ月を要しました。



私の実家には精神障害の兄がいるため、両親も協力が難しく、実家にも上がれず、息子の面倒を見るのは難しいとされていたことは、以前の記事にも書いていますが、

これも、兄のいる場所への干渉さえ無ければ、
私の息子の為に全面的に協力をする、全ては息子を優先に考えて行動して欲しい、と、兄から両親へ伝えており、兄の理解を得ることが出来たと思っています。

実はこれがなかなか凄いことで、
今までの兄の状況からすると、自分よりも他人を優先で考えなさいと言うことなど、病気の影響でなかなか難しくなっていたので、これは大きな大きな変化でした。

兄は、今でこそ病気に苦しんでいる状況で、回りの事など考える余裕などありませんが、
現役で頑張っていた時は、世界中のIT技術、特にインターネットに関わる技術の礎を築いてきたチームに属し、世界中にその新しい技術を展開していった人たちのうちの一人でした。

弟の私が言うのもなんですが…
お世辞抜きのキレ者なので、精神障害というハンデを負っても、判断力、理解力はずば抜けており、今でもやるべき事については完璧にこなす、信頼が出来る兄です。

その兄の気持ちを動かせた事で、今回の新しい生活のスタイルが決まったようなものです。



まだまだ、引っ越しや生活の形を作るのは2月、3月の話ですが、既に引っ越し先は決まっており、1月中旬には入居が可能になりました。

ただ、今息子が通っている保育園は卒園させてやりたいので、家賃は3ヶ月ほど二重に掛かってしまいます。

しかし、
それでも、妻の実家付近に住んだ場合の家賃と、ほぼ同額しか掛からないため、3ヶ月くらいなら痛くも痒くもありません。

早くから引っ越し準備を進められるのは、時間の無い自分にとってはとても助かる話です。



住宅の話で言えば、

都営住宅の応募もしていましたが、12月22日に結果が出ました。

7倍抽選枠で申し込みましたが、かすりもしませんでしたね。

そもそもが、自分と息子の人生すべてを掛けた博打みたいなもので、

外れ続けたら、全財産尽きるまでのチキンレースになることはわかっていましたので、妻実家付近に住む、という選択肢しか無いと思っていたときは、本当に悩みました。



ちなみに、都営に外れたときの都内の住まいで、ここなら大丈夫かな?と思えたところは一軒もありませんでした。



自分の実家とも、

疎遠ではありませんでしたが、なかなか会いに行ける機会もなく10年程が経ちましたが、今回の引っ越しを期に、孫の面倒を見て貰うことになりました。



仕事の方で直近の出来事といえば、

仕事内容、仲間は全く変わりませんが、
同グループ内での業務移管、転籍により、会社が変わりました。

不満はまったくない転籍なのでいいのですが、またなんでこの時期に重なるんでしょうね。大変なんだから勘弁してくれ~💦
と思いつつも、新しく関係を持つことになった転籍先の方々には、本当に良くして頂き、ご理解頂き、今までよりも環境は良くなったと感じます。

このような仕事上の変化がこのタイミングにあったことも、ターニングポイントとしての意味合いは強いですね。



息子についても、

ADHDもとい、ASDの記事の方でお話ししている通り。特にここ1年は本人も、回りの人も、本当に色々な事がうまくいかず、とても辛い思いをしていると思います。

環境を変え、環境要因でやってはいけないという事を減らし、伸び伸びと生活し、学び、出来る限り他人との関係を築けるよう、また、得意なことが見つけられるよう、沢山の経験をさせてやりたいと思っています。



妻の事についても、

2017年の状況はまだ記事としてまとめられていませんが、
亡くなってから半年たった今でも、何かの切っ掛けであらゆるシーンを思い出し、涙が出てしまう事もあります。

本当に沢山の事を経験し、言葉は交わせなくとも言葉以上にお互いを理解し、自分に出来る、自分にしか出来ないことを、命が失われる瞬間まで続けてきました。

最後の2ヶ月間は、ナースコールを一切押さなくてもよいほどに、妻の命を支え、痛み辛さを取り、負担を掛けず、今までの人生の全てのありがとうを形にし、互いに心をひとつに重ねて命をまっとうしました。

本来であればまだ数十年もの間、共に生きていく筈だった時間のすべてを、数ヵ月に凝縮したような、非常に濃密な時間を過ごしました。



妻が亡くなった後の漂流生活も、

進むべき道を定め、

自ら舵を切り始める事が出来ました。

追い風を捕まえるにはあと少しやるべき事が残っています。

来年の4月から、追い風を捕まえる事が出来るよう、今はやるべき事に集中しましょう。

超過密スケジュールですが、新しい人生の軌道に乗れるようオールクリアを目指して頑張ります!

