~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌41 決意

2019年 秋



ようやく夏も終わり、

日中でも気温が20度を下回る日が増えてきていますが

皆様いかがお過ごしでしょうか。



千葉方面は台風や水被害が酷かったですね。

自分もそのあたりなので大変は大変でしたが、

別段大きな被害にはなりませんでした。

浸水してしまった地域は、

命に関わる大災害だったと思います。

被災されてしまった方々には、

安心して過ごせる日が1日でも早く訪れるよう、

心よりお祈り致します。






私はといえば、

毎日毎日仕事でケツを叩かれ、

息子に、このデコツルツル野郎!とデコを叩かれ(笑)

謎の体調不良が2ヶ月も続き、

原因は不明ですが、

いくつかの科で診療して、

検査結果待ちになっているなど、

やっぱり多忙な、時間の無い日々を送っています。



体調不良の方は、何も無ければ

特に公開予定はありませんが、

まあ色々まわって検査して、

何も無いと言われながらも、

体には明らかな痛みや異様な疲労感はあり、

一時期は歩行困難なほどふくらはぎ痛くなるなど、

どこで診てもらえばいいか分からず困り果てて、

今、循環器科、血液の方ですね。

そこでの検査待ちになっていますが、

そろそろ異常を感じてから2ヶ月も越え、

何となく良くなってきた感もあります。

何なんでしょうね💦



舌癌のブログも、

しっかりとした記録を残すことが出来ていた時期から、

仕事の後に自宅にちゃんと帰る時間が無くなって

職場と病院だけが生活の中心になっていった時期に

突入していくため、

日々あったことを書き留められていない状況です。

LINEでのやり取りや、スケジュール帳などから

何があったかを調べ直して記事にまとめますので、

少々時間が掛かっています。





それでは、以下

妻の生きた証です。






2017年2月19日



口腔底に、ピンポン玉大に腫れ上がり、

指1本分位の穴が空いてしまった癌病巣部を

どうすることも出来ずに、

日々、綺麗にする処置をしながら

抗癌剤のみでこの癌が縮小出来るか

先生方が計画を立てている。



病巣部は噴火口のように周囲がめくれ上がり、

固く硬結するように腫れ上がる。

腫れているというより、癌の塊そのものだろうか…

中は、血と、体の組織が溶けたような、

赤黒いドロドロとしたものが、

周囲の肉組織にこびり付いている…



日々、綺麗に洗浄し、薬を塗り直し、

顎の下全体を覆うガーゼを取り替える。

しかし、恐らく菌も繁殖してしまうのだろう。

頻繁に39度近くの熱が出て、また下がったりを繰り返す。






この日、

体調の良い時間に合わせて、

以前から一緒にスノーボードに行く友人たちが

お見舞いに来てくれて、病室で一緒に過ごした。



4時間程でしたでしょうか。

久しぶりに妻も笑顔で過ごせる楽しい時間となり、

面会時間を過ぎてもまだ一緒に、

予定の倍くらいの時間を一緒に過ごしました。



とても貴重な時間でした。

あんなに妻が笑ったのはどれだけぶりか…



その友人たちと、息子の話をしているとき、

妻はとても沢山の表情を見せていた。

楽しそうでもあり、

困っているようでもあり、

心配しているようでもあり…

妻の想いは、やはり息子の今、そして

将来に向けられている…と感じる。



妻に、

息子がスノーボードやってるとこ、見てみたい?

と聞くと、

是非とも!と返事が。



私(妻)は行けなくてもいい、仕方ない。

でも、息子を連れていってやって欲しい。

みんなで行ってきて欲しい。

息子がスノーボートやるところを見せて!

と…。



今まで、出産の時以外、

1シーズンたりとも

妻とスノーボードに行かなかった年は無かった。

それが、昨年初めて

癌治療の為にスノーボードを諦めた。

そして、今年こそは必ず良くなって行こう!

と約束していたが…

やはり治療の結果は芳しくなく、

どうやら、その約束は守れそうもない…と(ノ_<。)



でも、

この時は、誰もが悲しんでなんていなかった。






よし、行こうぜ!






