~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■漂流02 死別の辛さ

2017年10月8日

妻が亡くなってから3ヶ月以上経ちました。



今、

やっと妻の服や、バッグなど、

普段身に付けていたものの片付けに取り掛かりました。



ダンボールを用意し、

まだ着れそうな物を実家へ運ぶ準備をする。



改めて服を見ると、

それを着ていた時の、

元気だったときの妻を思い出します…



誰かにあげてしまうもの、

捨ててしまうもの、

取り掛かる前は、

もう使わない総ての物を手放そうと、

そういう気持ちで始めました。



でも、どうしても

箱に詰められないものがある(ノ_<。)

どうしても捨てることが出来ない物がある。

記憶のなかで、妻と強く結び付いている物がある…



これからの引っ越しの、コンパクトな生活の邪魔になるのだ。

妻の物が。

そう思わなければ前には進めない。

そう思って始めた片付けなのに…



亡くなった当初、

お葬式やお線香あげで、

妻の会社の人や以前からの友人など、

頻繁に連絡があり、

何かしら妻に関わる事を自分以外の人と話す機会があった。



百ヶ日を迎える頃、

徐々にその繋がりも薄れていく。



一人残され、

心の中の妻と二人だけの時間が訪れる。

その矢先、容赦無く訪れる

妻の記憶を辿るものの処分という過酷な現実。

妻との本当の別れは、

今かもしれない、とさえ感じる。

それでも、

それが前に進むために必要な事なんだと

自分に言い聞かせる。



どうしても手が付けられない物はまた今度にしよう。

未練たらしいと思われても構わない。

手放せない、と葛藤を続けても前には進めない。



救ってやれなかった妻の手を

自ら離し、

自分だけが歩みを進めるような選択を

しなければならない。

それが

死別により残された人達が感じる

最大の辛さではないかと感じます。