~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■ADHD03 食べない食事

少しだけ過去に遡りますが



2歳の頃

保育園に通い始め、生活の時間が大きく変わり始めます。



自分は普段通り会社に行き、出来る限り早く帰ってくる、今までとあまり変わらない生活ですが、
朝、妻と一緒に、駅の手前にある保育園に子供を登園させてから会社に行く事になります。

妻は、今までは育休で会社はお休みでしたが、朝夕時短勤務で会社復帰し、朝は一緒に登園、帰りは早めに息子を迎えに行き、帰って息子を落ち着かせつつ夕飯を作る、という生活に。



はじめの1年は保育園に慣れない事もあり、誰でも経験する

「保育園行きたくない!」

登園途中で 「公園行きたい!」

保育室に入っても親と離れられない。

こんな事はしょっちゅうありました。
そんな事でへこたれていては親は務まらん!
と、二人でうまくカバーしあいながら徐々に園生活に慣れていきました。



朝がどうしても早くて、
7時30分には登園させなければならないため、朝起こすのだけはずっと苦労し続けましたが…

たまに何も言わなくても起きて、部屋の扉の所から半分だけ顔だしてリビングを覗いている事があって、

こっちから見返すと、ヒョコっと頭を引っ込めて隠れ、またそーっとこっちを見てきたりして(笑)

このやり取りをしている時は本当に可愛くて、面白い子になりそうだなーなんて、小さな幸せを感じたものです。



そんな生活を続けて1年、

息子は3歳に。



とにかく元気いっぱいで、すぐ興奮して暴走気味になりやすい子でしたが、明るく、よく喋り、よく食べる子だったので、成長に関してはあまり心配はありませんでした。

保育園の友達関係は、我が強くて色々問題だらけでしたがf(^_^;



しかし、この頃から家庭ではこんなやりとりが増えていきます。



ご飯を食べない。



お味噌汁半分飲んで、席を立ってフラフラ、ゴロンゴロン。



今まではあんなに食べていたのに、お腹いっぱいな訳がありません。



もうごちそうさま?
全然食べてないじゃん。



…あとで食べる。



今はご飯の時間だよ。
ちゃんと席に着いてご飯食べてね。



無視。



何をするでもなくダラダラゴロゴロする事が多かったですが、だっこをせがんできたり、遊びたいオモチャで遊んだり、テレビを見たいと騒いだり。

こんなやりとりが、朝食も、夕食も。



まあ、確かに遊びたいものがあれば、見たいテレビがあればそっちをやりたい3歳児。

そんなの当たり前じゃない?
それでもちゃんと礼儀正しくいられるようにするのが親の躾だよね。

という声が聞こえてきそうですが。

そこは、押したり引いたり、この子にあったやり方はどんなかな?と、色々やってみる訳です。



遊ぶのはご飯食べ終わってからね。

テレビはご飯食べ終わってからね。

食べ終わればお出掛けの時間までは遊んでいいよ。

歯磨きも忘れずにね。

出来るかな?

どっちが先に出来るか、よーいどん!




いきなり怒ったりはせず、諭したり、確認してみたり、競争してみたり。
それでも簡単にはいかない訳で。



駄目なものはダメ!

ご飯を先に食べなさい。



なんて、毅然とした態度で、
いくら言ってもこればかりは変わらないよ、
という態度を暫く続けてみたりするわけですが、
それは癇癪を起こして大暴れに繋がる訳です。



ご飯は食べないのね?
食べないならご飯は片付けるからね。



と言えば、



食べるーーーっ!!(泣怒)



となり、
じゃあそれで食べるのかと思いきや、
やはり食べずにテレビを見ている。
テレビを消すからね!と言えば



やめろーーーっ!!(激怒)



となり、叩いたり、物を投げたりが始まる。
時には食べ物をメチャクチャにしたりもする。
当然食べ物を粗末にすればバシッと叱るのですが、



お父さん(お母さん)なんて死んじゃえ!消えろ!どっかいっちゃえ!



なんて事になるわけです。



逆に、子供の 出来るよ! という思いを尊重して、やりたいようにやらせてみる。



ちゃんと食べるからテレビつけて!



じゃあ、テレビは見てもいいから、
ちゃんとご飯は食べようね。



ちゃんと食べる!



(テレビつける)



テレビ見ながら固まること30分…



ご飯、ちゃんと食べよう?



無視。



ご飯、ごちそうさま?



ご飯ちゃんと食べる!



じゃあちゃんと食べようね。
お父さん、お願い聞いてテレビつけてあげてるでしょ?
子も約束どおりご飯食べようよ。



食べてる!
(食べてない)



食べないなら片付けるよ?



食べるって言ってるだろーっ!(怒叫)



食べる食べるって言ってるけど、全然食べてないじゃん。いつ食べるの!?