さすが長年の気心知れた仲間たち。

話は一気に動き、その場でスケジュールを決め、

3月4日に新潟へ行くことで全ての調整を付ける。



何か、今まで1年半の間止まっていた時間が

動き出した気がした…






既に主治医のH先生にも言われていた。



残された時間はとても限られ、有限だ。と…



ならば、

妻が望む全てを、

時を止めず進めよう!

自分たちにしか出来ない方法で、

妻を喜ばせよう!望みを叶えよう!






少し別の話だが、

ちょうどこの頃、自宅で使っていた

デスクトップパソコンが壊れ、

買い替えの検討をしていたが、

今までの面倒なこだわりを捨てて、

妻の所にも持って行けるノートパソコンにすることに。



あわせて、自宅に引いていた光回線を解約、

モバイルWIFIを契約し、

自宅でも、病院でも、

ネットに繋げる環境を作った。



全てを立て直す。

無駄を省いて身軽になろう。

妻の願いを叶えるために。



今までとは違う生活になる。

もう、妻が自宅にいる生活には…きっと戻れない。

覚悟を決めよう。

生活の全てを…変えよう。






2017年2月20日



手術が不可能となった癌に対して、

明日からまた抗癌剤が開始される。



前回、手術の前の抗癌剤もフルドーズ(最大量)の

抗癌剤治療だったが、

前回は、あくまでも手術の際に癌を取り切れるように

術前の癌縮小効果を狙った短期間の投薬治療だった。



しかし、今回からは、

切る事が出来なかった癌を、

可能な限り消滅に近い状態まで縮小させる事を狙った、

体にとっては最大級に厳しい抗癌剤治療。

十分に癌を抑え込む事が出来るなら、

まだサイバーナイフなどで癌を焼き切れる可能性が

残っている、と主治医からは聞く。



その目標は途方もなく、

まず手始めに、という始まりの所から、

1クール/約1ヶ月として、目標は5クール程。

およそ半年間、フルドーズの抗癌剤治療を行うという…

まさに命と引き換えの治療。

しかし、これをやらなければ…

いずれにしても命と引き換えの決断しか残っていない。



今の妻の状況、

顎に開いてしまった穴と、

過去手術の関係で飲み込みが難しくなってきている事で

食事がほとんど出来なくなってきていて、

プリンや、ヨーグルト、アイス、飲み物といった、

流動的なものしか食べられない現状と、

既に体重は30キロ半ばまで減少しているであろう状況では

半年間に渡る抗癌剤治療には、

到底耐えきれない…と感じる。



こんな無茶な治療に思える事でも、

ある程度の若さと、

本人の気力がまだあることから、

乗り越えられる前提で進めましょう。

という事になった。



本人が、何としても生きるんだ!

と考えている以上、

周りがそれを諦めるわけにはいかない。



目標をもっている人は強い!

全ては妻の笑顔を取り戻すため!





2017年2月21日



抗癌剤スタート。

セツキシマブ、シスプラチン、フルオロウラシル(5-FU)

の3剤をフルドーズ。

自分は仕事中だったが、

投与開始の時は、主治医の先生が付きっきりで

状況確認をしてくれていた。



開始直後、

39℃の熱で中止の判断が出そうになるが、

1時間ほどの様子見で熱は下がりはじめ、

安定したらしく、抗癌剤治療を続行。

まずは投与直後の1つ目の壁を越える。



妻は、治療に耐えるという事しか出来ないが、

それ自体で、命を掛けて皆にメッセージを送っている。

絶対に生きるんだ!

と。






2017年2月22日



夜から副作用が強く出て、

突発的な吐き気が出てくる。

赤茶色のタンのようなものを吐いたと報告あり。

恐らく胃液でしょう、との看護師談。



だるく、頭が痛い。

寝ているのも辛い。

ベッドに寄り掛かり、座ったような姿勢で休む。

喋る気力もない。

顔が浮腫み、下唇が大きく腫れている。

副作用か、癌の影響か…

まさか、たったの数日で

人の顔がここまで変わってしまうような事が

起きるとは思ってもいなかった…

今までの状況とは明らかに異なる状況になってきている。



🧑副作用辛いみたいだな…
 でも、癌が広がってしまう辛さを放置するより
 苦しいなんて事は無いはず!

