~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌16 絶望と、希望と・・・

2016年7月10日



舌切除、

頚部リンパ節切除、

頚部放射線治療

と治療を繰り返し、やっと会社復帰と、これからの体力回復と、抗がん剤治療の準備の為に、ようやく前を向いて自分の足で歩き始めた妻の出足を払い、どこまでも付きまとい続ける病魔。



口内の強い痛みの為に救急対応を行った7月10日。

精密検査と、主治医の判断を仰ぐために

また会社を休んで病院を訪れたのは、その翌日。






2016年7月11日



おはよ~✨
調子は昨日と変わらず。
今朝は痛くて3:30に目が覚めた。



妻は、朝早くから痛みがあり、
痛み止めを飲んではいるが、今までのように効いてはくれず、食事もままならない状態に。



癌の再発は最悪の結果だとして、

それ以外の原因があるとすれば…



顎骨壊死は、まさかこんな早く起きる筈はない。

今回の放射線治療は、顎骨に当たらないよう注意しながら行っており、出来る限り壊死を起こさないように治療をしているのだ。

しかし、舌の付け根付近がえぐれ、
その深い位置、右奥歯の虫歯か、右耳の中耳炎か、
そういった類いの強い痛みが消えない事を考えると、顎骨壊死も想定される。

だとすれば、舌の付け根のえぐれた部分から、
骨が壊死した膿のようなものが出てくるために、
そのような変化を起こしている可能性はある。

起きる可能性こそ低いものの、
状況だけで考えれば、顎骨壊死もあり得る。

絶対にあって欲しくない事だが…



舌の神経がビリビリと激しく痛むのは、
口腔カンジダの可能性?それとも…

カンジダの画像を検索すると、妻の今の口腔内の状態に近い画像が沢山見つかってくる。

発生原因も、
放射線治療後や、ステロイドの多用、口腔内の十分な清掃不足(放射線副作用の悪化を防ぐために致し方無い部分が多分にあるが)、唾液の分泌不足など、全ての条件が合致する。

カンジダ、つまりカビ、真菌は、
非常に患部の状態が良くないときに併発する恐れのある、病状を更に悪くする原因にもなり、免疫力が落ちている証拠にもなる。

知らずに放置したり、
舌のかさぶたのような塊を綺麗にしようと磨いてしまったりすると、菌が血管に侵入し敗血症になる恐れもある。

治療に時間も掛かり、他の治療も止めてカンジダを先に治さなければならず、いま、そんな事に足を引っ張られてしまう訳にはいかない。



これら起きて欲しくない問題が起きていないかどうか。

癌の再発は無いか。

今の痛みを抑える方法はあるのか。



病院は大変混み合っていて、すべての検査が終わるまで長い時間が掛かったらしい。

血液検査、口腔内検査、触診、真菌検査、MRI

特に今回の検査では、
MRIで舌付け根のえぐれと、顎骨の状態、癌再発を早期発見するための検査という意味合いが強かったのだろう。



私は、色々な可能性を考え、

癌の再発が頭を過り、

しかし、悪く考えてはいけない、思えば思うほど悪いことが起きるぞ、と妻両親に釘を刺され…

辛い思いをしているであろう妻へ連絡します。



     いろんな言葉が浮かんで、消えて…

     心がメチャクチャだ

     痛みを取ってあげることが出来ない、
     無力で、悲しくて、辛くて、怖くて、



痛みを取るのは医者の仕事。
家族はそばにいてくれるだけでいいんだよ💕

明日、検査の結果聞きに行くから
一緒に来てね✨



これじゃ、どっちが励まされているのか…

本当に情けないm(__)m



この言葉を私に投げ掛けた時の妻の気持ちを
私は2017年5月頃に知ることになります。



この日、妻がひとり涙を流し、

言葉を失い、

明日、旦那様と一緒に結果を聞きに来て下さい。

と言われていた事を、私はまだ知りません。






2016年7月12日



妻と一緒に、昨日の検査結果を聞きに行きます。

妻は、妻の両親に車で送られ、義母と一緒に病院に来ます。



長い長い待ち時間…



ようやく呼ばれ、妻と私だけ診察室へ。
義母は外で待つ事に。

診察室に入った私たちは、MRIの画像を見ながら主治医の説明を聞きます。



舌右側切除部 ~ 舌右側の付け根
付近にあやしいモヤモヤが写っている。

癌の再発の可能性が高いです。
確定診断の為に生検が必要です。



と。



妻は、何も言わずポロポロと涙を流します。

私は、一瞬言葉を失い、

妻の手をぎゅっと握り、



手術では、癌を取りきったんですよね?



と、何を求めているのかわからない言葉で、沈黙を遮ります。



手術では、ちゃんと安全域をとって癌を取りきっています。切除断面にも癌は見つかっていません。

癌は数年掛けて大きくなっていくんです。
通常はこんなに早く癌が広がる事は少ない。
しかし、10人に1人くらい、大変アグレッシブな動きをする癌があります。

手術の時にも言いましたが、
奥さんの癌は浸潤性が高い癌で、あまり一ヶ所に固まっていない。

そういう癌は、癌が手を伸ばしていなくても、
突然近くのリンパや臓器にジャンプすることがあります。



主治医の先生はMRIの画像を見せながら、淡々と続けます。



舌の切除部分と、
口腔低(舌の付け根など、舌の下の部分)に影が広がっています。

これがもし癌だとした場合、

外科手術で、舌を半分以上切除(亜摘出)と、
右顎の骨を区域切除、または、半分近くを切除して、その周辺と、口腔低の肉をすべて一塊として切り取る必要があります。

当然、右下の歯もすべて無くなります。
舌も、以前は神経を残して切っていますが、今回は神経ごと切る必要がありますから、殆ど動かなくなります。

ただ、切ったままでは傷を閉じることが出来ませんから、別の部位から肉を持ってきて、切った部分を移植により補います。

舌も再建します。

その際、十分な血流が見込める血管ごと肉を移植しないと、切った肉が壊死して落ちちゃいますから、そうならないように顎の血管を縫合して、血流を確保したものを当てる必要があります。

通常、肉を補う場合は、お腹、お尻、太股、腕などから切り離した肉を使うことが多いのですが、顎への移植の場合、顎に流れる太い血管が人間には1本しか無いため、この血流が妨げられるとすぐに肉が腐ってしまう。

そのため、切り離した肉を使った移植(遊離皮弁・ゆうりひべん)を行うのはややリスクがあり、最近は組織を切り離さずに繋がったままの組織を使って移植(有茎皮弁・ゆうけいひべん)をする方が良いとされています。

ですから、もしやるとすれば、右肩~右胸辺りの肉を切り取り、首付近の肉は繋げたまま肉をねじり、顎の中に入れて繋げる、という方法がいいと思います。

切り取った肩、胸の所は皮膚の代わりになる医療用の網のようなものを被せて、治癒を促します。
他の肉などで整形するかどうかは癌の再発がない事が確実になってから考える事ですね。

歯も、癌再発が無い事を確認してから口腔外科などと協力して、歯茎や歯を再生させることも出来ます。最低でも3~5年後くらいの話ですね。

傷が癒えて、残った歯でものを噛んで食べられるかどうかは、半年後くらいからリハビリすることになると思いますが、顎骨を切りますから噛むのは難しくなります。

顎骨の区域切除なら、切った部分を補う金属プレートか、人工骨で、骨と骨を繋げて噛めるようにしていきますが、顎骨を半分切除してしまうと、右耳の方まで骨が無くなりますから、その場合は金属プレートなどで補う事は出来なくなります。

金属のプレートも、人工骨も、体からしてみれば異物のため、周囲が膿んでしまい、体の外に排出される事もしばしばあります。
いずれにしても、そうなってくると噛むのは難しくなりますね。

まずは、先の事よりも、癌を何とかしなければいずれにしても顎は無くなりますから。
すぐに準備を始めて、最短で8月24日に手術の予約を入れておきましょう。



悪性腫瘍切除後再建
慶應義塾大学 整形外科学教室
http://prs.med.keio.ac.jp/akusei/



遊離皮弁壊死への対応
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjshns/27/2/27_141/_pdf



口腔癌切除後の有茎皮弁再建についての検討
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsot/25/4/25_142/_pdf



ただ淡々と話を進める主治医と、

あまりの治療内容に絶句する私、

静かに涙を流し続ける妻…



顎の半分を切り取る…
あれだけ痛がっていた舌もまた切る…
もし、この手術が上手くいったとして、
妻は、食べ物を食べることは出来るのだろうか。
人として生きていく事は出来るのだろうか。

治療をしなければ、これ以上に辛い結果が待っている。



治療を選ぶも地獄

諦めるも地獄



…絶望しかありませんでした。



もし、手術が上手くいったとして、
妻は食事は出来るようになりますか?
いつ頃から食べられるようになりますか?



