~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■ADHD04 妻実家の暮らし

2015年 夏頃~

子 3歳数ヵ月のとき



妻が、癌発覚により入院することに。



子は、私と二人で暮らしても保育園のお迎えが時間的に無理なため、妻の実家へ協力をお願いする。



以前、
■漂流01
の記事に書いたが、

自分の実家はやや遠く、色々問題も抱えている。

妻の実家は比較的近く、実家、病院、我が家、保育園の行き来は十分可能な位置関係のため、今の状況では頼らざるを得ない存在だった。



子は、妻の実家に引き取られ、
そこから保育園に行き、
休みの日は出来る限り我が家に連れてきて遊んであげる。

そんな生活がスタートした。



このとき、じじばばには、
少しワガママで天の邪鬼な所がある、
ということを伝えていましたが、
医療機関の診断結果などがあったわけではないため、
私もそれくらいの感覚で子と接していました。

しかし、ちょうどこの頃に行った発達診断で、
自閉症スペクトラム、ADD、ADHDなどの傾向あり
の結果を受けることになります。
いわゆるグレーゾーンというやつです。



妻実家生活がスタートするとき、まず心配だったのは

一人でお泊まりヤダ!

にならないかどうか。



実際、従兄の子は3歳頃のとき、

実家に泊まるのはお父さんかお母さんが一緒にいないとヤダー!

と言っていました。



そりゃ3歳ですもんね。

いつも一緒にいたお父さんお母さんが、ずっと一緒にいない。

ということが、どれほど寂しいか。

たまにしか会わない、じじばばしかいないということが、どれほど不安か。



でも、そこはうちの子はすんなりクリア。

意外にも、周辺環境が変わることに対して拒否反応を示さない。

当たり前のように実家で、じじばば暮らしが始まりました。



しかし、なんていうか、

心配とか、恐怖心とか、羞恥心とか、

自分に降り掛かる危機や、人からの視線みたいな
ものに対して

興味がない

そんな感じがあるように思います。



これは、

叱る躾が効かない

という事にも共通します。



叱る、という躾は、

小さな恐怖を与えて

恐怖心を煽って行動をコントロールする。

叱っても叱っても言うことを聞かない子には

何らかの恐怖を与え、

そうなる事が嫌だ!

と思わせて、自発的にそうならないような行動を取るようにさせる。

そういう効果を狙った対人スキルのひとつだと考えます。



うちの子には、まさにこの 叱る が効かない。

叱ると、

その言葉の攻撃性だけを汲み取り、

嫌な事を言われた!
憎い!やり返してやる!

という気持ちで満たされた興奮状態となってしまい、

抑えが効かなくなります。



また、羞恥心があまりないため、人前で大声を出した時の視線が気にならない、

オシッコを漏らしてズボンが濡れていても気にならない。

人に言ってはいけない事を言ったとき、相手が自分に対して、どういう感情を持つのかが気にならない。

時間の遅れが、自分にどんな影響を与えるのか興味がない。
(どんな状況になろうが、その状況の中で自分の要求だけは通そうとするため、前もって準備して物事が実現するように努力する、という行動を必要としていない。)

まだこの時点ではADHD等の確定診断は受けていませんが、これら特徴はADHDのそれとほぼ一致します。



じじばばにしてみれば、

多少手が掛かるなんて3歳なら当たり前。

それよりも孫パワー💪 カワイイ✨

みたいな感じだったのかな。



決して甘やかした、ということでは無いと思いますが、
寂しい思い、辛い思いを感じて欲しくない
という一心はあったと思います。

じじばばは、出来る限り子のやりたいように願いを叶えます。



結果、

ガチャガチャは毎日買って貰えるもの。

お菓子も毎日買って貰えるもの。

ご飯は食べさせて貰えるもの。

着替えさせてくれるもの。

という状況に。



保育園の生活でも当然にたような行動が目立つようになり、保育士から

自分でやる、を習慣付けて下さい…

と、ご指摘を頂きます。



きっと、
自分と妻でちゃんと育てていても、結果が変わっていたということはないでしょう。

方向性は違えど。

ですから、妻実家のじじばばのやり方が悪かったとは決して思っておりません。



むしろ、

どういう育て方をしてきたのか!?
まるで躾が出来てないじゃないか!

と、厳しい躾に走ろうとしなかった事は、

今になって思えば、事が更に深刻化しなかった一つの成果と思うべきかもしれません。



今でこそ自分も、じじばばも、
ただ叱りつけるだけで躾が出来る簡単な子ではない、と言うことが分かりはじめていますが、

この当時は、障害について理解も知識もなく、

単純に叱りつける毎日を過ごしていたら、

3歳~という、大きくなっても覚えている幼少期の記憶の総てが、

叱られ、怒り、罵倒し、放置され、出来ない子と言われ続けた記憶で埋まってしまいます…

大人になって、子供の時の記憶がそんな事だけで埋め尽くされていたとしたら、これを読んでいる皆さんはどう思いますか?



躾は大切です。

出来ないままで大きくなれば、もっと大変な未来が待っています。

そうならないように、心を鬼にして子を躾る。

めちゃくちゃ大事な事ですよ。

ただ、そこだけに固執せず、もっと広い視野で、もっと自分を相手に置き換えて考えてみたとき、

幼少期の記憶が毎日こんなやり取りだけで埋め尽くされていたら、

こんな悲しい事はないでしょう。



それこそ、

将来ちゃんとした人に、と善かれと思ってやっていたことが、

精神的な二次障害の元にでもなってしまったら

もっと取り返しがつかない。

だからこそ、こういう子への対処はとても難しいんだと思います。



少し話が飛躍しましたが…



息子は、そんな生活を送りながら、

妻の実家で4歳の誕生日を妻実家で迎えます。



私は仕事上がりに実家へ駆けつけ途中参加。

この時、妻はまだ舌切除手術から約1週間。

私は、妻の手術後の状態を心配しつつ、誕生日を祝い、楽しみ、妻に写真を送ります。



妻は、一人病院でLINEの写真を見ながら、

来年の誕生日は必ず自分がお祝いするんだ!

と、改めて癌を倒すことを心に誓います。