■ADHD07 ADHDではなく

2017年12月14日



息子6歳時点での正式な発達障害診断結果が出ました。



ASD
(自閉症スペクトラム)



ADHDと言われなかった事は少し意外でした。

今までの診察、カウンセリングでは、ADHDの話も、ADHD用の投薬治療(コンサータストラテラ等)の話も出ていましたが、

これまでの3年間の観察経過、11月に受けた発達検査の結果、また、その検査中の行動から判断して、

診断名として付けるのであればASDの傾向の方が強い、という事になりました。



ADHDとされなかった一番の理由は、



ADHDと同様の衝動的な行動、多動など、

気になったものへの興味が抑えられず、やるべき事を続けられないところ、

じっとしていられず、常に飛び続けたり、グルグル回ったり、走り回ったり、

という特徴はあるものの、

気になった物への欲求に対して、いきなり拒絶したり、ダメだと遮ったりせず、前向きに叶えてあげた上で元の行動に戻れるよう促せば、素直に元の行動に戻れること。

また、2~3分程度の自由を与え、時計の針が25分になったら次の事やろう。
などと促せば、まあまあ戻ってこれること。

集中して何かをしているときなら、不意のイベント(近くで音が鳴る等)が起きても、興味が逸れずに続けられること。

こういった、軽度の多動、衝動性で、ある程度の制御が利く状態であるなら、投薬治療なども検討するようなADHDとは言えない。



という判断です。



むしろ、自分のルールを強要したり、

相手の意見を聞きながら、その場の調和を取るように自分で行動を制御するなどの能力が弱く、

自分の思い通りにしようという意識が強い、

といった特徴からすると、
自閉症スペクトラムの傾向の方が強いようです。



ただし、0か1かの話ではない事

ADHDで言われる特徴も少なからず持っている事

ADHDだと書いた方が生活全体を通して上手くいく可能性がある場合は、診断書に書き加えることは出来る、とも言われました。

まずは、医療機関の正式な診断結果として受け止める事に。



子供のASD(自閉症スペクトラム)については沢山のサイトに情報があります。

下記サイトなんかは、非常に簡潔に、分かりやすく本質を捉えた説明がされています。



発達障害のある小中高生向け 放課後等デイサービス
http://www.teensmoon.com/characteristics/asd/



さて、

まずはブログのプロフィール等書き直さないとねf(^_^;

ADHDのタイトルもASDにしていきましょう。



ちなみに、自閉症スペクトラムという言い方が現在の主流のようですが、自分はあえてASDという言い方を使っていこうと思います。

理由は、



自閉



という言葉が、



内向的

他人と関わり合いを持たない



といった姿を多くの方が連想しやすい気がするのです。

息子は、まったくの正反対の特徴があるので、
自閉症 = 内向的な子なのかな?
というイメージで伝わって欲しくないのです。



自閉症という文字自体が持つそのような印象を補うような意味で、スペクトラム(分布)という言葉を付けて、様々な要素を持っている、という意味合いにしているようなのですが、多分、自閉症発達障害に相当な理解がある人じゃなければ、この意味はわからないでしょうね。



そのスペクトラム(分布)という言葉の通り、

自閉症には一定の特徴こそあれど、
その特徴がポジティブ側に片寄っているのか、
ネガティブ側に片寄っているのかによって、

正反対の特徴を持つ子でも、
同じASD(自閉症スペクトラム)だと言われるのです。



例えば、


【特徴】
他人との関係がうまくいかない。



自閉症として、このような特徴があると言われています。
ここまでは、どの情報源を調べても必ず載っている情報です。
恐らく自閉症と言われて想像する、世の中の一般的な知識はこのレベルだと思います。

しかし、ASD(自閉症スペクトラム)としての本当の特徴は以下のようになります。



【真の特徴】
他人との関係が "結果として" うまくいかない。



この "結果として" という意味をどれだけしっかりと考えてあげるかどうかで、ASD(自閉症スペクトラム)というものの理解力が大きく変わります。
これを理解できない人は非常に多いと感じます。

