~漂流中~

2017年6月、舌癌になった妻(39)が亡くなった。ADHDの息子(6)、頼りない自分(41)を残して…

■漂流10 クリスマス爆発しろおぉぉっ!( ゚Д゚)┌┛Σ( ゚∀゚)・∵

2018年年末



息子の小学校2学期が終わり、

冬休みに入りました。



私はまだ1週間仕事がありますので、

平日は、妻の実家にお泊まりや、

お弁当持って学童で、

28日までは過ごしてもらうことになります。






息子の長期お休み中のお泊まり先として、

笑顔で迎えてくれる

妻実家の義父義母さんには大変感謝しております。



息子を、妻の唯一の子…孫として、

本当に可愛がってくれています。

息子の特性の事も、

とてもよく理解をしてくれた対応をしてくれています。



そんな息子との二人暮しという事にも気を掛けて頂いて、

食事の負担が軽くなるようにと、

手作りの料理、食材を小分けの冷凍パックにして

作って頂いたりもしてくれています。

本当に有難い限りです。



ここまでの理解をしてくれるまでには、

非常に長い時間と、

嫌われる事も覚悟の上での強い言葉による衝突も

何度もありました。



発達障害のカウンセラーの方からも、

祖父母世代の人達は、時代背景もあり、

障害に対して、理解が出来ない、認めない、

という風潮も強く、

躾をしっかりしていかないとダメだ!

親の責任だぞ!

と強く言われる方も多いため、

本当の意味で理解をしてもらうことは

難しいかもしれないですね。

そもそも、理解ということではなくて、

発達障害について当事者の意識で

勉強をしていかないと何も理解は出来ないので、

その勉強ということが出来ない方は

祖父母世代だけでなく、

実の親でも難しい事だと思います。



と言われていましたが、

息子を通してたくさんの衝突があった裏側では、

実際に同じADHDの息子を持つ友人などから

情報を集め、知識を増やし、

今までの常識では対応しきれないと言う事を、

妻に代わり、孫を正しく育てるための勉強をして頂けて、

徐々に意見が合うようになり、

衝突も減り、

ようやく今の信頼関係を築けた感じがあります。



ここまでくるのに、

双方、相当な努力と負担があり、

それだけやっても、大人数人掛りでも

対応が難しい息子…孫を、

妻が残した唯一の子として、

とても深い愛情を持って接してくれています。



そんなじいじ、ばあばの所にお泊まりに行く息子は、

一時期は、



怒ってばかりで嫌だ!(怒られるばかり、が正しいf(^_^;)



と言って嫌がる時期もあったが、

最近は、対応も適切なため、

嫌がる事も無くなって、

泊まりに行くのも、楽しみになってきたようです。






それに引き換え、うちの実家は…

以前の記事でも伝えた通り、



■漂流06 今こそ決断する時だ!
http://aegis-pilebunker.hateblo.jp/entry/2018/05/01/100702



兄のひきこもりを放置しすぎて手に負えなくなり、

両親もあらゆる事を解決しようと努力をしないため、

実家の財産全てを兄に牛耳られ、

身動きが取れなくなっている。



それを、解決、または、

何とかしようと努力を始めないのであれば

私は、自分の生活を維持するのが精一杯なので、

実家とは一切接点を持たない!

と宣言しています。



家はすぐそばですが、姿を見ることもありません。

ごくごくごく稀に手紙が投函される事がありましたが、

手紙にはその事は一切書かれていないため、

こちらからはコンタクトをしていません。



下手に手を出しても、

兄、両親の全員が、

一切自分たちは変えようとせず、

こちらの生活にだけ注文を付けてくるなんて

そんな無駄な時間に構っている暇は無いので。

家族なのに悲しい思いをしているのは、

自分も、息子も一緒です。

つらいのはそちらだけではありません。



一部で、家族を見捨てた非常な人間

という見方をされている雰囲気があります。

家族なら、事情を超えて助け合うもの。

そういう気持ちが強いのでしょうが、

妻の病気という、

努力ではどうにも出来なかった不幸から、

突然人生の岐路に立たされた息子と、孫に対して、

偽りの手を差し伸べ、

共に協力して、助け合って生きていこうと

手を繋ごうとした瞬間に、

その手を振り払われて、

調子に乗るな!

と意味のわからない手の平返しをした人間が、

今度は自分たちが大変なんだ、助けてくれ。

なんて言われたって、

こちらから差し伸べる手なんて無いのは当たり前ですよ。



こんな話を掘り下げたくは無いので

話を先に進めます。






息子を学校へ通わせる毎日がひと段落すると、

やっぱり気持ちが楽になるというか、

緊張感がなくなりますね。



毎日いっときも休みが無いのは、

それなりのストレスもありますが、

毎日のリズムを崩さないようにする気持ちが

張り詰めているため、心地よい緊張感があり、

悩みや、不安を感じる隙も無いように感じます。



しかし、緊張の糸が緩むと、

今まで張り詰めていた分、体も、気持ちも、

ちょっと休みたい、楽したい。

という気持ちになってきます。



そうすると、心に隙間が生まれるんですね。



その隙間には、



緊張している時には出てくることの無い



様々な思い、雑念、不安が、



堰を切ったように押し寄せてきます。






以前、

妻とまだ一緒にいた時、

息子と3人でいた時、

この、たまにの 休息の時間 は、

とても心地が良い時間でした。



自分の影響で、妻も好きになったコーヒーを淹れ、

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(他の写真は出来損ないばかりで、精一杯の背伸びしてます💦)