少なくとも、半年は経管による流動食。
嚥下リハビリを行って、飲み込みが出来るようになれば、その後は口からヨーグルトなどから始め、徐々に流動食を食べられるようになるでしょう。

私の患者で同じ手術をして、
片方の顎だけでお煎餅を食べられるようになったお爺さんもいらっしゃいます。



最高の結論だった時はそうなるんでしょう。

しかし、

個人的には、上手く行く結果だけを見て、悪いときの結果を考えずに進んでしまい、とてつもない、とても人として耐えきれないような苦痛を妻に与えることは絶対にしたくない。

怖がって治療しない、という事ではない。
この先、自分がどうなるのか見通しが立たなければ、希望を持つことも出来ない。

希望を持てない治療をしても、癌以外の苦痛によって生きる力、意思を無くしてしまうような結果にだけはなって欲しくない。

生きる力を治療によって奪われ、
生きながらにして絶望をし続け、
殺して欲しいと懇願されるような未来を描きながら今の治療に立ち向かっていく事など、どんなに強い人でもそれは無理だ。

もし悪い結果になってしまったとしても、
それでも希望を持って生き続け、
もし癌に負けてしまうような事になっても
癌以外の、死ぬことさえ出来ないような苦痛を
常に感じ続けるような、
そんな人生を妻には送って欲しくない。

だからこそ聞きました。



もし、その手術をして、
万が一、今回のように癌が再発したら
妻はどうなりますか?



今考えるべき事では無いと思いますが、
もしそうなった場合は、
切った傷口が繋がらずに、下顎はすべて無くなり、
下顎が無い、という状態で大変な苦痛を感じる事になるでしょう。
当然出血も続くようになりますから、
その状態でどれだけいられるのかは今はわかりません。



そうですか…



今回の再発までに掛かった期間およそ半年。

直感的に、

最悪の場合、半年後には妻はそのような状態になる可能性がある。

手術結果が悪ければ余命半年…
しかも想像を絶する苦痛が待っている…

そう感じました。



もしうまくいったとしても、
そんなツギハギだらけの顔で生活している人を、私は見掛けた事がない。

治ったとしても、生き続ける事が難しいのか、
家に籠ってしまうのかわからないが、
とても妻がそんな生活でもいいと、心の底から思うとは到底思えない。
たとえ命が助かっても、だ。



その後、

手術をせずに抗がん剤による延命治療の可能性について話されましたが、
口腔癌、扁平上皮癌は抗がん剤が効きにくい事が、統計上で分かっています。

まだ根治が望める方法は切除しかない、とされ、

もし抗がん剤で癌がとても小さくなるようであれば、その時はサイバーナイフによる治療も検討出来るかもしれない、という事だ。



サイバーナイフ
wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95



1週間後までに、家族でよく話し合って決めてきて下さい。



あと、今日やるべき事として、
この画像診断結果が本当に癌の再発かどうかの確定診断をしなければならないため、舌の生検を取らなければなりません。



と言い、妻の口の中にゼリー状の麻酔薬を含ませて、生検の準備をしていきます。



麻酔が効くまでの暫くの間、先生と話を進めます。



先日、痛みが酷くて救急対応頂いたのですが、
痛み止めがあまり効かず、処方されている薬でも耐えるのが難しい感じがするのですが…



多分、緩和ケアの為の入院をした方がいいでしょう。

緩和ケアというと、末期症状の方がやるものだという意識があるかもしれませんが、
癌治療と緩和ケアは、癌治療における2本柱で、
どちらが欠けても治療が上手く進まないのです。

もっと強く効く痛み止めはありますが、救急などでは処方出来なくて、入院管理の中で、どの薬をどれくらい使っていけばよいのか決めていく事になります。

奥さんの痛がり方を見ると、緩和ケアを始めるのがいいと思いますよ。



このとき、麻薬系(モルヒネ系)の薬の事など色々聞きましたが、今回は割愛します。

早く痛みを取ってあげた方がいいと思いますので、明後日、7月14日から入院出来るようベッドを予約しておきます。
そのまま切除手術まで入院で管理して行きましょう。
その方が奥さんも安心でしょ?



麻酔の効きを待っている妻が、
口を開けたままウンと頷きます。



なお、
今回の検査前に懸念していた

顎骨壊死、口腔カンジダ

は、検査の結果どちらも起きていない事がはっきりしました。

良かった…

しかし、だとすると今の痛みはすべて癌再発の仕業となる。
どちらも嫌な事だか、結果的に最悪の結果だったということだ。



それでは検査が終わるまで外で待っていて下さい。



私は外に出て、義母へ今の話を伝えます。



………



もう、それをするしか無いの!?
その手術をすれば助かるの!?



助かるかどうかは、わからないんです。

もう、ここからは命を掛けたギャンブルでしかない。

やってみて、
結果が良くても、どれだけ生きられるか。どこまで生きる力が回復するか。
結果が悪ければ、最悪の結末が待っている。



抗がん剤で、癌が小さくなって
癌と共存していく事が出来てる人だっているじゃない。
そういう方法はないの!?



それは、
根治が望めない人が選択する方法であって、あくまで延命治療です。

もし抗がん剤が効かなければ、何もせず放置したのと同じ結果が待っている。

そうかどうかの結果が出るまで、少なくとも2~3ヶ月の抗がん剤治療を行い、結果をみなければいけないんです。

その時、結果が悪かったからといって、今回の手術をやっぱりやります、とは言えないんですよ。

そうなったらもう根治は望めないんです。

まだ根治が望める今のタイミングで、あえて根治が望めない方法を選択しますか?
妻がそれを望むとは思えないんです…



もう何も他に出来ることは無いの!?



他に出来ることが無いか自分も調べます。
手術をするかどうか、1週間後に伝える事になっています。それまで考えます。

ただ、この癌のプロフェッショナルが、この方法しか根治が見込める方法は無い、と言っているんです。今の状況はそういう状況なんです。



そんな話をしながら二人で涙を流している所に、妻が生検を終えて診察室から出てきます。



妻をぎゅっと抱き締め、背中を何度もポンポンしながら、何も言えずにいると、



そんな顔しないで(*^_^*)

まだ死ぬと決まった訳じゃないよ。

そんな顔をしないで…



一番辛いのは、妻なのだ。

治療をしなければ、何をするか決めなければ、

という苦しみが待っている。

どんなに辛くても、逃げたくても、

決断しなければならない。

諦めている暇などない。

絶望なんかしてる時間はない。

生きるために何をすべきか、

考え、決断し、覚悟を決めなければならない。



妻は、今回の報告を受けて、

どうしても話をしておきたい人がいる。

と言って、病院地下にある放射線科へ向かいます。

義母は、誰かに連絡をするのか、携帯を持って 上で待ってるからね とそこで待ちます。



つい先日まで治療を受けていた放射線科。

その担当医であった女医さんが、とても親身に話を聞いてくれる良い先生だという。

とてもフランクな話し方をする方で、名前が純粋な日本名ではない事から、恐らくハーフの方なのだろう。

急な訪問だったが、ちょうど診察がすべて終わるタイミングだったため、快く私たちを迎えてくれた。



妻が、

再発しちゃったみたいです…

と伝えると、



ええー!
ついこないだ放射線終えたばかりなのに…
再発って、どこ?



と言いながら、電子カルテを見始めます。



舌と、口腔低か…
場所が切った場所だもんね、転移じゃなくて再発なんだろうね。

確かに、放射線治療は頚部リンパ切除後の掃除としてやってるし、転移予防だからねー

しかも顎の中には直接は危なくて当てられないから…でも、それでも20、30グレイくらいはその場所にも当たるはずだから、ある程度予防くらいにはなるかもしれないけど…

そっかぁ…

で、主治医のH先生は何て言ってるの?



