~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■舌癌14 頚部放射線治療

2016年4月19日



色々な準備を済ませ、いよいよ放射線治療開始です。



あまり細かくは本人から聞いていませんが、1回の治療時間は20分ほど。

実際に放射線を受けている時間は数分のようです。

皆さんよくご存じの、レントゲンも同じように放射線を使った撮影をしますが、それを数分間受けるという感じです。



妻は、4月19日から、6月7日まで、何回かに1~2日の休みを入れながら、ほぼ毎日通院で放射線を受けにいきます。

途中、経過を見ながら回数や照射位置を調整していきます。

全回数としては…忘れました╭(๐_๐;)╮
37回だったか、40回以上だったか…それくらいでした。



経過と共に、どういう経過、副作用が出たのかは以下の通り。妻からの実際の報告と、私の客観的な感想です。






4月19日 初回

なんともなかった!(・∀・)
まだ副作用も出てないし、今のウチにいっぱい食べとく(笑)



4月26日

朝はあんまり調子良くないねぇ。
食欲出ない。

(だるい感じ、口の中が乾く感じ。普通のものが食べにくいため、プリンやゼリー、とろみを付けた汁気の多い食べ物になっていく。すき焼きを高級肉で刻んで食べるのが最高にウマイらしい❤)



5月3日

(更にだるさUP、口内炎が出来始める。
頚部全体、肩、肩甲骨、鎖骨付近まで、皮膚が少し赤く日焼けのようになってくる。味覚障害が出てきて、食べられたものが受け付けなくなりはじめる。)



5月13日

喉痛いのと、口内炎がデカくなってきて痛いのと、咳が出やすいのを除けば、今のところ平気。
喉が腫れて、少しの刺激ですぐに咳が出る💧

喉痛いのは、食べる前に痛み止め飲んでれば平気。
痛み止めは口内炎には効かないのね😥

体力はけっこうあるっぽい。
まだまだぜんぜん耐えられる(笑)

(うろ覚えで、あまり信頼できない情報ですが、痛み止めにロキソニンと、トラマールを時間を分けて服用していたと思います。)



5月19日

今日も午後からあんまり体調良くなくて。
ちょっとぐったりしてた。

(口内炎が更に酷くなっていく。喉がただれ、とにかく食べられない、食べにくい。味覚障害が日々変化し、昨日美味しかったものが、今日は食べられないという日が続く。)



5月25日

昨日は体調最悪だった💧
今朝はまあまあ。
昨日よりはいいかな。

(照射範囲の皮膚が、赤みから黒ずみへと変わり、所々剥け始める。少しの刺激で咳が酷く、喉を刺激しないような、空気を通すだけのような、オホッオホッ…という感じの咳。食事は1歳児用の離乳食を試し始める。)



6月1日

照射が片方からだけになったからか、なんかちょっとラクな気がする✨

(今まで2面からの放射線照射をしていたが、片面になったらしい。ただ、楽な気がするのは本人の感覚のみで、口内炎、皮膚のただれは更に悪化。とにかく食べられない。あと1週間!という気力だけで治療を続ける感じ。辛そう。)



6月6日

食べたいものいっぱいで困っちゃう(笑)
ひまなときに食べたいものリスト作らなくちゃ💖

(辛いときこそこういう気持ちで立ち向かう妻、ポジティブな気持ちでいるということが、まわりの人たちをどれだけ安心させていたか…と言うことを思い出します。)



6月7日

終了
仕事休暇、6月末まで延期したよ✌





以上が、放射線治療を受けていた時の妻の状況です。



しかし、放射線治療の辛さは、治療が終わればすぐに解放されるという事ではないのが厄介です。

この時は、味覚障害や、湧き出るように次から次へと出来てくる口内炎、喉の荒れ、痛みが、治療後3週間程、6月末まで続きました。

また、痛み止めの薬を何かしら服用し続けなければいられない、という状態になったのもこの頃からです。




それでも、
この程度の治療、副作用の辛さなど
今後受けることになる治療に比べれば遥かに楽であったと思います。

その話はまた後ほど…



放射線治療後、暫く体調が回復するまで実家療養し、6月後半に掛けて元気を取り戻していきます。

7月からは、
妻も仕事完全復帰を目標に、短時間の出社で体を慣らしていきます。



6月30日

味覚障害も落ち着き、

明日から久しぶりに会社だ!頑張らなくちゃ!

という意気込みも出てきたこの日。

子供を妻の実家に預けたまま、

本当に久しぶりに2人で外食を…



直前まで食べられるかどうか分からなかったため、その場の思い付きで、しゃぶしゃぶの食べ放題に。

妻も、注文して食べられなかったらどうしよう…と心配していたため、

それなら初めから食べ放題にして、金の事は気にせず食えと(笑)

どっちにしろ俺はめっちゃ食うから!と。



ぽん酢だれのようなやつは少し滲みて食べられなかったのですが、ゴマだれが調子良くて食べる食べる🍴

今までの遅れを取り戻すかのように、

食べられるって本当に幸せ😃💕

おいしい、おいしい!

と、二人で座敷のテーブルの目線の高さ位まで

肉の重箱が高く積み上がるほど食べました🎵



扁平上皮がんは、2年がとても大きな目処になるらしいよ。2年再発なしが一番大きな目標。
どうか、再発しませんように!!



と願いながら、

この時の想いとしては

あとは抗癌剤を乗り切って2年後、

また、5年間再発が無ければ

この大変な困難も乗り越えられる!

食べたり、喋ったりは少し不自由でも、

今までと変わらない幸せな毎日が戻ってくる!

そういう想いでいました。



しかし…



このとき既に、次の問題へと繋がる

病巣部の変化が起きていました…



それは、食事の最後の最後で明らかになります。



食事後、薬を服用します。

大小錠剤がありましたが、小さな錠剤が舌の付け根付近にはまり、取れない。

そして、痛い。



舌切除の影響で、舌の付け根付近の形状も変わっており、舌の動きも悪いため、日頃からよくご飯粒などが取れなくなり、うがいで取ったり、綿棒で掃除をよくしていました。

今回はたまたま薬がそこにはまってしまった。

そして、かなかな取れない。



何度かうがいをしているうちに取れたようで事なきを得ましたが、

物が挟まる、取れなくなるだけでなく、

痛い

という事がとても気になりました。



ただ、放射線の副作用は暫くの間続くものだと思っていましたし、

また、晩期後遺症などもあるため、まだまだ悩みは尽きないなと思いつつ、

でも、とにかく再発しなければ、切るべきは切ったし、放射線で主な残存は駆逐した。

あとは万が一に備えた抗癌剤だけ頑張ろう!

明日からは仕事も再開して、体力戻していこうね。

でも無理はすんなよ!

と激励して実家まで送り届け、自分は誰もいない我が家へ…



この出来事からたったの10日後。

最悪の事態が起こります。