スコーンなんかを焼いたりして、

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何をするでもなく家族を構い、

柔らかい幸せを感じるひとときでした。



それが今、この休息の時間は、

普段の緊張感を感じている以上のストレスを

感じる時間に変わってしまいました…(。´Д⊂)



何よりも辛いのは、

当然ながら、ここに妻がいない事…



どんなことがあっても、それさえ解決すれば

どんな悩みも吹き飛ばせる自信がありますが、

それは叶わないことだと、

普段は望まないようにしている自分がいます。



しかし、やはり緊張感が無くなればこの想いは、

あれから1年半の月日が流れても、

容赦なく頭をもたげてきます。



多分、前向きになんてなれていないのです。

普段は、息子との生活に忙殺されて、

そんなことを考える余裕すらないだけで、

1年半前から、

いや、

もう助けること叶わない

と思わざるを得なくなったあの時から、

妻への想いは何も変わっていません。



言葉にすると聞こえは良いかもしれませんが、

生きていく上で、これ程辛いことはありません…



今まで、この1年半、

自分をここまで生かしてきたのは、

息子

ただ一人です。



息子を、何とか

1人でも生きていけるように、

少しでも適切な行動が出来るようにと頑張る事だけが

自分の役割、生きる目標になっています。



でも、これって共依存になる

相当に高いリスクがある状態なんですよね。



今、自分のやりたいこと、

誰かと一緒にやりたいこと、

ほとんど無くなってしまいました。

息子の為の時間、

息子の為の趣味、

生きている時間の全てが息子の為に使われています。



ADHDの息子を理解し、制御出来るのは

絶対に親しかいません。

少なくとも、小学校低学年くらいでは、

1人で行動させたり、

他人の家に遊びに行かせたりなんて、

とても出来るものではないです。

いつなんとき、突然の結果を考えない暴力などが

出てしまうかもわかりません。



迷惑を掛けられない…



ADHDの子を育てる親は、

必ず共依存になると感じます。



他の親に任せて友人関係を広げたりも出来ないですし、

普通の方はADHDの子なんて制御出来ませんので、

面倒を見るなんて間違いなく嫌がられます。

親が面倒を見て、責任を取るしかないんですよ。



私も今、まさにその状態なので、

数日でも息子がお泊まりなどで

一緒にいない期間があると、

相当な不安が襲ってきます。



普段、誰とも話が出来る余裕がありませんので、

こんな時だけ都合よく誰かを捕まえて

自分の欲求を解消しようとしても、

そんなことに付き合ってくれる人は

当然ながらいない訳です。寂しいですよね…



しかもクリスマスですしね。

ほんと、クリスマスなんて爆発すればいいのに(笑)

妻がいないクリスマスなんて、

ただ子供にオモチャせびられるだけじゃないですか
ԅ(,,´﹃`,,*ԅ)



この共依存の不安感と、

寂しさを埋める事が出来るようになるのは

いつの日か…

■舌癌30 2017年 穏やかな年明け

2017年1月1日



癌の治療を開始してから1年3ヶ月。

2016年を生き抜き、2017年の新年を迎えることが出来た。



本来であれば退院なんて出来る状況でもなく、

病状は深刻な状況とはいえ、

新年を家族3人、慣れ親しんだ家で迎えられた事は

本当に嬉しかった。



当初は積極的に退院を勧める先生や、

妻の容態、進行具合に不安感もあったが、

場合によっては次の一連の治療で

退院が出来なくなる…という可能性を考えると、

この5日間の家族の時間を頂けたことは

本当に有り難かった。



元旦は雑煮を作り、おせちを食べ、

近くの公園で妻と息子と一緒に遊び、

普段自分と息子で過ごす休日と同じ1日を

妻にも感じて貰うことが出来た。



妻は、1年程前のように、

息子と一緒に走り回って遊ぶことが出来なくなってしまったが、

この入院の間に息子が出来るようになったこと、

新しいおもちゃで遊ぶ姿、

特性ゆえに他の子と折り合いが付けにくく、

すぐに喧嘩になってしまっていた息子が、

その時は仲良く周りの子と遊んでいる所を見て、

我が子の成長に驚き、笑顔が溢れていた。






1月2日

私の実家への新年挨拶と、

その近くの大きな公園で、

妻、息子と、古くからの友人も合流して

息子を遊ばせながら、久しぶりの友人との時間を。



私は、一緒に遊んで欲しい息子に手を引かれ、

ストライダーで走り回る息子を

追いかけ続けてましたが(笑)



妻は、今の病状や、これからの治療、

懐かしい思い出、

昨年冬には皆と一緒に行っていたスノーボードの事と、

色々な話をして、写真も撮って、

楽しい時間を過ごすことが出来たようでした。



私は息子を追いかけ走り続けていましたが(笑)



夕飯も一緒に食べに行き、

楽しい時間はあっという間に過ぎた。

そして、また会う約束をして、

来年はきっと一緒にスノーボードに行くと約束して、

自宅に帰ります。



家に帰ると、息子は、

貰ったスノーボード道具に足を通し、

こうやるんでしょ?