あとで!
(既に親は食べ終わり、食事開始から60分以上経過)



時間掛かり過ぎ!
テレビ見てるから食べられないんでしょ?
こんなに時間掛かってたら出掛ける準備終わらないでしょう!?もう食べる時間無いよ!
歯磨きもする時間無い!
もう片付けるからトイレ行って出掛ける準備しなさい!



ご飯食べる!
歯磨きもする!
(しかし時間もないため、テレビを消し、片付けを始めようとすると…)



うわああぁあぁぁぁあああ!!
(大絶叫 & 人の服をつかんで引っ張り、引っ掻く、叩くの大暴れ & おしっこを漏らしている)



このやりとりが毎食毎回続き、
テレビをつけずに食事しようとすると、いきなり大絶叫状態からスタートするとしたら、
これは一般家庭の子育ての、日常的なやりとりと同じでしょうか?



テレビなんか見せるから悪いんですよね。
食卓にテレビがあるからいけないんです。
遊び道具が同じ部屋にあるからいけないんです。
それは一理あるでしょうね。

でも、ここまで制御がきかない事、
反抗的な態度が出てしまうこと、
約束が守れないこと、
悪いことをすれば怒られるという基本的な親子の躾範疇のやりとりすら通用しないこと、
怒られるという子供なりの恐怖を微塵も感じていないこと、
汚い言葉を使うことに躊躇が無いこと、
毎回同じやりとりをして、毎回怒られるを繰り返しても、やめることが出来ないこと…



母親の立場としては、
せっかく作ったご飯を食べない、
食べたいとせがまれて買ったものすら食べない、
お金だって掛かっている、
後で必ずお腹すいたという、
必要な栄養がとれない、
など、食事を作る立場としての辛さ、悔しさも沢山あったと思う。



あんたはご飯食べなくていい!

もう作らない!



と、食事を乱暴に下げて台所にぶちまけ、
食べるーーーっ! と号泣する子に、

もう捨てたよ!
言っても食べない子のご飯は無い!

と激しく言い放つ場面も何度か見てきた。
それでも、次の食事の時には同じやりとりがまた発生する。



お母さんなんて死んじゃえ!
どっかいっちゃえ!



毎日のようにこの言葉を聞いていた子3歳の時、

妻の癌が発覚する。

そして、3人バラバラの生活を送ったまま、難しい息子を一度もだっこしてあげること叶わず、息を引き取った。



私に、「しっかりと育てて。それが親の努めだからね…」

と言いながら。

どれだけ無念だったか。

こういう子だったからこそ、しっかりと育てるという責任感を強く持ち、

息子のために癌と戦い続けた。



死んじゃえ!
なんて言っていた息子は、
妻が入院してから仏壇に手を合わせ、

お母さんの病気が治りますように…
また一緒に遊べますように…

毎日お祈りを欠かさなかった。
一日も忘れなかった…



本当は良い子で、
優しくて、
しっかりした子なのだ。



その瞬間、
身の回りで起きている事に、頭の中が100%支配され、それが躊躇無く言葉に、行動に出てしまう。
それがADHD衝動型の典型的な症状の出方だと感じている。



そして、この食事の問題はもうすぐ6歳、来年小学生になろうとする今でも、当時と変わらず続いている。



【追加編集】

補足。
癇癪が収まれば素直に食事してくれますので、食べないままになっていた事はありませんでした。朝は食べられないままの事もありましたが…

時間的に余裕のある夕飯は、少し自由にさせておけば、途中遊びながら、最後まで食べてくれます。

妻が入院してからは、妻実家の両親がある程度時間に余裕がある中で対応してくれているので、なんとかなっている状態です。

当時、妻と共働きで、朝の出勤、登園に間に合う時間は7時15分頃には家を出なければならず、しかし息子が癇癪起こさないようにご飯を食べさせるには1時間30分程度は掛かるため、起きてからの準備時間を考えると、5時頃には毎日起こさなければならず…

さすがにそれは無理で、6時頃に起こしてなんとか登園出勤していた感じでした。

時間に余裕が無かった事は明らかです。
これでも朝夕時短勤務を使っていましたので、簡易的な対策ではこれ以上の時間を作ることは難しかったのは事実でした。

核家族化の影響、という側面はあるのかもしれないと今は思っています。
実家暮らしが当たり前だった時代では、じいさんばあさんの協力が初めからある状態で子育てをするので、昔はこういった問題が顕在化しにくかった、という時代背景はあるかもしれません。

だとしたら、一番の被害者は子であり、
親の勝手な思いの悪影響を全て子が受けていたのかもしれず、そうだとしたらとても辛い思いをさせていたかもしれないと思っています。

それが、障害気味の子であれば、相当なストレスを感じる状況だったのかもしれないですね…