~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌29 同じ天井

2016年 年末



舌癌から、口腔低癌へと転移し、

小線源治療を行うも、

再発を宣告されてしまった2016年年末。



年明け早々、本格的な抗癌剤治療からの

舌と、右下顎のほぼ全てを切除する方向で

手術の調整をすることになり、

そのための体力と、鋭気を養う養うための

年末年始休暇を頂いた妻。



表向きはそのような理由ではあったけど、

今後の治療は困難を極めることから、

退院出来るかどうかがわからない。

とも言われており、



退院の目処としては、手術後、

3ヶ月間あたりで癌再発が無い事が確認され、

抗癌剤を短期的な入院(2~3日)で投与し、

通いながら行うことが出来るようになるか、

または、6クールほどのフルドーズを終え、

一旦の経過観察に入り、

自力で食事が出来るようになってからでなければ

退院の目処がつかないため、

非常に長期の療養期間が必要となる。



そのため、年越しくらいは夫婦で、家族で、

一家団欒の時間を過ごしてきて、

という理由の方が、

より強い理由だっただろう事は

容易に想像がついていた。



それでも、私たち家族にとっては

とても大切な時間。

動けなくなってからでは遅い、

今しか出来ない、願いを叶える時間。



2016年12月後半~2017年1月4日までの間、

一時、病気の事は忘れ、

家族の時間を過ごす事が出来ました。






12月23日



妻実家、親族と共に、

妻希望の レインボーパンケーキ へ。



このパンケーキ屋は、

妻のいとこが行ったことがあり、

とってもオススメだから、一緒に行こう!

とお誘いをしてくれた店。



車イスで電車を乗り継ぎ、原宿の裏路地にあるお店へ。

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写真はレインボーパンケーキオフィシャルブログより拝借させて頂きました。



総勢10名?11名?で、

1階の個室を貸切ってパンケーキパーリー(゜▽゜*)



ここは、何といっても

マカダミアナッツパンケーキが最高に美味い!

妻も、ナッツだけどけて(口の中が痛いので(。>д<))

フワッフワ~なパンケーキを嬉しそうに食べていました。



やっぱり不安や、寂しさは、

皆で一緒にいる時間でなければ解消出来ないですね。



で、店の中に謎の黒いサンタクロースモドキが…

写真に残していなかったのか残念ですが。

レインボーな店に似つかわしくない、その黒い姿に

息子がヒビりまくる(笑)



たまにパンケーキやドリンクをサーブしに

個室に入ってくるのですが、

そのたびに、みんなの膝の上を一目散に逃げる息子。

個室の窓からウロウロしている姿を凝視!



👦なにあれ!なにあれ!?(◎-◎;)



あれはね…

今はまだサンタクロースじゃないけど、

これから赤く色が変わってサンタクロースになる前なんだよ…



👦いつ変わるの!?
どうやったら色変わるの!?(@_@;)



クリスマスまでに赤くなるんだよ…

今日はまだ黒いままだよ…



👦こわい…((((;゚Д゚)))))))



このやりとりを見てるだけてもだいぶ和みましたね(笑)

店を出る頃には、息子も黒いサンタは怖くないという事を知り、

店の出入口にあった綿菓子製造機で綿菓子を作らせてもらって

満足して帰ってきました。

妻も、久しぶりにみんなで過ごせた時間に

笑顔が溢れていました(*´ω`*)






12月24日



妻が突然38.6℃の高熱を出した。

気分が悪いとか、だるい、などは無いらしいが、

逆に、原因がわからない高熱は恐い。

とりあえず解熱剤を飲んで安静に。



自分も妻実家に泊まり、

ベッドから息子の様子を見る妻と一緒に

クリスマスパーティを楽しんだ。



ちなみに息子へのプレゼントはトイストーリーのトミカ全種類。

タカラトミー
トイストーリー トミカ
https://www.takaratomy.co.jp/products/tomica/lineup/toystory/index.htm
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写真:タカラトミー