と、今まで私たちが見せてきた事を

教えることも無くやっていた。

満面の笑みで。



自然と涙が出た…



毎年、この年末年始の時期は、

皆と一緒にスノーボードに行っていた。

これまでの10数年ほど、

年越しは毎年新潟で、というほど

妻の為に遊びに来てくれた友人達とは

年末年始はいつも新潟に滑りに行っていた。



友人のお子さんが使っていた

ボード用具一式を譲っていただき、

これからはうちの5歳の息子もソリではなく

スノーボードを一緒に、という

これからが息子の成長が楽しみ、という時期に

闘病で病院から出ることが出来ない、

息子も、道具を貰って喜んでいるのに

遊びに連れて行ってやれない、というのは、

本当に家族みんなが、辛く、悔しい思い。



連れて行ってやりたいよ…

妻も、息子も、

バッサバサの雪の中で

笑顔が弾けたあの時が本当に懐かしい。



ただ、今は行けない事を悔しがったりする前に、

来年こそは一緒に行こうな!

と前向きに考えるしか無かった。






1月3日



ディズニーシーへGo!



入院前最後のパークイン。

息子が初めてタワーオブテラーに乗りビビる(笑)

でも、次来たらまた乗りたいと、

何とも頼もしい限り!

(6歳になった頃から怖さが分かったようで、今では乗らなくなってしまいましたがf(^_^;)



息子の思い出にと、

シー15周年記念のリゾートラインの

6デザインを連結出来る6台のトミカを見つけ、

妻が全部買ってくれた。

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母親として、息子に何かをしてあげたい。

今、息子の喜ぶ顔は、妻にとって最高の宝物。

これからの治療に立ち向かう勇気。



明日、1月4日には、

また病院にもどり、

フルドーズの抗がん剤治療を1ヶ月強と、

その後の過酷な手術が待っている。



最悪、もう家には帰れず、

退院や外出も出来なくなる可能性がある。

と、主治医から言われており、



38年間生きてきて、

自由に行動出来る本当に最後の日が

今日までかもしれない…



息子に何かしてやれるのは、

これが最後かもしれない…



夕飯は、ポートディスカバリーにある

ホライズンベイレストランへ。



息子と2人で遊びに来た時に、

当時はファインディング・ニモではなく、

ストームライダーが稼働していて、

息子が音楽を口ずさむ程大好きだったため、

その目の前にあるレストランに

よく食べに来ていたらしい。



そのレストランで、

お馴染みのハンバーグを食べる妻と息子。

美味しい、美味しいと、沢山食べていた。

それを見ていて、また泣きそうになってしまった…



こんなに元気にご飯を食べられるのは

この先、回復に向かわなければ2度と無いかもしれない。



もし回復に向かったとしても、

半年、1年と、普通の食事が出来ない日が続く。



決して思いたくはない事だが、

妻と一緒に行けるディズニーは、

これが最後になるかもしれない…(ノ_<。)






絶対に、最後になるつもりの言葉は言えない。

「いまのうちに…」

なんて一言も口には出来ない。



「また来ような!絶対癌に勝って、また遊びに来よう!」



行く場所全てで、

祈りのようにこう約束していく。



回復を信じるしかない。

しかし、それでもこれが本当に最後かもしれない。

今が本当の最後の時なのかもしれない。



どんなに辛い状況でも



「まだ次があるから!」



と前を向く妻に、

これで終わり?

なんて思いをさせてはいけない。



それでも、

私はこの時伝えたかった。






俺の、俺たち家族の人生に、



彩りを与えてくれてありがとう!



かけがえの無い時間をありがとう!



どんなに多忙な毎日に追われても、



決して夢を見ることを、楽しむことを忘れず、
       


みんなが笑顔で居られることにいつも全力だった、



そんな 妻 が本当に大好きだ!



これが最後じゃなく、



また絶対に一緒にここで笑顔になろう!






私は、この思いを言葉にすることは出来ず、



また来れるから大丈夫。



いつものようにそう話して、



いつものようにディズニーシーエントランスの



心地よい閉園時間の音楽を聞きながら、



妻と息子を乗せて自宅に帰りました。



また、2人を乗せてこの音楽を聞きながら



何も変わること無く家に帰る日常が



1年後には戻ってくる事を信じて。

■ADHD14 コンサータ服用開始

2018年11月下旬



前回ADHDの記事で、

夏休み明けから、てんかんのような症状があり、

10月頃からてんかんの薬(テグレトール、イーケプラドライシロップ)

の服用を開始した事をお伝えしていました。



その後から、

少々行動が落ち着かない事が多くなり、

友達との些細なやりとりの中で、

突然顔を叩いたり、なわとびで叩いたり。



先生に対しても、叩いたり、

突然大泣きして色々訴えたり、

噛み付いたり…(これで、ぐらついていた歯が抜けました💦)