下顎の半分を切って、胸の肉を持ち上げて再建するしかないって…



でもそれじゃ何も食べられなくなっちゃうじゃない!
んー…もう少し早く気づいていれば、切らなくても放射線で十分治療出来たと思うんだけど…



半年は経管だろうって。
歯とかを再建するのは3~4年掛かるみたいです…



先生は妻の背中を撫で、無言で妻の気持ちを受け止めます。

私も、妻も、涙が溢れ、我慢していた感情が溢れてきてしまいました…



私から先生に訪ねます。



正直に言います。
今回の顎切除治療は、どうしても他に出来ることが無い時の最終手段だと思っています。
他に何か治療方法はありませんか?



本当は、舌に出来た小さな癌が対象なんだけど、同じような口腔低癌に対しても根治できた放射線治療があって、私実際に見たことがあるんですよ。

小線源治療といって、医療用の放射線を出す針を舌に刺して、その周囲の癌だけをやっつけるやつ。

ちゃんとした設備がないと出来なくて、子宮頸癌や、前立腺癌にはうちの病院でもやってるんだけど、口腔癌で出来る所は少ないんですよ。

この辺で有名なとこは、
癌研有明
東京医科歯科大学放射線科ならやってるんですよ。医科歯科大学は症例数も非常に多く、日本で一番治療成績残してる所なんですよ。



舌癌の小線源治療について
広島大学病院
http://home.hiroshima-u.ac.jp/housya/medical/disease11.pdf



東京医科歯科大学 放射線治療
http://www.tmd.ac.jp/medhospital/medical/department/housyasen.html



実は、東京医科歯科大学で小線源治療やってるY先生と友達で、本当に素晴らしい技術のある先生だから、もし小線源治療やってみるなら、私から連絡しておきますよ!
あと、主治医のH先生にも伝えるようにするから、もし本当にやるなら私のところに来て。全部話つけてあげる!



小線源治療ってどんな…



まだ知識の無かった私たちは、小線源治療に対して聞きまくりました。

また、小線源治療がダメだった場合に、主治医の言っていた切除手術は可能か聞いたところ、状況にもよりだけど、出来ないという事は無いはずだよと。



これは…いけるかもしれない。まだ残された治療法があった!



その場で過去の治療実績などを調べ、すぐさま



やる方向で調整します。早めに結論を出します!
ありがとうございます!
これが唯一の希望です!



といって、この治療をやりたい事を義母に伝えに行きます。



義母に伝えると義母もすぐに納得し、
もう、今すぐやるって先生に伝えてきなよ!
と言われ、もう一度地下へ駆け降り、先生にその旨を伝えます。

明日朝イチで主治医に伝えておくから、主治医からの連絡を待ってくださいね。

と快く引き受けて頂きました。



絶望のなかに見えた、唯一の希望…

7月12日、たった1日の間に起きた天国と地獄。

私たちは、小線源治療にすべてを掛けてみる事にしました。



そして、

主治医からの報告を待ちつつ、
2016年7月14日、妻の緩和ケアが開始されます。

■舌癌15 過去最悪の痛み

2016年7月1日



頚部放射線治療後、

約1ヶ月弱経過し、喉の荒れ、味覚障害も収まり、ようやく好きな食べ物が食べられるようになった頃。

抗がん剤以外の治療を終えた一旦の快気祝いと、これからの順調な回復を祈って、しゃぶしゃぶを食べに行ったのは前回までのお話。



その食事の最後で、小さな錠剤の薬が舌の付け根付近にはまって取れなくなり、痛みが。



舌の付け根に出来た潰瘍が酷くなり、
潰瘍の真ん中が窪みのようになっているような感じで、そこに物が詰まってしまう。

しかし、

潰瘍は、恐らく放射線潰瘍で、
舌や口腔内に無数に出来ており、そのうちの1つがたまたま物が落ち込みやすい場所に出来てしまっただけ。

そんな風に思っていました。

思うようにしていました。

悪く考えればいくらでも悪く考えられる事は沢山ある。

口の中の潰瘍なんて、
考え次第ではすべてが癌の再発だとさえ思える。

そういうなかで癌を治す為の治療だと信じてこの治療を続けているのだから、悪いことばかりを考えてしまう訳にはいかない。



少し心配をしながらも、
放射線治療の早期副作用の影響は、治療後半から約2ヶ月近くは続く可能性があり、

挽期副作用は半年~1年後などに起きる事が多く、

小さな変化で一喜一憂は出来ず、慎重に経過を観察し、かつ、出来る限り早く主治医へ相談する事が大切。

主治医への相談は救急ですぐに出来る事になっている事と、口腔内の荒れにはケナログ(ステロイド系の軟膏)が処方されており、まずは薬を塗りながらよく経過を観ることに。



7月1日からは放射線治療の経過を見ながら、次の抗がん剤治療の計画を立てていく期間とし、

2015年11月下旬から続いていた会社の長期休みを一旦終えて、会社復帰する日でもありました。



妻は、
共に過ごした家よりも、実家の方が会社に近く、
かつ、もしもの時にすぐ動ける両親がおり、
会社の送り迎えも可能ということで、
息子もいる実家から会社へ行くことに。



いざ会社に行ってみると、
椅子に座っているだけでも体力を消耗し、

以前は電話番もしたので、リハビリの為に続ける事を申し出たようなのですが、舌足らずなしゃべり方のため相手に言葉が伝わりにくく、



ものすごい疲れた😰



と。

食事も昼の時間だけで食べきることが出来ないため、小さなおにぎりやゼリーなどをちょこちょこと取りながら、

その度に口腔ケア用のスポンジで口の中を綺麗にしなければならないため、



自分のやるべき事が出来ていない…



と申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったようです。



それでも、

会社の仲間は、妻の体の事を気遣い、

出来ることだけしてくれればいいんだよ。
辛かったら休んでいても、横になって寝ていても構わないよ。

と、大変理解をしてくれたそうです。
本当に有り難い事です。



しかし、

そんな頑張りも束の間。



2016年7月4日

仕事復帰してからわずか4日後。



舌が沁みて、舌の付け根に出来た窪みに物が詰まりやすく、痛くて食べられない。



と連絡が。

出来るだけ刺激の少ないもので、カロリーが取れるものを、ということで、カロリーメイトのチョコ味を牛乳に溶かしたものを主食に、お粥を少々。

しかし、お粥はごはん粒が舌の付け根に入りやすいため、パンの方が良くないか?と勧めてみたが、ごはん派の妻は、どうしてもごはんが食べたいと。

ただでさえ食べられないため、好きなものを食べる事がストレス解消にもなっていたようです。



放射線治療後、

味覚障害、口腔内の荒れなどから殆ど何も食べられずに数日を過ごしたために、体重も目に見える早さで減少。

それを少しでも元に戻そう、という意気込みもあったでしょう。

何とかどうにか食事をし、
これくらいの事が出来なかったら元気になれない、会社復帰できない、
と気合いで食べて、元気に振る舞っていたのかもしれません。



そして、
舌の痛みに耐えながら1週間の勤務を頑張り、

7月9日、10日の土日

久々に家族3人で我が家に帰り、ゆっくり過ごしてみる事に。



その時の7月10日(日)、最悪の事態が起こります。



朝からゆっくり起きて、家族の団欒を楽しみながら、妻は朝から昼まで掛けて食事を続けていた時でした。



痛い……



と右頬を押さえながらテーブルにうずくまっている。



大丈夫?



また舌の付け根に物が詰まって、そこから激しい痛みが続いているらしい。

何度か詰まりを取ろうとうがいをしにいったが、詰まり物は取れたのかどうかわからず、痛みだけは続いている。



痛み止めにロキソニンを飲むもすぐには改善されるわけもなく暫く痛みに耐えていたが、遂に限界が。



頬を押さえ、

しくしくと涙を流しながら、






お腹がすいてるのに食べられない…!



痛くて何も食べられない…!



もう死んだ方がましだ!!






妻の初めての弱音でした。

異常を感じてから約1年。
手術等、癌治療を初めてから約7ヶ月。
舌切除、
頚部リンパ切除、
頚部放射線治療
放射線副作用による口腔内の激しい荒れ、
味覚障害と痛みで食事が殆ど食べられない1ヶ月。

やっとこれらを乗り越え、

ようやく食べられるようになった矢先に起きた舌と、舌の付け根の痛み。

今まで、
痛み等の状況を話してくれた事はありましたが、弱音を吐いた事は一度もありませんでした。



この時感じていた痛み、

どんなに治療をしても無くならない辛さ、

少し良くなり、前を向こうと思った瞬間に出足を払われ、次の異常が起きるという繰り返しが起きる悔しさ…

相当辛かったんだと思います。

気丈に振る舞っていましたが、相当我慢していたんだと思います。



処方されている痛み止めを使っても痛みはひかない。

妻は助けを求めている。

これはもう、経過を観ている状況ではない。



そう感じた私は、すぐさま病院の救急外来に連絡。



「今すぐ連れてきて下さい」



と言われ、夢中で遊ぶ息子に



お母さんが大変なんだ。すぐに病院に行かなきゃいけない。



と言い、嫌だ嫌だと駄々をこねる息子と妻を抱えて車に乗り、病院へ向かいます。

家から病院は車を飛ばして約20分。

この時、お昼少し前の11時くらい。

少し駄々をこねていた息子を車の中で説得し、

妻の両親に、すぐ病院に来て貰うよう連絡し、

病院の救急車が停まるスペースの横に車を停め、



急患です!すぐに車どかします!