 小児癌の世界では、
 抗がん剤を悪魔だと思ってしまい、
 気持ちで拒絶しちゃう子が多いらしいけど、

 これは正義の味方が敵の親玉をやっつけてるんだ!
 って思い込ませるだけで、一気に気が楽になり、
 効果も高く出るって言われてるらしいよ!

 辛いけど、抗癌剤を受け入れてみよう!






2017年2月23日



👩新しい吐き気止めの点滴してもらったら、
 吐き気なくなった❤



🧑その後も、調子は良くなってる?それとも一時的?



👩一時的だね~。
 点滴切れると吐き気する💧






2017年2月24日



息子のスノーボード準備のため、

息子と一緒に小物を買い揃えに行く。

ブーツ、ウェア、板などは

友人の子が使っていたものを譲って頂けた。

本当に助かります人( ̄ω ̄;)



しかし、抗癌剤を初めてから4日目、

抗癌剤の副作用はピークを迎えていたらしく…



👩吐き気がキツい(≧Д≦)



吐き気に耐えきれず、体が悲鳴を上げる。

何も食べていない体から胃液を吐き出す。

舌や顎は自由には動かない。

動かせばモルヒネ系鎮痛剤でも

抑えきれないほどの痛みが襲いかかる。

そこに吐き気の反射。

吐けば、口の中に吐瀉物が残り、

更なる吐き気を呼ぶが、

うがいをすることも満足に出来ず、

そもそもうがいをする気力すら絞り出せない程のだるさ。

皆が知っている 吐く という状況からは

想像も出来ないほどかけ離れた苦しみ。



自分は離れた場所から励ましながらも、

妻の願いを叶えるため、

歯を食いしばって今やるべき事をやるしかない。

今やらなければ、間に合わない!



🧑ほら!3歳の頃はゴーグルとか使ってなかったでしょ?

 ちゃんとヘルメットに合うやつ買ってきたよ!