授業中も頻繁に抜け出して、

床や廊下で寝転がっていたり、

保健室や校長室で過ごしたり、

2時間ほどぶっ通しで寝てしまったり。



余りに行動のコントロールが出来なくなってきたため、

学校側でも対策を考えてくれて、

大好きな体育の時間を、

毎日1回出来るようにと対処をしてくれましたが、



可能な限りの根本的な解決に向けて

こちらがそれにおんぶ抱っこ状態でいる訳にはいかず、

家庭の方でも、大きく話を動かしていきます。






まず、行動がだらけてきたタイミングと、

てんかんのような症状が出てきたのは、夏休み後から。



夏休みで狂ってしまった生活リズムから

元に戻すのに苦労する、という話はよくありますので、

大部分はその影響とは思いますが、



うちは父子家庭で、私が不在の間は

家で面倒を見れる人はおらず、

放課後は18時頃まで学童に行かせており、



当然夏休み中も、車で1時間30分ほど離れた

妻の実家にお泊まり中でなければ、

7時30分~18時まで学童に通わせています。



私の仕事も、

息子の学童も、

普段の通学、通勤の時間と変わらないため、

だらけさせるような生活は出来ません。



ですが、それが逆に幸いしてか、

生活のリズムを崩しやすい障害を持つ子ではありますが、

朝夜の時間や、1日のリズムが崩れること無く

夏休み前半はトラブルの無い生活を送っていました。



しかし、何日かにわたる終日学童という空間と、

ある程度の対処と対応しか望めない学童先生方との終日活動と、

休み中、何回かの妻実家へのお泊まり生活の影響と、

私との2人生活と…



何が悪影響を及ぼしたかは断定は出来ません。

色々な要素が絡み合って結果が付いてきますので、

あえて悪者を決めようとは思いませんが、

それぞれの要素の中で原因になったであろう事は

ある程度は目処が付いています。

その中の殆どは、避けようのない事ばかり。

息子の近くにいた人毎の、ほんの少しの対応の違い。



結果として、

夏休み後半から、朝起きなくなり、

食事の時に、テレビだ、タブレットだとうるさく言うようになり、

食事を食べなくなり、

コントロールが利かず、

黙っていれば好き放題、

口を開けば言い合いになり、

指摘を受ければ怒りをぶちまけ、

収集がつかなくなる、というループに。



障害を持つ子供全員が、とは言いませんが、

この状態になってしまったのを、

言い聞かせ、叱りつけ、怒られる恐怖、

好きな事が出来るのは約束守れた子だけという囲い込み、

他の事で気を逸らす、無視する、放っておく、

そういった事での軌道修正は大変難しいのです。



言われる側の子供も黙っちゃいません。

足をドンドンと踏み鳴らす、

椅子でガタンガタン!と音を立てる、

白目を剥いた目で睨みつけてくる、

うるせえっっってんだろ!

しゃべるな!だまれ!

と激しく暴言を吐く事も。

時には、他の部屋に逃げ込み、

しばらく閉じこもる。



そもそも、何らかの形で 反抗する ため、

どうしたら楽しく過ごせるか?

という解決の為の話し合いに辿り着けません。

無理矢理そういう話をしても、聞く耳を持ちません。



家だと、一応私には逆らわない方がいい、という

多少の制御が利いているのか、

この程度の状況が続きますが、

同学年近くの子がいる所では、

即座にパンチ、突き飛ばしなどが始まります。



このようなやり取りで相当に嫌な思いをしても、

次回の行動には反映されません。

また同じ嫌なことになる、と理解しているかどうかも定かではありませんが、

1度このループが始まると、

相当上手く対応したとしても、

改善 (悪い行動が出ずに、適切にやるべき事をやってくれる。又は、言われれば文句を言わずにやるようになる) まで、

1~2週間、長ければ数ヶ月はこの状態が継続します。



どんなに優しく諭そうが、

報酬で釣って誘導しようが、

怒りと恐怖を植え付けようが、

また翌日、同じ時間になれば同じことを始めます。

約束をすれば、その場の返事はしますが、

そんなことはお構い無しです。当然破ります。



この改善までの期間が非常に長く、何度でも同じやり取りを繰り返す事と、

自分にとって不利益なこと、嫌なことが繰り返されても、それでも同じことを続ける、

という所が、特に周囲から理解されないところで、

本当に気が滅入る程に繰り返すのです。



しかし、経験上ですが、

毎日根気強く、淡々と、強弱だけ付けながら同じ対応を繰り返していけば、

その子にとって、それが習慣化されるまでの長い期間、

とにかくシビレを切らさず、キレること無く、

やるべき事だけをやろう、と対応し続ける事で、

いつのまにかそれが当たり前になります。

文句を言わなくなります。

その間、別に叱られている訳では無いので、

イヤイヤやる、という感じでもありません。

習慣化するだけです。



ただし、注意しなければならない事は、

「甘やかせてもらえる特別な環境」

という場所を絶対に作ってはいけません。



おじいちゃん、おばあちゃんの家では

テレビを見ながらご飯が食べられる、とか

そういう環境を1日でも与えれば、

また家に帰ってきてから地獄の毎日が始まります。



結果、生活が成り立たない状態が続き、

親も、子も、二次障害まっしぐらとなってしまいます。



普段、他の子より頑張ってるんだから、

おばあちゃんの家ではいいよねー

なんて事をしたら、



なんで家ではそれが出来ないのか!?

と始まり、



あれは、学校がお休みの日で、しかも実家だから特別だよ!