とだけ伝えて病院に駆け込みます。



少しの待ち時間…

妻が痛みに耐えている間、息子が言うことを聞いてくれる筈もなく、下手に両方どうにかしようとすれば、余計に妻のストレスになるため、とにかく子供の相手をしながら待合所で待つことに。

妻はうずくまったまま。

その間に妻両親が到着。

自分の車を駐車場に移動してくる、と伝え外に出ている間に妻は診察室へ。

自分が戻ると、妻両親から

今診察室入ったよ。

と伝えられ、息子がここにいたら妻の方に集中出来ないからと、

妻を頼む。

と言われ、息子を連れて遊びにいってくれることに。



その後、診察室から車イスで出てきた妻に駆け寄り、車イスを押す看護師に状況を聞きます。

腕には点滴。

日曜日のため主治医、担当医は居なかったが、同じ耳鼻科の当直先生がいたため、状況はすぐに把握。

口腔内の診察はするも、急患外来で出来る事は限られており、今は点滴で痛み止めを入れるしかないという。

薬名は忘れましたが、救急外来で即座に使える痛み止めはロキソニンボルタレン同等のものしかなく、緊急手術などにならない限りこれ以上の処置は、今は出来ないと言われました。

30分程で効いてくるだろうから、暫く頑張ってと言われ、救急外来用のベッドへ。

付き添い、暫く様子を見るも、痛みはひかない様子。

そんなさなか、妻から言われます。



まだ点滴時間掛かるし、お腹すいたでしょう?
売店で何か買って食べてきなよ。



涙が出そうになりました。



妻がこんな状態でご飯なんて食べる気にならないよ…と伝えるも、



日曜は売店のお弁当とか少なくて、すぐ無くなっちゃうから早く行った方がいいよ。
どうせ待ってもらう事しか出来ないんだから、今のうちに行ってきな。



と、自分の事より私の事を気遣う妻。

これでは行かない方が妻に気を使わせると思い、売店へ。

おにぎり2つ程を流し込んで、すぐに妻の元へ。



点滴開始から30分以上経過するも、まだ痛みはひかないらしく、様子を見に来た看護師に伝えます。



座薬の痛み止めも使えますが、使いますか?



との提案。
お願いします。と伝え、座薬を入れて貰う。



それから数分後、

すうすうと寝息をたてて寝始めました。

やっと痛みから解放されたようです。



それから1時間くらいでしょうか、暫く付き添い、穏やかに寝ていましたが、

点滴も終わり目が覚めた時に痛みを聞いてみると、



まだ痛い…

歯痛と、中耳炎が同時にドーンと来た感じ…

でもさっきよりはだいぶマシ。



と。



改めて耳鼻科の先生に呼ばれ、診察室へ行き、状況を聞きます。



痛み止めは、救急外来で出来ることに限りがあること。

今の状況の判断は、まずは主治医に見て貰うしか判断のしようもないということ。

これだけ痛みが出ているのであれば、明日必ず病院に来て貰って、今後の治療をどう進めるのか確認が必要なこと。

舌の付け根には、小さな窪みが出来ていて、これが何なのか、今この場では答えが出せないこと。



いずれにしても、

今日は一度帰り、明日もう一度主治医の診察を受けなければ、これ以上何も出来ない事と、

救急外来というのは、以外と出来ることが限られていて、今の妻の病状に対して適切な処置は難しいんだな。

という事が分かったので、一旦妻を連れて実家へ帰る事に。



その頃、息子は近くの水族館に連れていって貰い、ご機嫌で帰ってきました。



全ての状況を妻両親に伝え、
明日、朝イチで病院に行かなければならない事をお伝え。

妻の会社に、明日は検査のため休む事を友人にLINEで連絡。

自分も休みを取ろうとしましたが、病院には実家から送って連れていってくれるので、自分は会社に行きなさいと言われ承諾。



夜、自宅に帰り、舌の痛みについて色々調べていくと、気になる症状が。



口腔カンジダ
wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%85%94%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%80%E7%97%87



口腔カンジダ
J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mmj/58/2/58_17.004/_pdf



出てくる情報の通り、妻の舌には放射線治療副作用による黄色いかさぶたのようなものが多く出来ていた。

先生にも相談していたが、放射線治療で必ずそういう状態になるらしい。

また、それを剥がしたり、磨いたりすると、出血もするし、余計に舌が荒れてしまってもっと酷くなるため、剥がしたり磨いたりせず、自然に剥がれるのを待つ方がよいという。

しかし、

口腔内の荒れを治すために、ステロイド剤のケナログを長期に使っており、舌の付け根にも塗っていた。

しかし治るどころか悪化しかしていない。

もしカンジダだとしたら、悪化して当然の事を繰り返している事になる。



ただ、痛みの本体は…

放射線潰瘍ならまだ治癒の見込みはある。

顎骨壊死、癌再発の可能性もある。

それは然るべき検査で明らかになるだろう。

まずは、今起きている症状からして、気になる所は潰しておきたい。



翌朝、仕事に行く途中で病院へ電話し、今日診察に行くためカンジダの検査も検討してほしい、と伝える。



実はこの頃、妻がずっと実家にいたため、妻両親にもあらゆる情報を伝え、何か感じる事があればすぐに病院に相談するよう伝えていました。

しかし、

"悪いことを考えると悪い方に行ってしまう"

という考えが妻実家にあり、
いつでも

"大丈夫大丈夫"

と思っていれば大丈夫だから、と目の前で実際に起きている事からは目を反らし、いざ本当に悪いことが起きたときには

"じゃあどうすればいいの?"
"その時に考えればいいのよ"

と、どうしても

"仮定 と 準備"

という事に気持ちを向けたがらない。

また、対策自体も架空の話なんだから、考えても仕方がない、と、思考を巡らす事にストレスを感じるらしい。

自分の言った事はことごとく遮られ、逆に

"どうしてそういう悪いことばかり言うの?"

ととても疎まれていた感があった。

妻もそのような家庭で育ったためか、同じような考えがあり、自分が心配しすぎる事に対して、

"治すのは医者。私たちはそれに従えばいい"

と、私の心配を聞き入れなかった時期でもあった。
そのため、どうしても気になることは直接病院へ伝えるしかなかった。



2016年7月11日(月)