これを更に掘り下げていくと、自閉症の子を持つ親と同じような理解を得ることが出来ます。



【その子なりの特徴】

《ネガティブな特徴を持つ子》
人との関わり合いを出来る限り避け、
場合によっては拒絶する。
自分の気持ち、思いを他人に示す事が苦手。
結果、
自分の意識の中にある事だけに集中し、
後は自分の思う通りに行動しようとし、
それを邪魔しようとする人に対して敵意を抱く。
他人との会話、接触を好まない傾向があり、
他人への興味が希薄なため、他人との会話が成立しにくい。
自閉症としては外見上としても分かりやすいタイプのため、他人からの理解は得られやすいと考えられる。

《ポジティブな特徴を持つ子》
人との関わり合いを積極的に行い、
場合によっては必要以上に相手に干渉する。
自分の思い、考えを相手に強要する。
結果、
他人が自分の思う考えに沿わなかったり、
反発されると、非常に強い敵意を抱き、
他人が自分の思う考えに沿い、
賛同されると、非常に強い仲間意識を持ち、
その両極端の意識を持って行動するため、
他人との関係性が、必ず過度な結果となって反映されてくる。
他人との関わり方として、ちょっかいを出す行動が多く、相手が嫌がる事ばかりをし、嫌がられた事に対して敵意を持ち、相手が悪いという物言いになってしまう事も多く、迷惑な子という印象も持たれやすいと考えられる。
一見、騒がしい元気な普通の子、少しワガママで我が強い普通の子、と見られがちで、障害のためにこの様な行動になりやすいという理解は非常に得られにくい。



こういう両極端の個性であっても、どちらも自閉症なんです。

特にポジティブな特徴についは、自閉症だと言われて納得出来る方ってどれくらいいるんでしょうね。

そのような印象付けに、自閉症という言葉が一役かっているような気がするため、自分としては自閉症という言葉を使うよりも ASD という呼び方で理解を得ていった方がいいんじゃないかな、と思うのです。



ちなみにうちの息子の傾向がまさにポジティブなタイプで、とにかく人に突っ掛かっていき、思い通りにならなければ一騒動起こすという…非常に厄介なタイプです。

とにかく回りにいる人を次から次へと巻き込み、待つことも、順番も、ルールも守れずに好き放題走り回るため、ADHDの傾向が強いと見ていましたが、ASDのポジティブ側の行動と、とてもよく似ているんですね。



公園に行く度にだれかれ構わず遊ぼうと声を掛け、

なんかしらねーやついるぞ!

と、年上の子に言われながら、勝手に鬼ごっこに参加し、そのうち自分のルールを強要し始め、嫌がられてケンカをするという…

ほんと勘弁してくれ(笑)

まだ笑い話で済むレベルで済んでいますが…



ASD という診断が付くときの特徴としては、

その他の特徴的な障害(多動、衝動性が過度に出すぎるADHDや、知的障害などなど…)の傾向が比較的弱く、

または、ある程度の制御が利く状態で、

肉体的、精神的、感覚的な成長に、年齢相応ではない大きなバラつきが生じている場合にASDという診断名が付きやすいみたいです。



例えば、パズルなど目で見て正解と同じ状態を作るような事には年齢以上の能力を発揮するのに対し、

表情から感情を読み取るような理解が著しく劣っていて実年齢よりも3歳も年下の子が理解する事が出来ないなど、

なんで5歳なのにこんなこと出来るの!?凄いね!
なのに、何で弟でも出来るようなことも出来ないの!?何でやりたがらないの!?

というような、アンバランスな状態があるようなら、ASDだと診断される場合が多いようです。



そんなASDと診断を受けた息子の最近の様子ですが、確かに最近は衝動的な行動がやや抑えられており、どちらかと言えば こだわり に対する反応の方が強いように思います。

もしかしたら、数ヵ月前から続けている薬
甘麦大棗湯(カンバクタイソウトウ)
の効果が多少は出ているのかもしれません。

これは、過敏な神経反応を和らげ、落ち着き、冷静を取り戻しやすくする漢方薬です。

特に てんかん や、 引き付け の他、
女性特有のイライラなどにも処方されるもののようです。



甘麦大棗湯
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se52/se5200019.html



それにしても、プロのカウンセラー恐るべし。

A4用紙4枚にまとめられた診断結果に書かれている事も、息子が日頃家ではやっていて、カウンセラーには見せないような行動についても、ディティールまでわかるほどに正確に指摘されており、対処法も書かれている。



自分は、
リンゴを消す手品を見させられたサルのように、



(゚Д゚)



アホ面www

本当にお見事です!
としか言いようがなかったです。



息子も4月から小学生。

何とか新しい環境で気の合う友達を作って、良い方向に歩き始めて欲しい。

ADHDから、ASDへと意識を変えて

息子の成長も新たな局面を迎えていきます。