なんていう理屈は通用せず、

なんだかんだと反発し、

結局やるべき事はやってくれない。

一切体を動かそうとしなくなります。



学校の時間になろうが、

準備はしない、ご飯は食べない、

片付ければ大癇癪を起こす、

とにかく体を動かさない。



全ての制御が効かなくなり、

学校でも悪い行動が増え、

私(家族)も相当に大変な思いをすることになりますが、

結果的に本人が1番辛い思いをすることになります。



障害をもつ子に対しての甘やかせ方は、

通常の子に出来る甘やかせ方とはまったく違う、

と考えるべきだと思います。



まぁ、この辺の話は長くなるので、

また今度気が向いたらにしましょう。






結局、

そういった夏休みの生活の乱れから、

朝の活動に支障をきたし、

その頃から学童でもやや大きなトラブルが増え、

そのまま2学期に突入していきます。



当然、学校でも同様のトラブルが続きます。

周りの子への影響が大きいことが続くため、

それなりの躾、言い聞かせは必然的に増えますが、

それを冷静に聞く事も出来ず、

人を睨みつけたり、

無視したり、

うるさい黙れ!

などの言葉が増えてきたり。

学校でも、 死ね!  などの言葉が増え、

更なるトラブルに。



ちょうどこの頃から、

テレビを見ている時に、目が左右に振れる動きと、

首が左右どちらかにゆっくりと動くような、

部分てんかんのような動作が見られるようになりました。



前兆として、夏休み前からも

目をしぱしぱ渋そうにする感じはありましたが、

ここに来てハッキリとした動きになってきた、

という感じでしょうか。



ただ、

タブレットやテレビを見ているだけの時には

それほど気になる動きはありませんでした。

単純に目が疲れているとか、そういう感じでは無い

という事は、毎日一緒にいる中で感じた事です。



酷くその行動が出るのは、

夕飯時、テレビを見ながらご飯を食べてもいいと許している時間のみ、

特にこの動きが顕著に出ました。



やはり、テレビを見ながらだとご飯はスムーズには食べられず、

しかし本人は、

朝ご飯の時間じゃなければテレビ見てもいいでしょ?

と、ある意味、夜見れるなら朝は我慢する

という事を交換条件として、朝の行動の約束を守る

という部分があったので、



まあ、夜は食事とテレビを同時にさせる訓練として、

また、少しの息抜き、ストレスをため過ぎない一環として、

許して、やらせつつも、

テレビに集中し過ぎずに夕飯を食べてね!