早朝から痛みがあり、あまり寝られなかった様子。

妻は病院へ行き、痛みと、舌の付け根の異変を伝え、至急MRIで検査することに。



結果報告は明日。

今までの検査よりもだいぶ結果報告が早い。

恐らく院内の医師だけで確認し、各地の画像診断士による評価無しに結果を出すという事だろう。



明日の結果報告には旦那さんも来られるようにしてください。と言われたよ😄



と明るく連絡が来たが…

このとき、

妻は、とても一人では受け止めきれない、

とても辛い結果となるかもしれない事を、

一人で聞いてきていたのでした。

■漂流04 Turning point

2017年12月29日



今年もあと3日程で終わりですね。


最近、月日が経つのがとても早いと感じるようになりました。

何かに追われ続けている証拠かな…と思います。



ブログを開設してから4ヶ月が経過しました。
2017年8月末くらいから始めていたんですね。

妻が無くなったのが2017年6月末ですから、
それからちょうど半年です。

もう半年で一周忌です。



今年は、激動の1年でした。

本当に色々な事がありました。

まさに人生最大のターニングポイント。

何もかも、生活の基盤そのものが根こそぎひっくり返されました。



年齢41歳。

数え年で42歳。

男の本厄年。

やはり、昔からの言われには何か根拠があるのでしょうか。

それとも、誰かが考えた定期的に儲ける仕組みの成れの果てか…

今まで、厄払いは自分も妻も続けて来ましたが、効果はあったんでしょうか。



この1年を少し振り返ってみたいと思います。

まずは直近の出来事から。



今後の生活拠点について。

2018年4月、息子が小学生に通うときから、
私の実家近くに家を借り、
私の実家の力を借りながら
息子と2人で生活をしていく事に決まりました。

当初の予定航路、妻の実家近くに家を借りて義父母の協力を借りて生活をするという方向から、大きく舵を切って進路変更した形です。



この方法が可能なのかどうか

その判断が正しいのかどうか

妻側の義父母の思いはどうか

両家関係者の思いはどうか

両家跡継ぎ、墓守はどうか

自分の仕事は継続可能か

勤務形態の相談はどこまで可能か

妻側実家付近で暮らす場合と
私の実家付近で暮らす場合の
将来のお金の問題についてはどうか

完全父子家庭としてやりきれるかどうか

行政で出来ることはどこまでか

民間サービスで出来ることはどこまでか

息子の生活環境としてはどうか

発達障害の理解に対する環境は整っているかどうか

亡き妻の供養に対する問題はないか

私は、私の人生を送れるのかどうか…



これらをすべて判断、解決、ある程度の結論を出すまでに、約3ヶ月を要しました。



私の実家には精神障害の兄がいるため、両親も協力が難しく、実家にも上がれず、息子の面倒を見るのは難しいとされていたことは、以前の記事にも書いていますが、

これも、兄のいる場所への干渉さえ無ければ、
私の息子の為に全面的に協力をする、全ては息子を優先に考えて行動して欲しい、と、兄から両親へ伝えており、兄の理解を得ることが出来たと思っています。

実はこれがなかなか凄いことで、
今までの兄の状況からすると、自分よりも他人を優先で考えなさいと言うことなど、病気の影響でなかなか難しくなっていたので、これは大きな大きな変化でした。

兄は、今でこそ病気に苦しんでいる状況で、回りの事など考える余裕などありませんが、
現役で頑張っていた時は、世界中のIT技術、特にインターネットに関わる技術の礎を築いてきたチームに属し、世界中にその新しい技術を展開していった人たちのうちの一人でした。

弟の私が言うのもなんですが…
お世辞抜きのキレ者なので、精神障害というハンデを負っても、判断力、理解力はずば抜けており、今でもやるべき事については完璧にこなす、信頼が出来る兄です。

その兄の気持ちを動かせた事で、今回の新しい生活のスタイルが決まったようなものです。



まだまだ、引っ越しや生活の形を作るのは2月、3月の話ですが、既に引っ越し先は決まっており、1月中旬には入居が可能になりました。

ただ、今息子が通っている保育園は卒園させてやりたいので、家賃は3ヶ月ほど二重に掛かってしまいます。

しかし、
それでも、妻の実家付近に住んだ場合の家賃と、ほぼ同額しか掛からないため、3ヶ月くらいなら痛くも痒くもありません。

早くから引っ越し準備を進められるのは、時間の無い自分にとってはとても助かる話です。



住宅の話で言えば、

都営住宅の応募もしていましたが、12月22日に結果が出ました。

7倍抽選枠で申し込みましたが、かすりもしませんでしたね。

そもそもが、自分と息子の人生すべてを掛けた博打みたいなもので、

外れ続けたら、全財産尽きるまでのチキンレースになることはわかっていましたので、妻実家付近に住む、という選択肢しか無いと思っていたときは、本当に悩みました。



ちなみに、都営に外れたときの都内の住まいで、ここなら大丈夫かな?と思えたところは一軒もありませんでした。



自分の実家とも、

疎遠ではありませんでしたが、なかなか会いに行ける機会もなく10年程が経ちましたが、今回の引っ越しを期に、孫の面倒を見て貰うことになりました。



仕事の方で直近の出来事といえば、

仕事内容、仲間は全く変わりませんが、
同グループ内での業務移管、転籍により、会社が変わりました。

不満はまったくない転籍なのでいいのですが、またなんでこの時期に重なるんでしょうね。大変なんだから勘弁してくれ~💦
と思いつつも、新しく関係を持つことになった転籍先の方々には、本当に良くして頂き、ご理解頂き、今までよりも環境は良くなったと感じます。

このような仕事上の変化がこのタイミングにあったことも、ターニングポイントとしての意味合いは強いですね。



息子についても、

ADHDもとい、ASDの記事の方でお話ししている通り。特にここ1年は本人も、回りの人も、本当に色々な事がうまくいかず、とても辛い思いをしていると思います。

環境を変え、環境要因でやってはいけないという事を減らし、伸び伸びと生活し、学び、出来る限り他人との関係を築けるよう、また、得意なことが見つけられるよう、沢山の経験をさせてやりたいと思っています。



妻の事についても、

2017年の状況はまだ記事としてまとめられていませんが、
亡くなってから半年たった今でも、何かの切っ掛けであらゆるシーンを思い出し、涙が出てしまう事もあります。

本当に沢山の事を経験し、言葉は交わせなくとも言葉以上にお互いを理解し、自分に出来る、自分にしか出来ないことを、命が失われる瞬間まで続けてきました。

最後の2ヶ月間は、ナースコールを一切押さなくてもよいほどに、妻の命を支え、痛み辛さを取り、負担を掛けず、今までの人生の全てのありがとうを形にし、互いに心をひとつに重ねて命をまっとうしました。

本来であればまだ数十年もの間、共に生きていく筈だった時間のすべてを、数ヵ月に凝縮したような、非常に濃密な時間を過ごしました。



妻が亡くなった後の漂流生活も、

進むべき道を定め、

自ら舵を切り始める事が出来ました。

追い風を捕まえるにはあと少しやるべき事が残っています。

来年の4月から、追い風を捕まえる事が出来るよう、今はやるべき事に集中しましょう。

超過密スケジュールですが、新しい人生の軌道に乗れるようオールクリアを目指して頑張ります!

■ADHD07 ADHDではなく

2017年12月14日



息子6歳時点での正式な発達障害診断結果が出ました。



ASD
(自閉症スペクトラム)



ADHDと言われなかった事は少し意外でした。

今までの診察、カウンセリングでは、ADHDの話も、ADHD用の投薬治療(コンサータストラテラ等)の話も出ていましたが、

これまでの3年間の観察経過、11月に受けた発達検査の結果、また、その検査中の行動から判断して、

診断名として付けるのであればASDの傾向の方が強い、という事になりました。



ADHDとされなかった一番の理由は、



ADHDと同様の衝動的な行動、多動など、

気になったものへの興味が抑えられず、やるべき事を続けられないところ、

じっとしていられず、常に飛び続けたり、グルグル回ったり、走り回ったり、

という特徴はあるものの、

気になった物への欲求に対して、いきなり拒絶したり、ダメだと遮ったりせず、前向きに叶えてあげた上で元の行動に戻れるよう促せば、素直に元の行動に戻れること。

また、2~3分程度の自由を与え、時計の針が25分になったら次の事やろう。
などと促せば、まあまあ戻ってこれること。

集中して何かをしているときなら、不意のイベント(近くで音が鳴る等)が起きても、興味が逸れずに続けられること。

こういった、軽度の多動、衝動性で、ある程度の制御が利く状態であるなら、投薬治療なども検討するようなADHDとは言えない。



という判断です。



むしろ、自分のルールを強要したり、

相手の意見を聞きながら、その場の調和を取るように自分で行動を制御するなどの能力が弱く、

自分の思い通りにしようという意識が強い、

といった特徴からすると、
自閉症スペクトラムの傾向の方が強いようです。



ただし、0か1かの話ではない事

ADHDで言われる特徴も少なからず持っている事

ADHDだと書いた方が生活全体を通して上手くいく可能性がある場合は、診断書に書き加えることは出来る、とも言われました。

まずは、医療機関の正式な診断結果として受け止める事に。



子供のASD(自閉症スペクトラム)については沢山のサイトに情報があります。

下記サイトなんかは、非常に簡潔に、分かりやすく本質を捉えた説明がされています。



発達障害のある小中高生向け 放課後等デイサービス
http://www.teensmoon.com/characteristics/asd/



さて、

まずはブログのプロフィール等書き直さないとねf(^_^;