 ニット帽はリバーシブルなんだよー✨



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数分後、



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と元気そうなスタンプが返ってきたと思いきや、

次のコメントで



👩苦しくて寝れない
 苦しい…



と、苦しさを訴える妻。



🧑もう治療やめて、出来る限り楽に、
 好きに過ごそうか?(ノ_<。)
 それでもいいんだよ…



👩そうしたい…
 今、会いたい…



時間は夜22時を回っていた。

もちろん面会時間など終わっている。



しかし、妻のこの思いを

“それは無理だよ“、“明日行くよ“

と断る事など、誰が出来ようか。



私は、すぐさま病院へ電話し、

妻の状況を伝え、病院へ向かう。

特別に面会をさせて頂き、妻のいる個室へ。



自分が着いた時には、

今までとは違う吐き気止めを使ってもらい、

少しだけ落ち着きを取り戻していた。

が…上体を起こすようにベッドを立て、

項垂れるように寄りかかり、

とても辛そうにしている。



多くは話さなかった。

体がしんどくて、

話なんてしっかり出来る状態とは思えなかった。



手を握り、話しかける。



辛かったら治療をやめてもいいんだよ…

緩和ケアだけにしていったら、

もしかしたらもう少し楽に過ごせるかもしれない。

そういうことがどこまで出来るのか、

病院に聞いてみてもいいよ。

そうする、と決まった訳じゃないからさ。

聞くだけ聞いて、

どこまでの対応が出来るのか知っておけば、

いざと言う時、そうしたいって決断しやすいよね。



妻は、うん。とうなずく。



妻の様子を見ながら、

看護師を呼び、

もう辛くて苦しくて、治療をやめたいという

妻の気持ちを代弁する。






看護師からの回答はこうだ。






今、点滴を止めたからといって

抗がん剤の効果が体から無くなるわけでもなく、

吐き気やだるさがまだ数日続く事からは解放されない。



吐き気止めは種類があり、

状況に応じて使い分けることで

吐き気を抑えていくことが出来るので、

それで今回も落ち着く事が出来た。



奥様は、誰かがお見舞いに来てくれている時は

痛みを訴えることも少なく、

とても安定しているように見えますが、

誰も来ない日や、夜などは

しばらく看護師が付いて話をしていないと

痛みや苦しさを訴える事がある。



今は抗癌剤副作用のピークだから辛いはず。

これを少し超えれば、休薬期間含めて

暫くは楽になるから、

その時に色々楽しいことを出来るように

していってみませんか?



次の抗癌剤を入れる時には、

今回の体調変化を踏まえて

もっとしっかり対策を取りながら

2クール目をやっていくようにしますから。



今回の奥様が言われたことは、

緩和ケアチームに伝えて、

対策を考えてみますので、

今は、少しでもお見舞いに来ていただいて、

不安を取り除いてあげてください。

もう面会時間は気にしなくていいですから…






これを丁寧に妻にも伝え、



🧑まだ頑張ってみよう。
 まだ諦めない。

 次はもっと楽に過ごせるように
 対策してくれるって言ってくれてるから、
 後日ちゃんと緩和ケアチームの先生に
 もっと負担を取り除く方法があるか相談して
 抗癌剤を続けてみようよ。



👩…うん。
 息子の卒園式も、小学校入学式にも出たい。
 
 (私)に会うと本当に落ち着いていられる。
 それだけでだいぶ楽になるんだよ。
 今日は来てくれてありがとう。

 抗癌剤、もう少し頑張ってみようかな…。



🧑少しでも副作用が落ち着いていく事を祈ってる。

 明日12時頃に、
 緩和ケアの先生が来てくれる事になったから、
 ちゃんと相談してみようよ。

 気持ちが揺れる状況、自分はよくわかってるつもり。
 止めようとか、続けようとか、
 そこだけの判断では決められないからさ。

 ただ、純粋に今感じていることや、
 目標、思いをを伝えて、
 今後少しでも楽に治療を続ける為には
 どういう方法があるか、
 覚悟を決めた人にしか提案できない方法も含めて
 まずはどんな事まで出来るのか相談していこう。



その日はそんな話をして、

深夜0時頃には帰宅したと思います。






このような状況の中では、

本人を励ますことも、

諦めよう、楽になろう、と諭すことも、

どちらも非常に難しく、

どちらも辛い選択を迫る事になるため、

言葉が出なくなっていきます。



これは、この状況になった人にしか

理解できないと思いますが、

闘病記やコラムなどでもよく記事として取り上げられ、

病気で苦しんでいる人の事は理解出来るのに、

何を言っても喧嘩になり、

私の気持ちなんて理解できない!

と反発され、会話が出来なくなっていき、

最後は病気の苦しみ以上に

孤独との戦いになっていく。

それが闘病者本人の気持ちなのではないかと感じます。






終末期に近づいてしまった闘病者本人は、

相当な不安と孤独の中、

誰も自分を助けてくれる人はいない、

苦しい、死にたくない、

苦しい、早く楽になりたい…

そんな混沌とした思いで日々を過ごしている筈です。

それを理解してあげられるのは、

パートナーや家族だけです。



そしてそれを支えるパートナーや家族は、

想像を絶する心労、疲労と、

自らの人生をねじ曲げていくほどの

生活の変化、生きるために必要な多くの事を投げ捨て、

闘病者の為に全てを捧げる人生へと舵を切っていきます。



これを助けられる人は…多分いないでしょう。



恐らくこの気持ちは、

闘病だけではなく、

命の問題に直面してしまった人たち

全ての人達が感じるであろう、

人生でもっとも辛い事であると思います。






こんなときは、思い出してみてください。



人生は一度きり。



後悔や後戻りは出来ないんです。



今、その瞬間が自分たちにとって



最もよい選択の連続となるよう、



意識をしながら人生の決断をしていきたいものですね。






私は、それが出来ていたのかな…

妻はどう思っていたんだろう…