という事をやらせていました。



ですが、今のうちの子には、

テレビの刺激と、食事を時間を守ってしっかり食べる

という事が大変難しかったんでしょう。



毎日食事が進まず、

注意を受けながらテレビを見て、食事をちょっとして…

これが凄いストレスだったのかもしれません。



部分てんかんのような症状は

日増しに悪くなっていき、

食べ物を口に入れたまま

意識を支配されたように食べる動作が止まり、

目と首が勝手に動くような状態になり、

暫くして我に返って、食事を続ける

という状態になっていきました。



ものを喉に詰まらせてからでは遅い、とすぐ病院に行き、

9月後半から、てんかん抑制の薬テグレトールを開始します。



テグレトールを開始すると、副作用の眠気が強く出てしまい、

学校での居眠りだけでなく、

朝起きる事も困難になり、

そこから始まる おきなさーい! という毎朝のやりとり。

朝起きる時から感情的には最低の状態で始まり、

朝調子が悪かった日の学校、学童の活動も最悪の結果に。



この眠気を改善しないと全ての活動に支障が出る事から、

10月中旬からはイーケプラドライシロップと、少量のテグレトールに変更。



このイーケプラドライシロップの副作用には、

些細なことで感情的になりやすい、という作用があるようで、

それが原因かどうかはわかりませんが、

眠気はやや改善されたものの、

感情的で、衝動的な行動はおさまらず。



そして11月に入った頃には、

てんかん様の動きは薬のおかげか、

ほぼ出なくなりましたが、

やはりまだ思わしくない行動は続き、



仲良く遊んでいたと思いきや、

ちょっとした事で突然暴力を振るったり、

いきなり泣き始めて激しく思いを訴えてきたりと、

安定しない状況が続きました。



これを病院に報告。

判断としては、



ADHDからのやや深刻な二次障害に発展しつつあります。



ちょっとした人との関わりの中で

暴力ばかりが出る状態は、

もう二次障害が出ている状態です、と。



本人は、相当辛いでしょうね。

訳もわからず、いつのまにか自分は、

みんなから 暴力を振るう子だ とレッテルをはられ、

何をしても人から避けられ、嫌がられ、

その度に自分でもコントロール不能になって、

やってはいけないことを繰り返し、また避けられ、

自己嫌悪と、他人に対して憎悪ばかりが膨らんで、

もう、どんなに本人が何とかしようと思っても、

ADHDの子が、自分の力だけでこれを改善するのは

不可能だと思いますよ。



そうハッキリ言われました。



ここで、薬の処方を大きく変えていく事になります。



てんかん薬の効果については冷静に判断しなければならず、

そもそもが飲み続ける事を前提に処方される薬のため、

相当な悪影響が無い限りは簡単に処方を変えることも出来ません。



まずは、強い眠気が生活に支障を来たしているという事で、

少量にしていたテグレトールを無くし、

イーケプラドライシロップのみとします。



そして、いよいよADHDの二次障害を防ぐために、

ADHD対策薬のコンサータを始めることを強く勧められます。

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写真は、薬の説明として頂いた冊子です。



くすりのしおり
コンサータ
http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=12829



これまで、私は

出来ればADHDの対処は、漢方薬(甘麦大棗湯)のみでいければな、

と思っていて、正式な対策薬は避けたい気持ちがありました。



これは、しっかりと薬の成分まで調べての事ではありませんが、

ADHDの薬は、

覚せい剤の効果に近い

と色々な所で言われている事によります。



実際の薬の作用については、

上の画像にも書かれているので、

参考にしてください。



しかし、嫌だと思っていた薬を試してみようと思ったのは、

いつ息子が、他の子に、取り返しのつかない怪我や、事故を起こしてしまわないか、

学童で最も問題視されている中で、これ以上の問題を起こせば退所させられていまい、生活が成り立たなくなる。

他の親御さんの間で、息子の問題行動が噂されるようになる事から始まる、子供までを巻き込んだ村八分

息子自身が、望まずして引き寄せてしまういじめ。

何よりも、息子が、親でさえも対人関係が築けずに、

誰からも見向きもされず、

反発、拒絶、反抗、諦め、怒り…

そういった経験だけで育って行ってしまう事への重大性のほうが、

薬に対する不安、猜疑心を完全に上回った事によります。



いつか良くなる。



という希望は誰しも持ちたいものです。

しかし、その間に失われた時間と、

友人関係と、

その年齢相応で学ぶ、習慣的な行動は、

他のみんなもやっているから一緒に学べるものであって、

遅れを取り戻す為の関係というのは、

そう簡単に築けるものではありません。



コンサータや、ストラテラ

インチュニブに代表されるADHD対策薬は、

必ずしも 悪い行動が無くなる という

魔法の薬ではありませんので、

効果はひとそれぞれだと思います。



大渋滞で正しく情報が伝わらない脳の働きを、

交通整理してくれるような効果があるため、

考え、行動がハッキリして、

より本来の特性が強調されるような感じになるようです。

眠気も無くなるようですね。

うちの子は喋りが止まらなくなっていますf(^_^;



薬を飲み始めて約3週間が経過しますが、

経過は概ね順調で、

学校からも、学童からも、



居眠りがなくなった!

指示がとおりやすくなった!

暴力が少なくなった!

注意した時に、ちゃんと話をして、

悪かった事は素直に謝れるようになった!

課題をちゃんとやりきる事が出来た!



と、ぞくぞくと息子の成果が聞こえてくるようになりました。



まだまだ怒ったり、教室を抜け出したり、

喧嘩したり、暴れたりすることはありますが、

それでも、

これだけの変化があったことには驚きです。



おかげで、

他の親御さんへの謝罪の電話をどうするか

悩むような事件、事故は、

薬を飲んでからはパタっと無くなりました。

それだけでも相当に嬉しいことですし、



ちゃんと勉強や、活動に向き合って、

ある程度の結果を出してくれるようになった事で、

息子も、周りから

すごいね!

と感心されることが増え、

それが相乗効果で、また良い行動が増える

という流れが増えてきたようです。



よく聞かれる副作用の、食欲減退も殆ど無く、

給食も全部食べてきています。



暫く薬の効果を見ながら、

この状態を続けていく事になりそうです。



コンサータの効果については、

よもぎさんの #よも暮らし で

とてもわかりやすく紹介されています。

勝手ではございますが、とても参考になりますので

リンクを貼らせて頂きますね。



ADHD治療薬のコンサータの効果や副作用は?服薬開始から1年経過した感想について
https://www.yomocracy.com/entry/2018/01/10/180000

■舌癌29 同じ天井

2016年 年末



舌癌から、口腔低癌へと転移し、

小線源治療を行うも、

再発を宣告されてしまった2016年年末。



年明け早々、本格的な抗癌剤治療からの

舌と、右下顎のほぼ全てを切除する方向で

手術の調整をすることになり、

そのための体力と、鋭気を養う養うための

年末年始休暇を頂いた妻。



表向きはそのような理由ではあったけど、

今後の治療は困難を極めることから、

退院出来るかどうかがわからない。

とも言われており、



退院の目処としては、手術後、

3ヶ月間あたりで癌再発が無い事が確認され、

抗癌剤を短期的な入院(2~3日)で投与し、

通いながら行うことが出来るようになるか、

または、6クールほどのフルドーズを終え、

一旦の経過観察に入り、

自力で食事が出来るようになってからでなければ

退院の目処がつかないため、

非常に長期の療養期間が必要となる。



そのため、年越しくらいは夫婦で、家族で、

一家団欒の時間を過ごしてきて、

という理由の方が、

より強い理由だっただろう事は

容易に想像がついていた。



それでも、私たち家族にとっては

とても大切な時間。

動けなくなってからでは遅い、

今しか出来ない、願いを叶える時間。



2016年12月後半~2017年1月4日までの間、

一時、病気の事は忘れ、

家族の時間を過ごす事が出来ました。






12月23日



妻実家、親族と共に、

妻希望の レインボーパンケーキ へ。



このパンケーキ屋は、

妻のいとこが行ったことがあり、

とってもオススメだから、一緒に行こう!

とお誘いをしてくれた店。



車イスで電車を乗り継ぎ、原宿の裏路地にあるお店へ。

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写真はレインボーパンケーキオフィシャルブログより拝借させて頂きました。



総勢10名?11名?で、

1階の個室を貸切ってパンケーキパーリー(゜▽゜*)



ここは、何といっても

マカダミアナッツパンケーキが最高に美味い!