ADHDのタイトルもASDにしていきましょう。



ちなみに、自閉症スペクトラムという言い方が現在の主流のようですが、自分はあえてASDという言い方を使っていこうと思います。

理由は、



自閉



という言葉が、



内向的

他人と関わり合いを持たない



といった姿を多くの方が連想しやすい気がするのです。

息子は、まったくの正反対の特徴があるので、
自閉症 = 内向的な子なのかな?
というイメージで伝わって欲しくないのです。



自閉症という文字自体が持つそのような印象を補うような意味で、スペクトラム(分布)という言葉を付けて、様々な要素を持っている、という意味合いにしているようなのですが、多分、自閉症発達障害に相当な理解がある人じゃなければ、この意味はわからないでしょうね。



そのスペクトラム(分布)という言葉の通り、

自閉症には一定の特徴こそあれど、
その特徴がポジティブ側に片寄っているのか、
ネガティブ側に片寄っているのかによって、

正反対の特徴を持つ子でも、
同じASD(自閉症スペクトラム)だと言われるのです。



例えば、


【特徴】
他人との関係がうまくいかない。



自閉症として、このような特徴があると言われています。
ここまでは、どの情報源を調べても必ず載っている情報です。
恐らく自閉症と言われて想像する、世の中の一般的な知識はこのレベルだと思います。

しかし、ASD(自閉症スペクトラム)としての本当の特徴は以下のようになります。



【真の特徴】
他人との関係が "結果として" うまくいかない。



この "結果として" という意味をどれだけしっかりと考えてあげるかどうかで、ASD(自閉症スペクトラム)というものの理解力が大きく変わります。
これを理解できない人は非常に多いと感じます。

これを更に掘り下げていくと、自閉症の子を持つ親と同じような理解を得ることが出来ます。



【その子なりの特徴】

《ネガティブな特徴を持つ子》
人との関わり合いを出来る限り避け、
場合によっては拒絶する。
自分の気持ち、思いを他人に示す事が苦手。
結果、
自分の意識の中にある事だけに集中し、
後は自分の思う通りに行動しようとし、
それを邪魔しようとする人に対して敵意を抱く。
他人との会話、接触を好まない傾向があり、
他人への興味が希薄なため、他人との会話が成立しにくい。
自閉症としては外見上としても分かりやすいタイプのため、他人からの理解は得られやすいと考えられる。

《ポジティブな特徴を持つ子》
人との関わり合いを積極的に行い、
場合によっては必要以上に相手に干渉する。
自分の思い、考えを相手に強要する。
結果、
他人が自分の思う考えに沿わなかったり、
反発されると、非常に強い敵意を抱き、
他人が自分の思う考えに沿い、
賛同されると、非常に強い仲間意識を持ち、
その両極端の意識を持って行動するため、
他人との関係性が、必ず過度な結果となって反映されてくる。
他人との関わり方として、ちょっかいを出す行動が多く、相手が嫌がる事ばかりをし、嫌がられた事に対して敵意を持ち、相手が悪いという物言いになってしまう事も多く、迷惑な子という印象も持たれやすいと考えられる。
一見、騒がしい元気な普通の子、少しワガママで我が強い普通の子、と見られがちで、障害のためにこの様な行動になりやすいという理解は非常に得られにくい。



こういう両極端の個性であっても、どちらも自閉症なんです。

特にポジティブな特徴についは、自閉症だと言われて納得出来る方ってどれくらいいるんでしょうね。

そのような印象付けに、自閉症という言葉が一役かっているような気がするため、自分としては自閉症という言葉を使うよりも ASD という呼び方で理解を得ていった方がいいんじゃないかな、と思うのです。



ちなみにうちの息子の傾向がまさにポジティブなタイプで、とにかく人に突っ掛かっていき、思い通りにならなければ一騒動起こすという…非常に厄介なタイプです。

とにかく回りにいる人を次から次へと巻き込み、待つことも、順番も、ルールも守れずに好き放題走り回るため、ADHDの傾向が強いと見ていましたが、ASDのポジティブ側の行動と、とてもよく似ているんですね。



公園に行く度にだれかれ構わず遊ぼうと声を掛け、

なんかしらねーやついるぞ!

と、年上の子に言われながら、勝手に鬼ごっこに参加し、そのうち自分のルールを強要し始め、嫌がられてケンカをするという…

ほんと勘弁してくれ(笑)

まだ笑い話で済むレベルで済んでいますが…



ASD という診断が付くときの特徴としては、

その他の特徴的な障害(多動、衝動性が過度に出すぎるADHDや、知的障害などなど…)の傾向が比較的弱く、

または、ある程度の制御が利く状態で、

肉体的、精神的、感覚的な成長に、年齢相応ではない大きなバラつきが生じている場合にASDという診断名が付きやすいみたいです。



例えば、パズルなど目で見て正解と同じ状態を作るような事には年齢以上の能力を発揮するのに対し、

表情から感情を読み取るような理解が著しく劣っていて実年齢よりも3歳も年下の子が理解する事が出来ないなど、

なんで5歳なのにこんなこと出来るの!?凄いね!
なのに、何で弟でも出来るようなことも出来ないの!?何でやりたがらないの!?

というような、アンバランスな状態があるようなら、ASDだと診断される場合が多いようです。



そんなASDと診断を受けた息子の最近の様子ですが、確かに最近は衝動的な行動がやや抑えられており、どちらかと言えば こだわり に対する反応の方が強いように思います。

もしかしたら、数ヵ月前から続けている薬
甘麦大棗湯(カンバクタイソウトウ)
の効果が多少は出ているのかもしれません。

これは、過敏な神経反応を和らげ、落ち着き、冷静を取り戻しやすくする漢方薬です。

特に てんかん や、 引き付け の他、
女性特有のイライラなどにも処方されるもののようです。



甘麦大棗湯
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se52/se5200019.html



それにしても、プロのカウンセラー恐るべし。

A4用紙4枚にまとめられた診断結果に書かれている事も、息子が日頃家ではやっていて、カウンセラーには見せないような行動についても、ディティールまでわかるほどに正確に指摘されており、対処法も書かれている。



自分は、
リンゴを消す手品を見させられたサルのように、



(゚Д゚)



アホ面www

本当にお見事です!
としか言いようがなかったです。



息子も4月から小学生。

何とか新しい環境で気の合う友達を作って、良い方向に歩き始めて欲しい。

ADHDから、ASDへと意識を変えて

息子の成長も新たな局面を迎えていきます。

■舌癌14 頚部放射線治療

2016年4月19日



色々な準備を済ませ、いよいよ放射線治療開始です。



あまり細かくは本人から聞いていませんが、1回の治療時間は20分ほど。

実際に放射線を受けている時間は数分のようです。

皆さんよくご存じの、レントゲンも同じように放射線を使った撮影をしますが、それを数分間受けるという感じです。



妻は、4月19日から、6月7日まで、何回かに1~2日の休みを入れながら、ほぼ毎日通院で放射線を受けにいきます。

途中、経過を見ながら回数や照射位置を調整していきます。

全回数としては…忘れました╭(๐_๐;)╮
37回だったか、40回以上だったか…それくらいでした。



経過と共に、どういう経過、副作用が出たのかは以下の通り。妻からの実際の報告と、私の客観的な感想です。






4月19日 初回

なんともなかった!(・∀・)
まだ副作用も出てないし、今のウチにいっぱい食べとく(笑)



4月26日

朝はあんまり調子良くないねぇ。
食欲出ない。

(だるい感じ、口の中が乾く感じ。普通のものが食べにくいため、プリンやゼリー、とろみを付けた汁気の多い食べ物になっていく。すき焼きを高級肉で刻んで食べるのが最高にウマイらしい❤)



5月3日

(更にだるさUP、口内炎が出来始める。
頚部全体、肩、肩甲骨、鎖骨付近まで、皮膚が少し赤く日焼けのようになってくる。味覚障害が出てきて、食べられたものが受け付けなくなりはじめる。)



5月13日

喉痛いのと、口内炎がデカくなってきて痛いのと、咳が出やすいのを除けば、今のところ平気。
喉が腫れて、少しの刺激ですぐに咳が出る💧

喉痛いのは、食べる前に痛み止め飲んでれば平気。
痛み止めは口内炎には効かないのね😥

体力はけっこうあるっぽい。
まだまだぜんぜん耐えられる(笑)

(うろ覚えで、あまり信頼できない情報ですが、痛み止めにロキソニンと、トラマールを時間を分けて服用していたと思います。)



5月19日

今日も午後からあんまり体調良くなくて。
ちょっとぐったりしてた。

(口内炎が更に酷くなっていく。喉がただれ、とにかく食べられない、食べにくい。味覚障害が日々変化し、昨日美味しかったものが、今日は食べられないという日が続く。)



