■漂流04 Turning point
2017年12月29日
今年もあと3日程で終わりですね。
最近、月日が経つのがとても早いと感じるようになりました。
何かに追われ続けている証拠かな…と思います。
ブログを開設してから4ヶ月が経過しました。
2017年8月末くらいから始めていたんですね。
妻が無くなったのが2017年6月末ですから、
それからちょうど半年です。
もう半年で一周忌です。
今年は、激動の1年でした。
本当に色々な事がありました。
まさに人生最大のターニングポイント。
何もかも、生活の基盤そのものが根こそぎひっくり返されました。
年齢41歳。
数え年で42歳。
男の本厄年。
やはり、昔からの言われには何か根拠があるのでしょうか。
それとも、誰かが考えた定期的に儲ける仕組みの成れの果てか…
今まで、厄払いは自分も妻も続けて来ましたが、効果はあったんでしょうか。
この1年を少し振り返ってみたいと思います。
まずは直近の出来事から。
今後の生活拠点について。
2018年4月、息子が小学生に通うときから、
私の実家近くに家を借り、
私の実家の力を借りながら
息子と2人で生活をしていく事に決まりました。
当初の予定航路、妻の実家近くに家を借りて義父母の協力を借りて生活をするという方向から、大きく舵を切って進路変更した形です。
この方法が可能なのかどうか
その判断が正しいのかどうか
妻側の義父母の思いはどうか
両家関係者の思いはどうか
両家跡継ぎ、墓守はどうか
自分の仕事は継続可能か
勤務形態の相談はどこまで可能か
妻側実家付近で暮らす場合と
私の実家付近で暮らす場合の
将来のお金の問題についてはどうか
完全父子家庭としてやりきれるかどうか
行政で出来ることはどこまでか
民間サービスで出来ることはどこまでか
息子の生活環境としてはどうか
発達障害の理解に対する環境は整っているかどうか
亡き妻の供養に対する問題はないか
私は、私の人生を送れるのかどうか…
これらをすべて判断、解決、ある程度の結論を出すまでに、約3ヶ月を要しました。
私の実家には精神障害の兄がいるため、両親も協力が難しく、実家にも上がれず、息子の面倒を見るのは難しいとされていたことは、以前の記事にも書いていますが、
これも、兄のいる場所への干渉さえ無ければ、
私の息子の為に全面的に協力をする、全ては息子を優先に考えて行動して欲しい、と、兄から両親へ伝えており、兄の理解を得ることが出来たと思っています。
実はこれがなかなか凄いことで、
今までの兄の状況からすると、自分よりも他人を優先で考えなさいと言うことなど、病気の影響でなかなか難しくなっていたので、これは大きな大きな変化でした。
兄は、今でこそ病気に苦しんでいる状況で、回りの事など考える余裕などありませんが、
現役で頑張っていた時は、世界中のIT技術、特にインターネットに関わる技術の礎を築いてきたチームに属し、世界中にその新しい技術を展開していった人たちのうちの一人でした。
弟の私が言うのもなんですが…
お世辞抜きのキレ者なので、精神障害というハンデを負っても、判断力、理解力はずば抜けており、今でもやるべき事については完璧にこなす、信頼が出来る兄です。
その兄の気持ちを動かせた事で、今回の新しい生活のスタイルが決まったようなものです。
まだまだ、引っ越しや生活の形を作るのは2月、3月の話ですが、既に引っ越し先は決まっており、1月中旬には入居が可能になりました。
ただ、今息子が通っている保育園は卒園させてやりたいので、家賃は3ヶ月ほど二重に掛かってしまいます。
しかし、
それでも、妻の実家付近に住んだ場合の家賃と、ほぼ同額しか掛からないため、3ヶ月くらいなら痛くも痒くもありません。
早くから引っ越し準備を進められるのは、時間の無い自分にとってはとても助かる話です。
住宅の話で言えば、
都営住宅の応募もしていましたが、12月22日に結果が出ました。
7倍抽選枠で申し込みましたが、かすりもしませんでしたね。
そもそもが、自分と息子の人生すべてを掛けた博打みたいなもので、
外れ続けたら、全財産尽きるまでのチキンレースになることはわかっていましたので、妻実家付近に住む、という選択肢しか無いと思っていたときは、本当に悩みました。
ちなみに、都営に外れたときの都内の住まいで、ここなら大丈夫かな?と思えたところは一軒もありませんでした。
自分の実家とも、
疎遠ではありませんでしたが、なかなか会いに行ける機会もなく10年程が経ちましたが、今回の引っ越しを期に、孫の面倒を見て貰うことになりました。
仕事の方で直近の出来事といえば、
仕事内容、仲間は全く変わりませんが、
同グループ内での業務移管、転籍により、会社が変わりました。
不満はまったくない転籍なのでいいのですが、またなんでこの時期に重なるんでしょうね。大変なんだから勘弁してくれ~💦
と思いつつも、新しく関係を持つことになった転籍先の方々には、本当に良くして頂き、ご理解頂き、今までよりも環境は良くなったと感じます。
このような仕事上の変化がこのタイミングにあったことも、ターニングポイントとしての意味合いは強いですね。
息子についても、
ADHDもとい、ASDの記事の方でお話ししている通り。特にここ1年は本人も、回りの人も、本当に色々な事がうまくいかず、とても辛い思いをしていると思います。
環境を変え、環境要因でやってはいけないという事を減らし、伸び伸びと生活し、学び、出来る限り他人との関係を築けるよう、また、得意なことが見つけられるよう、沢山の経験をさせてやりたいと思っています。
妻の事についても、
2017年の状況はまだ記事としてまとめられていませんが、
亡くなってから半年たった今でも、何かの切っ掛けであらゆるシーンを思い出し、涙が出てしまう事もあります。
本当に沢山の事を経験し、言葉は交わせなくとも言葉以上にお互いを理解し、自分に出来る、自分にしか出来ないことを、命が失われる瞬間まで続けてきました。
最後の2ヶ月間は、ナースコールを一切押さなくてもよいほどに、妻の命を支え、痛み辛さを取り、負担を掛けず、今までの人生の全てのありがとうを形にし、互いに心をひとつに重ねて命をまっとうしました。
本来であればまだ数十年もの間、共に生きていく筈だった時間のすべてを、数ヵ月に凝縮したような、非常に濃密な時間を過ごしました。
妻が亡くなった後の漂流生活も、
進むべき道を定め、
自ら舵を切り始める事が出来ました。
追い風を捕まえるにはあと少しやるべき事が残っています。
来年の4月から、追い風を捕まえる事が出来るよう、今はやるべき事に集中しましょう。
超過密スケジュールですが、新しい人生の軌道に乗れるようオールクリアを目指して頑張ります!