以前ディズニーランドに行った時、

あるショップでトイストーリーのトミカを見つけたが、

実は、バズ・ライトイヤーアストロブラスター近くにある

プラネットM というショップ以外では、

トイストーリー系の品揃えが悪く、

全種類が揃っていない事が殆ど。

代わりに他のトミカはいっぱいありましたが。



たまたま息子が別ショップで見つけた時は、

バズと何かのトミカが無く、

その時は買ってあげる予定でも無かったため、

息子はひたすらバズのトミカを探しながら、

今日は買っていかないよ、と

残念な思いをしながら帰った事があり、

妻がその一部始終を見ていた。

きっと全部欲しいんだろうなーと。

で、このトミカ全種類をクリスマスプレゼントに。



ちなみにプレゼントは、

買いに行く時間も無くなってしまい、

ネットで買って、クリスマス用のラッピングをしてあげました。



まぁ、息子は喜んでいましたが、

6箱もあるプレゼントを開けるのに必死で、

ヾ(@゜▽゜@)ノ わぁーい✨

という反応が薄かったのがちょっと残念f(^_^;

妻はそれをベッドの上から優しく見守ります。






12月25日


息子とディズニーランドへ行く約束をしていたが、

妻、41℃を越える高熱になる。



本人いわく、インフルエンザのような症状はなく、

やはり体調はそんなに悪くないと言う。



だが、原因不明の熱である以上、

理由が不明なまま放置するなんて事は命取りになるため、

救急で主治医の待つ病院へ。



息子と遊びにいけなくなった事を言い、

病院へ出掛けようとすると、

息子は、お母さんにしがみつき、



👦ぎゅーして…(´;ω;`)
早く帰ってきてね…



と言う息子の目には涙が…

息子はそれを誤魔化すために、



👦目やにが出ちゃったよ。
ちょっと、目やにがでちゃったよ。



と、低予算ドラマのセリフのような事を言いながら、

お母さんに背を向ける…



作り物のような陳腐な話だが、事実。

2ヶ月に1~2度くらいしか家に戻ってこれない

病気のお母さんを持つ、まだ5歳の子供の素の姿。

その姿に、その場にいる全員が、

本当にいたたまれない気持ちで押し黙る…



息子は全部わかっている。

息子は本当に我慢している。

3歳の頃から両親と離れて暮らさなければならない辛さは、

妻と息子と離ればなれで暮らさなければならない自分の気持ちと同じだ。



遊んでやれない事も、

笑いながらのんびり過ごす事も、

好きなことをやらせてあげる事も出来ない、

やっと一緒に遊びに行こうと約束した日も、

お母さんが病気で、

すぐに病院に行かないと行かないといけないから、と

嫌がる息子を無理矢理お母さんから引き剥がし、

高熱に息を切らす妻を抱え、

息子に、ごめんごめん、と言い聞かせる。



本当に可哀想で、

申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



でも、そうする以外に道は無い。






妻は、病院で簡易検査を受け、

恐らく顎の穴の空いた創部からの

感染を起こしている為の熱だろう、ということ。

抗生物質を投与して、暫く経過観察がひつようです、と。



食事か取れない訳ではないため、

今日は入院とはならず、薬を貰って自宅へ。






12月27日



再度病院で診察。

というか、元々、年末年始に入る前の

最後の診察日になっていたための受診。



再発箇所の経過には、特段の変化は無いため、

予定通り年明け4日から入院、治療開始との診断。

ただし、少しでも変化があれば病院に連絡し、

すぐに治療を受けること、との指示。



昨日貰った抗生物質、解熱剤で

微熱程度まで熱は下がった。

熱による辛さはだいぶ無くなったようだ。



休みを貰って、東京医科歯科大学に診察に行ったり、

息子のプレゼント買いに行ったり、

パンケーキ食べに、久しぶりに電車に乗って

出かけたりしたから疲れたんだよ。

少し体休めてさ、

また12月30日に改めてディズニーランドに行こうよ(*^_^*)