5月25日

昨日は体調最悪だった💧
今朝はまあまあ。
昨日よりはいいかな。

(照射範囲の皮膚が、赤みから黒ずみへと変わり、所々剥け始める。少しの刺激で咳が酷く、喉を刺激しないような、空気を通すだけのような、オホッオホッ…という感じの咳。食事は1歳児用の離乳食を試し始める。)



6月1日

照射が片方からだけになったからか、なんかちょっとラクな気がする✨

(今まで2面からの放射線照射をしていたが、片面になったらしい。ただ、楽な気がするのは本人の感覚のみで、口内炎、皮膚のただれは更に悪化。とにかく食べられない。あと1週間!という気力だけで治療を続ける感じ。辛そう。)



6月6日

食べたいものいっぱいで困っちゃう(笑)
ひまなときに食べたいものリスト作らなくちゃ💖

(辛いときこそこういう気持ちで立ち向かう妻、ポジティブな気持ちでいるということが、まわりの人たちをどれだけ安心させていたか…と言うことを思い出します。)



6月7日

終了
仕事休暇、6月末まで延期したよ✌





以上が、放射線治療を受けていた時の妻の状況です。



しかし、放射線治療の辛さは、治療が終わればすぐに解放されるという事ではないのが厄介です。

この時は、味覚障害や、湧き出るように次から次へと出来てくる口内炎、喉の荒れ、痛みが、治療後3週間程、6月末まで続きました。

また、痛み止めの薬を何かしら服用し続けなければいられない、という状態になったのもこの頃からです。




それでも、
この程度の治療、副作用の辛さなど
今後受けることになる治療に比べれば遥かに楽であったと思います。

その話はまた後ほど…



放射線治療後、暫く体調が回復するまで実家療養し、6月後半に掛けて元気を取り戻していきます。

7月からは、
妻も仕事完全復帰を目標に、短時間の出社で体を慣らしていきます。



6月30日

味覚障害も落ち着き、

明日から久しぶりに会社だ!頑張らなくちゃ!

という意気込みも出てきたこの日。

子供を妻の実家に預けたまま、

本当に久しぶりに2人で外食を…



直前まで食べられるかどうか分からなかったため、その場の思い付きで、しゃぶしゃぶの食べ放題に。

妻も、注文して食べられなかったらどうしよう…と心配していたため、

それなら初めから食べ放題にして、金の事は気にせず食えと(笑)

どっちにしろ俺はめっちゃ食うから!と。



ぽん酢だれのようなやつは少し滲みて食べられなかったのですが、ゴマだれが調子良くて食べる食べる🍴

今までの遅れを取り戻すかのように、

食べられるって本当に幸せ😃💕

おいしい、おいしい!

と、二人で座敷のテーブルの目線の高さ位まで

肉の重箱が高く積み上がるほど食べました🎵



扁平上皮がんは、2年がとても大きな目処になるらしいよ。2年再発なしが一番大きな目標。
どうか、再発しませんように!!



と願いながら、

この時の想いとしては

あとは抗癌剤を乗り切って2年後、

また、5年間再発が無ければ

この大変な困難も乗り越えられる!

食べたり、喋ったりは少し不自由でも、

今までと変わらない幸せな毎日が戻ってくる!

そういう想いでいました。



しかし…



このとき既に、次の問題へと繋がる

病巣部の変化が起きていました…



それは、食事の最後の最後で明らかになります。



食事後、薬を服用します。

大小錠剤がありましたが、小さな錠剤が舌の付け根付近にはまり、取れない。

そして、痛い。



舌切除の影響で、舌の付け根付近の形状も変わっており、舌の動きも悪いため、日頃からよくご飯粒などが取れなくなり、うがいで取ったり、綿棒で掃除をよくしていました。

今回はたまたま薬がそこにはまってしまった。

そして、かなかな取れない。



何度かうがいをしているうちに取れたようで事なきを得ましたが、

物が挟まる、取れなくなるだけでなく、

痛い

という事がとても気になりました。



ただ、放射線の副作用は暫くの間続くものだと思っていましたし、

また、晩期後遺症などもあるため、まだまだ悩みは尽きないなと思いつつ、

でも、とにかく再発しなければ、切るべきは切ったし、放射線で主な残存は駆逐した。

あとは万が一に備えた抗癌剤だけ頑張ろう!

明日からは仕事も再開して、体力戻していこうね。

でも無理はすんなよ!

と激励して実家まで送り届け、自分は誰もいない我が家へ…



この出来事からたったの10日後。

最悪の事態が起こります。

■舌癌13 make a wish!

はじめに。

最近、4月からの新しい生活の為に色々と準備を進めており、時間に余裕が無くなってきました。

ブログを更新する間隔が長くなってきてしまっていますね。
細々かもしれませんが、必ず最後まで続けていくつもりです。



それでは妻の舌癌闘病の続きです。






2016年4月中旬



2回目の手術、頚部リンパ節切除手術を受け退院した後。

比較的早く調子を取り戻し、4月19日からの放射線治療の準備を進めて行きます。



ちょうどこのとき、息子5歳の七五三から半年前。

妻が、子供が生まれたときからずっと楽しみに、目標にしていた、ディズニーホテルでの七五三向けセレブレーションパーティの予約を…



セレブレーションダイニング&グリーティングプラン
http://s.disneyhotels.jp/banquet/plan/celebration_2018.html



ディズニー好きの妻が、子育てのひとつの節目としてずっと考えていた企画です。

また、ディズニーランドホテルファミリールームへの宿泊2泊と、ランド、シーへの2日間連続パークインも。



ディズニーランドホテルファミリールーム
http://www.disneyhotels.jp/tdh/room/concie_family.html



ちなみに、自分を除く全員が2パーク年間パスポート所持のため、年間パスポート代と、自分のパスポート2日分含め約30万円超。

当日の食事、その他サービス等も含めると、総額100万円を越える3日間連続のディズニーフルコースという大企画。

えぇ、5年計画で貯蓄しましたとも٩( 'ω' )و



ディズニーのホテルやレストランの予約は半年前から可能で、人気のプランは半年前の朝イチに予約しても取れない事があるくらい。



その辺がよくわかっている妻。

予定日のちょうど半年前、午前10時頃には



全部予約とれたよ!💝



と喜びの連絡が。

さすがです(笑)



しかし、正直今の状況で半年後に病状がどうなっているか予測は出来ません。

それでも、



make a wish!
夢を叶えるんだ!



何があっても、どう変わっていっても、

変わらない想いは1つ。

ただこれ1つを胸に、皆の想いをすべてここに結集します。

そして、これからの治療のスケジュール、タイミングを、主治医にもオープンにした上で、それに向けて計画を立てていくことになります。



2016年4月14日

九州熊本地方で震度7の大地震がありました。

妻の病気とは関係はありませんが、共通の友人が子供と4人で住んでいる地域だったため、すぐさま連絡を取り、無事を確認。

まだ生まれたばかりの乳児を抱えながら、寒い星空の下、屋外、車の中で2夜程を過ごしていた事を思い出します。

その友人の子、長男(確か当時4歳)は、
巨大な地震、余震が来る度に
地球に対して 「うるさい!!!」 と怒っていたそうですwww

数日後、家に戻れた事を確認し、日持ちする食料、トイレットペーパー、ウェットティッシュなど日用消耗品と、子供が喜びそうなジュース、お菓子、オモチャなどもダンボール箱一杯に詰めて送りました。

輸送機関もだいぶ遅れがありましたが、その時はゆうパックが他サービスより1日早く到着した速報なんかも入ってきており、確か発送から3日後くらいには到着していたと記憶しています。

他の友人からはamazon直送でテントなんかも送ったらしく、



これだけあれば何処でも生活出来ますありがとうございます!



