~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■漂流03 家

2017年11月6日



来年4月からの家が今だ定まっていない。

4月からは子供も小学生だが、通う小学校も決まっていない。



普通の家庭であれば、

住まいに困ったりすることもなく、

学区内の小学校を見学し、入学説明会を受け、

就学前健康診断をその学校で受けて、

小学校に通う準備を進めているのだろう。

家族、祖父母に囲まれ、

ランドセルを買い、

空いた時間でどんな習い事をするか考え、

大変ながらも、期待と希望に満ちた時期を過ごしているんじゃないだろうか。



うちは、どうだろう…

身の丈に合わない地で、ある筈もない物件を探し続け、

候補となるいくつかの小学校の見学、説明会を聞きに行き、

通う予定のない小学校で健康診断を受け、

息子の日々繰り返す理不尽な行動、要求に対して、あらゆる対応を試すも思うようには行かず、

ただただ険悪なムードだけが家のなかに充満する毎日…



まぁ、息子に起因する問題は色々あるが、とりあえず今回は割愛。

今は、小学校入学からの安定した生活を得るため、

何としても住まいの問題を解決しなければならない。



今の主な生活環境は妻の実家。

当初はこの家を継いでいくという話もあったが、

約半年一緒に生活をしてみて多くの違和感を感じてきている。



生活の面でも、

息子と、義父母との関係的にも、

義父母の私に対する意識としても、

日常的な考え方にしても、

難しい息子を育てていく環境としても、

先日起きてしまった "新たな問題" に対しても…



そもそも、
なぜ妻が亡くなった後、妻の実家が生活の場になり始めたのか、そこに至る話を明らかにする必要があるかと思います。



そのひとつの要因として、私の実家の問題があります。

http://aegis-pilebunker.hateblo.jp/entry/2017/09/16/215525



しかし、これは二次的に発生した問題であり、逃げ道の1つが使いにくくなっただけだ。

本来の話は10年以上前、

妻との結婚を約束し、両家ご両親の挨拶の場まで遡ります。



両家ご挨拶の際、
将来は妻実家の墓守りをしていく事を、妻のご両親から切り出されており、約束しているのだ。

姓こそは私の方になっているが、事実上の婿養子の形だ。

妻実家には妻の妹もいるが、この人も既に結婚しており、姓が変わっている。

妹夫婦の夫も、色々事情はあるようだが事実上の長男であり、夫側の家を継ぐ話になっている。

つまり、私の妻が妻実家の正式な跡継ぎという事になる。



私は、兄弟に兄がおり、
当時は某6大学で教授を目指して大学院在籍、学生でありながら大学からの収入が入るポジションで、日本のIT技術の礎を築く活動をしていた。

当時はインターネットが世の中に普及され始め、HTMLや、Javaといった技術が大きく発展した時代。

日本を含む、世界のこれからのIT技術をどう作っていくかを決める某有名団体に所属し、その当時の日本のIT技術の第一人者であるM教授と共に、世界中で講演会などを行っていた。

当時は、世界中を飛び回り、各地から絵ハガキを送ってくるなど、ITの第一線にいながらもアナログな事を愛し、

ビル・ゲイツが自分の講演を聞きに来た!と自慢げに語っていた事がとても印象に残っている。

その兄が実家を支えていくという流れがあったため、自分は妻の実家を支えるという婿養子の形をとれば、それぞれの家が安定すると考え、それがすべての人たちの意見と一致した。

私が妻側の家庭に入る流れはここから始まっている。



妻とは、
子供が生まれたら切りの良いタイミングで妻実家に入り生活をしていこうと話をしており、妻実家にもそれは伝わっていた。

結婚後家計は全て妻が管理し、頃合いをみて実家に入る計画ですべての家計を管理していた。

妻実家からは、
家、土地を継ぐのだから、お金の支援は殆ど無しね。という事で、

妹夫婦には数千万という額の、家を買う頭金の支援などを行っていたようだが、うちには何もいらないよと、支援無しで生活をしてきている。
(実際には車購入費用を頂いたが、3年で完済している。)

結婚後も特に問題なく順調に月日が流れ、結婚5年目で子を授かる。

これがちょうど東日本大震災のとき。



時を同じくして、震災直後、兄から実家へ連絡が入る。



助けてくれ!