妻も、ナッツだけどけて(口の中が痛いので(。>д<))

フワッフワ~なパンケーキを嬉しそうに食べていました。



やっぱり不安や、寂しさは、

皆で一緒にいる時間でなければ解消出来ないですね。



で、店の中に謎の黒いサンタクロースモドキが…

写真に残していなかったのか残念ですが。

レインボーな店に似つかわしくない、その黒い姿に

息子がヒビりまくる(笑)



たまにパンケーキやドリンクをサーブしに

個室に入ってくるのですが、

そのたびに、みんなの膝の上を一目散に逃げる息子。

個室の窓からウロウロしている姿を凝視!



👦なにあれ!なにあれ!?(◎-◎;)



あれはね…

今はまだサンタクロースじゃないけど、

これから赤く色が変わってサンタクロースになる前なんだよ…



👦いつ変わるの!?
どうやったら色変わるの!?(@_@;)



クリスマスまでに赤くなるんだよ…

今日はまだ黒いままだよ…



👦こわい…((((;゚Д゚)))))))



このやりとりを見てるだけてもだいぶ和みましたね(笑)

店を出る頃には、息子も黒いサンタは怖くないという事を知り、

店の出入口にあった綿菓子製造機で綿菓子を作らせてもらって

満足して帰ってきました。

妻も、久しぶりにみんなで過ごせた時間に

笑顔が溢れていました(*´ω`*)






12月24日



妻が突然38.6℃の高熱を出した。

気分が悪いとか、だるい、などは無いらしいが、

逆に、原因がわからない高熱は恐い。

とりあえず解熱剤を飲んで安静に。



自分も妻実家に泊まり、

ベッドから息子の様子を見る妻と一緒に

クリスマスパーティを楽しんだ。



ちなみに息子へのプレゼントはトイストーリーのトミカ全種類。

タカラトミー
トイストーリー トミカ
https://www.takaratomy.co.jp/products/tomica/lineup/toystory/index.htm
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写真:タカラトミー



以前ディズニーランドに行った時、

あるショップでトイストーリーのトミカを見つけたが、

実は、バズ・ライトイヤーアストロブラスター近くにある

プラネットM というショップ以外では、

トイストーリー系の品揃えが悪く、

全種類が揃っていない事が殆ど。

代わりに他のトミカはいっぱいありましたが。



たまたま息子が別ショップで見つけた時は、

バズと何かのトミカが無く、

その時は買ってあげる予定でも無かったため、

息子はひたすらバズのトミカを探しながら、

今日は買っていかないよ、と

残念な思いをしながら帰った事があり、

妻がその一部始終を見ていた。

きっと全部欲しいんだろうなーと。

で、このトミカ全種類をクリスマスプレゼントに。



ちなみにプレゼントは、

買いに行く時間も無くなってしまい、

ネットで買って、クリスマス用のラッピングをしてあげました。



まぁ、息子は喜んでいましたが、

6箱もあるプレゼントを開けるのに必死で、

ヾ(@゜▽゜@)ノ わぁーい✨

という反応が薄かったのがちょっと残念f(^_^;

妻はそれをベッドの上から優しく見守ります。






12月25日


息子とディズニーランドへ行く約束をしていたが、

妻、41℃を越える高熱になる。



本人いわく、インフルエンザのような症状はなく、

やはり体調はそんなに悪くないと言う。



だが、原因不明の熱である以上、

理由が不明なまま放置するなんて事は命取りになるため、

救急で主治医の待つ病院へ。



息子と遊びにいけなくなった事を言い、

病院へ出掛けようとすると、

息子は、お母さんにしがみつき、



👦ぎゅーして…(´;ω;`)
早く帰ってきてね…



と言う息子の目には涙が…

息子はそれを誤魔化すために、



👦目やにが出ちゃったよ。
ちょっと、目やにがでちゃったよ。



と、低予算ドラマのセリフのような事を言いながら、

お母さんに背を向ける…



作り物のような陳腐な話だが、事実。

2ヶ月に1~2度くらいしか家に戻ってこれない

病気のお母さんを持つ、まだ5歳の子供の素の姿。

その姿に、その場にいる全員が、

本当にいたたまれない気持ちで押し黙る…



息子は全部わかっている。

息子は本当に我慢している。

3歳の頃から両親と離れて暮らさなければならない辛さは、

妻と息子と離ればなれで暮らさなければならない自分の気持ちと同じだ。



遊んでやれない事も、

笑いながらのんびり過ごす事も、

好きなことをやらせてあげる事も出来ない、

やっと一緒に遊びに行こうと約束した日も、

お母さんが病気で、

すぐに病院に行かないと行かないといけないから、と

嫌がる息子を無理矢理お母さんから引き剥がし、

高熱に息を切らす妻を抱え、

息子に、ごめんごめん、と言い聞かせる。



本当に可哀想で、

申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



でも、そうする以外に道は無い。






妻は、病院で簡易検査を受け、

恐らく顎の穴の空いた創部からの

感染を起こしている為の熱だろう、ということ。

抗生物質を投与して、暫く経過観察がひつようです、と。



食事か取れない訳ではないため、

今日は入院とはならず、薬を貰って自宅へ。






12月27日



再度病院で診察。

というか、元々、年末年始に入る前の

最後の診察日になっていたための受診。



再発箇所の経過には、特段の変化は無いため、

予定通り年明け4日から入院、治療開始との診断。

ただし、少しでも変化があれば病院に連絡し、

すぐに治療を受けること、との指示。



昨日貰った抗生物質、解熱剤で

微熱程度まで熱は下がった。

熱による辛さはだいぶ無くなったようだ。



休みを貰って、東京医科歯科大学に診察に行ったり、

息子のプレゼント買いに行ったり、

パンケーキ食べに、久しぶりに電車に乗って

出かけたりしたから疲れたんだよ。

少し体休めてさ、

また12月30日に改めてディズニーランドに行こうよ(*^_^*)