と元気な返事が帰ってきてとても安心したと共に、

今、東京でこんな地震が起きたら、妻の治療を無事に行う事が出来るのか、守ってやる事が出来るのかと、とても心配になった出来事でもありました。



そんな中、

妻は、放射線照射の位置決め、頭、体の固定のためのマスク作成、体へのマーキングなど、あらゆる準備をすすめ、放射線治療開始日を待ちます。



放射線治療 頭頚部固定マスクなど
http://www.onh.go.jp/rt/images/pdf/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E6%B2%BB%E7%99%82%E6%A1%88%E5%86%85ONH%E7%89%88%E9%A0%AD%E9%A0%B8%E9%83%A8.pdf



また、放射線治療に対する全体の知識を得るには、以下のサイトなんかがとても有効でした。



最新放射線治療のすべてがわかる
http://houshasenchiryou.kuron.jp/index.html



結構ビックリしたのは、皮膚へのマーキング。

ちょうど切除手術をした頚部付近から鎖骨、肩甲骨、背中辺りまで油性ペンのようなものでマーキングが。

これによって照射位置を毎回正確にずらさず処置が出来るため、あまり体を強く洗わないで下さい、と。



また、舌癌、頚部への放射線治療の際、最も気を付けなければならないのが、下顎への被爆をどれだけ回避出来るか。

実はこれが今後の治療の中で、最後の最後まで付きまとう、非常に強く意識を続けなければならないものとなる事を、先に伝えておきます。



J-Stage
放射線性下顎骨壊死症例の検討
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jibiinkoka/113/12/113_12_907/_pdf



エビデンスとして非常に多くの症例と、ハッキリとした原因、理由があり、下顎への放射線副作用は最も注意が必要で、被爆量を厳重に管理しなければならない。

通常、根治を目標とした放射線治療では、癌組織への被爆量を約70グレイと定めているらしい。

これは、癌細胞を確実に壊死させつつ、正常細胞がギリギリ治癒を望める限界被爆量となっているかららしい。

しかし、エビデンスに残る情報では、顎骨への重特な副作用は60グレイ程度から多く発生し、80グレイの時点で殆どが顎骨壊死へと発展してしまうと書かれている。

つまり、照射位置、角度などが悪ければ、標準的な放射線治療を行うことで癌を駆逐したと同時に、副作用によって命を奪われる、という最悪のルートに漏れることなく乗ってしまう事になる。

ひとたび顎骨壊死など起こしてしまえば、それが癌なのかどうか判断も難しく、また、治療法が無いため、癌であっても顎骨壊死であっても、どちらでも似たような結果を辿り、やがて下顎を失い、生きる能力を失うという結果になりかねない。

顎骨壊死は、下顎付近への放射線治療後の、虫歯治療、抜歯などが原因で起きてしまう事もある。

元々下の歯に虫歯などがあり、放射線治療によって骨が脆くなった事で虫歯が進行し、抜糸を余儀なくされた等の経過を辿った際に、

放射線治療の副作用で、抜歯後の傷治癒が進まずに壊死が始まり、そのまま下顎が溶ける、腐るなどの症状に発展していく。

当然虫歯以上、骨折レベルの猛烈な痛みに襲われ、我慢、放置など出来る筈もなく、顎骨の大部分を切除しなければならなくなるが、

切除すれば治る、ではなく、切った所がまた治癒できずに、結局骨と皮膚の壊死が進み、手の施しようが無くなってしまう。

舌癌、口腔低癌付近の症状としてはもっとも危険な進行であり、本人も、看病する側にとっても、大変な苦痛を強いられる事となる。



今回の放射線治療の前にもこれら説明は 簡単に されており、虫歯治療をしてくるように言われ、妻も歯医者に行っている。

とても口の中は綺麗にしていた妻だったので、虫歯もなく、治療の必要は無かった。



この、顎骨壊死という副作用がある事に始まり、癌治療、放射線治療というものが、

単なる治療という考え方ではなく、

生きる力をギリギリまで削り落としながら癌を除去し、再生しようとする正常細胞との せめぎあい をしているのだと言うことをこの時初めて知ることになります。



また、この頃から

次の状況変化に対する治療の方法、

標準治療以外の可能性、

セカンドオピニオン

それらを調べた上での、改めての標準治療の有効性、なぜそれが標準治療となっているかの根拠

など、癌治療における様々な知識を得ようとし始めたタイミングでもありました。



情報源の先方への許可なども大変なため、全てをお伝えすることは出来ませんが、後の記事のなかで出来る限りお伝えして行こうかと思います。

それが、何処かでこの情報を必要としている誰かの手助けになれば…という想いも、このブログを始めた切っ掛けでもあるためです。



こうした準備を整えながら、

妻は、4月19日の放射線治療1回目を迎える事になります。

■ADHD06 興奮

息子が、

小さい頃から、今でも変わらず、
とても強く持っている特徴として、

興奮状態になりやすく、非常に冷めにくい

という所があります。



日々の行動を割合で示すと…

 平常心 10%

 放心  5% (寝起きのみ)

 興奮  65% (楽しい、イライラ含め)

 甘え  10%

 怒り  9% (癇癪は週2~3回?)

 謎   1% 

こんな感じでしょうか。



興奮高っ(゜ロ゜;

でも、ほんとそんな感じです。



何をしてても瞬時に興奮状態になり、調子に乗りまくります。

調子に乗り始めると、大抵はやって欲しくないことばかりをやり始め、

それを止めるように言っても 嫌だ! と話を聞かず、

周囲に迷惑を掛けまくって、流石に放置は出来ず

諭す、叱る、頼む、気を逸らす、などあの手この手を駆使するも、

本人がやりたいことは、そのみんなに迷惑を掛ける行為をやりたい訳であって、

それ以外は一切関心が無いため、止めるなんて話が通用する筈もなく、

結局無理矢理やめさせれば癇癪を起こして更に手がつけられなくなる、という。

これが毎度のローテーションになってしまっています。



その場では何を言っても聞かないのですが、

暫くして、興奮が冷めたときにちゃんと話をすると癇癪など起こさずに、悪いことをしました、ごめんなさいもうしません…と言う。

そういうやり取りがあってから1~2時間は制御が利くのですが、

3時間くらい経過すると、怒られたこと、約束したことがすっかり消えており、また同じことをやる。



最近は、興奮し始めた時にすぐ体を両腕で包み込んで、



ほら、思い出して。
今が、約束したxxの時だよ。
思い出して。今、嫌なことしちゃってる。
もうやらないって決めたことしちゃってる。
思い出して。今がお父さんとの約束を守る時だよ。



と言い聞かせると、以前よりは癇癪などに繋がりにくいようになっている気がします。

ここで、



ほら!またそういうことして!
やらないって約束したでしょ!



なんて言おうものなら、まさに火に油。

家の中だろうが、公園だろうが、店の中だろうが、電車の中だろうが、

大声で叫び、暴れ、人の手を引っ張り、床に寝転び、人の迷惑になることをやるんだと叫び続け、それをやるまで興奮、癇癪は収まらない。



つい先日、やや満員の電車に乗ったとき、
座れる場所が無いことに突然腹を立て、
混み合う人の中で大騒ぎを始めてしまい、
仕方なく1駅で降りて落ち着くまで待とうとした時、

電車を降りた事自体が更に許せなかったらしく、ホームで大癇癪を起こし、



お父さんは今すぐあっちに飛び降りて!



と線路の方を指差し、何度も何度も叫び続ける事態に。

ざわつく周囲。

自殺をしろと線路を指差す息子と問答を繰り返す父親。

こういう光景をみた回りの方は、どう思っているんでしょうね。



結局このとき、

電車に乗らないと落ち着かない!もっと叫ぶ!

と更に興奮していく息子の、僅かな良心、親子の信頼感だけを信じて、

次の電車は少しだけ座れるところが見えたので、
ギャンギャン言い続ける息子と共に、一か八か電車に乗り椅子に座らせる。

あれをして、これをして、と
次々に他愛もない要求をならべ、
たいした事でも無いので叶えてやると
すっかり機嫌は直り、いつもの可愛い息子へ…



我慢が出来ない、

興奮しはじめたら収拾がつかない、

要求を飲まないと自制が利かない。



このままではいつか大きな過ちに繋がる。

毎日、こう思わない日はありません。



悪いことをすれば怒られる。

こんな当たり前の事を、当たり前だとしっかりと教えるために、

時と場所を選んで、あえて強く叱る場面も作っています。

泣いてごめんなさいと言ってくる事もあります。

でも、次の日には同じことを繰り返します。



なんていうか、

興奮というよりも、躁鬱に近い、

やる気の躁鬱感が激しいと言うのかな…



やる!と決めた時のやる気があまりに強すぎてみんなついていけない。

やりたくない、と思った時のやる気のなさは半端じゃなく、誰の言うことも聞かない。

この行動を咎めようとしたり、制御しようとすると、途端に反発されて嫌がらせで反撃される。



こうやって書いていくと "彼ら" には彼らなりのロジックがあって、

それを尊重しきれていない私たちの方が、まだまだ "彼ら" を理解できていないのかもしれないですね。