そのとき兄は神奈川の方に独り暮らしをしていたが、震災後の福島第一原発の事故を見ていた時に、自分の体に何かが起きたらしい。

これが今も続く、兄の精神障害の始まりだ。

父が兄を助けに行き実家に連れ戻したが、様子がおかしかったらしい。



その後、我が家には子供が生まれ、大変ながら幸せな生活をしていたが、

息子が生まれて3年で妻に癌が発覚する。

妻の癌発覚と同時に、元々傾向があると思っていた息子に発達障害の可能性があると医療機関の検査で言われる。

妻入院と共に、息子は妻実家に引き取られていく。

妻は2年の闘病の末、2017年6月に息を引き取る。



私は、妻の癌発覚後から、すべての時が止まった状態が続き、

生活の全てを投げうって妻の闘病を支えたが、その甲斐も虚しく妻は亡くなってしまった。



そして今、これからどう生活をしていくか建て直そうとしているが、

息子の小学校問題と、

自分の仕事の両立と、

息子の面倒を見て貰える環境とがすべて揃う場所を見つけなければならず、

現時点ではそれが妻実家か、または妻実家付近で生活するという流れしか折り合いがついておらず、

しかし、場所柄として、家を借りるも買うも身の丈に合わない土地のため、今の貯蓄でどうにかなるものではなく、

生活基盤が出来るまで、泣く泣く妻の実家で世話になっている訳だが、

そこで出てきた、義父母からの同居困難の話。

決して 出来ない と言われている訳ではないが、辛いのは貴方だよ、と、とてもずるい言い方をされている。

真に、この困難を乗り越えようと協力する人であれば、少なくともこういう話の進め方はしないだろう。



しかし、今は当面の家を安定させなければならず、

物件を探しつつ、都営住宅の抽選に応募をしている。

父子家庭で収入が限度限度額内であれば、当選倍率は7倍の枠に入る。

住宅費用が浮けば、お金で解決出来る事も1つや、2つは考えられるだろう。

狙っている物件の当選倍率は恐らく1位2位を争う場所の為、夢を当てるような話ではあるが。

ただ、この地で6年、9年と過ごすためには、どこかのタイミングで都営住宅に当たらなければ、妻が命と引き換えに残した財産すら底を突いてしまう。

私と、息子の人生において、そんなことは決してあってはならない事なのだ。

そして、その分岐点が、まさに今だと思っている。






ここまでがつい先日、2017年10月末までの話だ。



そして、ここから更に事態は急変する。



冒頭で言っている "新たな問題" だ。






この話は、まさにこの記事を書いている途中で発覚した、今起きている事実。



11月に入り、義父の膀胱癌再発が判明する。



3年前に治療し、経過は順調だったらしいが、どうも再発だけでなくリンパ転移までしているらしい。

この記事を書き終える頃には、PET検査を行い、今後の治療の方針が出るだろう。

膀胱癌再発は非常に予後が悪く、切除による根治治療は出来ないとして、標準治療自体が抗がん剤放射線による一時的な緩和だけとされている。

ともすれば、これからの1~3年の間に、妻実家で息子の面倒を見て貰う事が出来ない期間が長期間発生する可能性が高い。



そうなったときに、また今と同じ苦悩を味わい、

転校を伴うような引っ越しを余儀なくされ、

または、仕事を犠牲にしなければならないような事態が発生したら、

今、これだけの苦労をして生活基盤を作ろうとしている努力はどうなってしまうのか。

息子も、通級などを利用しながら、少しでも学校に、友達に馴染めるようにしてあげたいのに、

また環境が変わり、前よりも好ましくない環境となってしまったら、どういう影響を受けるだろうか。



今、妻の実家付近で暮らす方法を現実案としながらも、

それに更に保険を掛けて、別の形の生活が出来る方法を探し始めている。

この状況に協力を頂いている古くからの友人、妻の友人、今まで住んでいた場所のご近所さん、

この方々のご協力には本当に涙が出る(ノ_<。)

自分が、仕事と、息子の対応に追われて日々時間が取れない中、日中しか連絡できない機関への問い合わせをしてくれたり、

他の同じような境遇の人達が、どう工夫して暮らしているのかアドバイスを頂けたりしている。

なかには、自分達が子供預かったり、駆けつけたり出来る場所においでよ!と心強い言葉を頂ける方もいる。



どんなに辛くても、どんなに困難でも、

たとえ実生活の助けにはなり得ない協力者であっても、

今の、本当の悩み、困難を一緒に考え、

心に寄り添ってくれる事が、今の自分の一番の支えになっている事は間違いない。



妻実家には、妻の病気と、息子の生活を支えてくれた恩がある。

もし妻実家側での生活が最も安定し、唯一の生活の手段になるようであれば、義父の病気に対しても出来る限りのサポートをしようと思っている。

癌による苦しみは誰よりも知っているつもりだ。

たとえどんな境遇があろうとも、病気になってしまった本人には何の罪も落ち度もなく、

あの苦しみを見て見ぬふりをするなんてことは自分には出来ない。



ただ、出来れば、願わくば、

今、5歳にして母親を亡くし、

自分自身でも制御が出来ない障害を抱えながら、

沢山の困難を感じながら、

生活の場の安定すらない孫がここにいる、

という意味を、

もう一度改めて考えてみて欲しいと自分は思っています。

そして、妻は、ご両親の娘さんは、

もし生きていたとしたら、

今のこの状況をどう感じているだろうかと、

もう一度思い出してみてほしいです。

今の、日々の困難、思い通りにならない現実ばかりに気を取られること無く、

考えることを止めず、諦めず、

これしかないよ、と決め付けず、

どうしたらいい?と迷うことは、

今ここで答えが出ないことは、

決して悪いことじゃない。

考えることを止めさえしなければ。

調べ、調べて、見て、聞いて、考え、考え抜くことで、

必ず繋がる道が見えてくると自分は信じています。



自分は、自分にとっての利益を求めている訳じゃない。

得したいなんて気持ちは微塵もない。

ただ、将来に渡って無事に命を繋げたいだけだ。

自分と、息子と、その次の世代へ。






今、このブログを書き始めた時以上の困難が、

まさか半年という短い期間で更に発生するとは思ってもいませんでしたが、

これは、

少し遠い未来の自分と、

少しの不自由を感じながら、日々怒鳴られて悔しい思いをしながら生活をしている、

お母さんを無くした一人息子の、命の話です。