そうみんなで約束して、

30日までは、年末の片付けや、年明け入院の準備など、

それぞれのやるべき事をやりながら静かに過ごします。



この間に、部屋の模様替えや、

仕事と、病院と、妻実家の行き来の毎日で、

とっちらかってしまった家を綺麗にし、

ベッドをフラットにしては寝ることが出来なくなってしまった妻のために、

上半身だけ45度くらいに角度を付けたベッドを準備。

車椅子の置き場も用意し、万全の体制を整えます。






12月30日



妻、息子待望のディズニーランドへ。

熱もさがり、体調も回復し、

朝から夜まで、いつもと変わらないランド1日滞在を楽しむことが出来た。

息子のはしゃぐ姿も見れて、

先日のキャンセル分を取り戻せたと思う。



年明け後は、フルドーズの抗癌剤治療も始まり、

そのまま下顎の大部分の切除手術となる見込みのため、

外出も、ましてやランド、シーへ行けるのも

あと1回か、2回か…

その後は、外出が出来るほどに回復出来た未来にしか

そんな日々は待っていない。



いよいよ、今までのようには過ごせない、

というタイムリミットが迫ってくるのを

肌で感じるようになる。



もう、同じ時を過ごす事が出来ないかもしれない…



聞き慣れた、

ディズニーランド閉園の音楽を聞きながら

車椅子を押して帰路に着く時、

もうこんな楽しい日々を過ごせるのは

最後なんじゃないかという思いを噛み潰して。



だからこそ思う。



来年もまた、必ず同じ時を過ごそう。



2017年も、また家族3人で年越しを迎えよう。



その時さえ迎えていれば、きっと未来は繋がっているはず。






12月31日



妻38歳、自分40歳、息子5歳の大晦日

昨日は、実家へと帰った妻と息子を迎えに行きます。



妻実家で妻を自宅に連れて帰る準備をしながら

年越しそばを頂き、自宅に連れて帰ります。



本当に久しぶりに家族が、元の家に戻った日。

これまでも、1にちくらいの短い滞在や、

妻だけが戻ってきた事は数回ありましたが、

家族3人が揃って、数日過ごせるのは

恐らく1年振りくらいか。



息子も、お父さん、お母さんと、

本当の家で過ごせる事が本当に嬉しいらしく機嫌が良い。

ここには、自分の好きなおもちゃのうち、

妻実家に持っていけないものや、

好きなテレビの録画もある。



そういうものを一切我慢して、

お父さん、お母さんと一緒にいられない妻実家から

保育園の行き来をしている事を考えれば、

自分の場所に戻ってこれるのは嬉しいのは当たり前で、

よくその生活を我慢してくれているなと感心する。



一息ついた後、先に妻だけお風呂に入れる。

顎には、顎下を覆う大きなガーゼをしており、

息子にはその中を見せていない。

あまりにショッキングな状態だからだ。



風呂の後に、顎下のガーゼを取り替える。

創部の状態は最悪に見える。

大きく2つ出来ていたコブのうち、

後から出来た方は、子供の拳大に膨れ、

表面皮膚が破れ、浸出液が常に出てきている。



初めに出来ていたコブは、

今は逆に窪んでいるようにみえ、

その周辺の皮膚は、腐ったように黒ずみ、

膿と剥がれた皮膚がぐちゃぐちゃの状態になっている。



体液と血が混ざったようなものが染みだしているため、

ティッシュで拭き取ってからガーゼを当てるのだが、

普通ならティッシュが触れるだけでも

激しい痛みがありそうなのに、

リンパ隔清手術の影響で、周辺の神経が無いらしく、

また、麻薬系痛み止めの効果もあって、

痛みをあまり感じないらしい。

神経が通っている所との境目付近が一番痛いらしい。



こんな状態でも妻は、

一切病気の事や不安を口にすること無く、

時折来る痛みに耐えながら

家族で居られる時間を大切に過ごしているように見える。



正直に言って、

ここまで悪化してしまった状態を見て、

前向きに…と言われても、そんな気にはとてもなれない。



それでも、妻は今ここにいて、

癌の恐怖、痛みと戦いながらも、

不安も、文句もひとつも言わず、

久しぶりの我が家、家族の時間を噛み締めている。



今は、妻にとって本当に貴重な時間、

2016年を無事年越し、

新しい年を迎えることが出来る特別な日。

たった一度しかないその幸せな時に

後悔なんてしていられない。



また来年も迎えることが出来るようにと、



家族3人、同じ天井を見ながら



1年振りの我が家で眠りにつきます。



来年こそは良い年になるようにと願いながら…