そうみんなで約束して、

30日までは、年末の片付けや、年明け入院の準備など、

それぞれのやるべき事をやりながら静かに過ごします。



この間に、部屋の模様替えや、

仕事と、病院と、妻実家の行き来の毎日で、

とっちらかってしまった家を綺麗にし、

ベッドをフラットにしては寝ることが出来なくなってしまった妻のために、

上半身だけ45度くらいに角度を付けたベッドを準備。

車椅子の置き場も用意し、万全の体制を整えます。






12月30日



妻、息子待望のディズニーランドへ。

熱もさがり、体調も回復し、

朝から夜まで、いつもと変わらないランド1日滞在を楽しむことが出来た。

息子のはしゃぐ姿も見れて、

先日のキャンセル分を取り戻せたと思う。



年明け後は、フルドーズの抗癌剤治療も始まり、

そのまま下顎の大部分の切除手術となる見込みのため、

外出も、ましてやランド、シーへ行けるのも

あと1回か、2回か…

その後は、外出が出来るほどに回復出来た未来にしか

そんな日々は待っていない。



いよいよ、今までのようには過ごせない、

というタイムリミットが迫ってくるのを

肌で感じるようになる。



もう、同じ時を過ごす事が出来ないかもしれない…



聞き慣れた、

ディズニーランド閉園の音楽を聞きながら

車椅子を押して帰路に着く時、

もうこんな楽しい日々を過ごせるのは

最後なんじゃないかという思いを噛み潰して。



だからこそ思う。



来年もまた、必ず同じ時を過ごそう。



2017年も、また家族3人で年越しを迎えよう。



その時さえ迎えていれば、きっと未来は繋がっているはず。






12月31日



妻38歳、自分40歳、息子5歳の大晦日

昨日は、実家へと帰った妻と息子を迎えに行きます。



妻実家で妻を自宅に連れて帰る準備をしながら

年越しそばを頂き、自宅に連れて帰ります。



本当に久しぶりに家族が、元の家に戻った日。

これまでも、1にちくらいの短い滞在や、

妻だけが戻ってきた事は数回ありましたが、

家族3人が揃って、数日過ごせるのは

恐らく1年振りくらいか。



息子も、お父さん、お母さんと、

本当の家で過ごせる事が本当に嬉しいらしく機嫌が良い。

ここには、自分の好きなおもちゃのうち、

妻実家に持っていけないものや、

好きなテレビの録画もある。



そういうものを一切我慢して、

お父さん、お母さんと一緒にいられない妻実家から

保育園の行き来をしている事を考えれば、

自分の場所に戻ってこれるのは嬉しいのは当たり前で、

よくその生活を我慢してくれているなと感心する。



一息ついた後、先に妻だけお風呂に入れる。

顎には、顎下を覆う大きなガーゼをしており、

息子にはその中を見せていない。

あまりにショッキングな状態だからだ。



風呂の後に、顎下のガーゼを取り替える。

創部の状態は最悪に見える。

大きく2つ出来ていたコブのうち、

後から出来た方は、子供の拳大に膨れ、

表面皮膚が破れ、浸出液が常に出てきている。



初めに出来ていたコブは、

今は逆に窪んでいるようにみえ、

その周辺の皮膚は、腐ったように黒ずみ、

膿と剥がれた皮膚がぐちゃぐちゃの状態になっている。



体液と血が混ざったようなものが染みだしているため、

ティッシュで拭き取ってからガーゼを当てるのだが、

普通ならティッシュが触れるだけでも

激しい痛みがありそうなのに、

リンパ隔清手術の影響で、周辺の神経が無いらしく、

また、麻薬系痛み止めの効果もあって、

痛みをあまり感じないらしい。

神経が通っている所との境目付近が一番痛いらしい。



こんな状態でも妻は、

一切病気の事や不安を口にすること無く、

時折来る痛みに耐えながら

家族で居られる時間を大切に過ごしているように見える。



正直に言って、

ここまで悪化してしまった状態を見て、

前向きに…と言われても、そんな気にはとてもなれない。



それでも、妻は今ここにいて、

癌の恐怖、痛みと戦いながらも、

不安も、文句もひとつも言わず、

久しぶりの我が家、家族の時間を噛み締めている。



今は、妻にとって本当に貴重な時間、

2016年を無事年越し、

新しい年を迎えることが出来る特別な日。

たった一度しかないその幸せな時に

後悔なんてしていられない。



また来年も迎えることが出来るようにと、



家族3人、同じ天井を見ながら



1年振りの我が家で眠りにつきます。



来年こそは良い年になるようにと願いながら…

■舌癌28 失いたくないもの。生きる価値は?

2016年12月



これまで、

何度かの再発、転移を乗り越え、

幾度もの治療を行い、

辛い治療、苦しい副作用に耐え、

それでもめげずに、絶対に治して家に帰ることを

目標にして頑張ってきた。



もうこれ以上は体力的にも厳しいな、と

体力、気力の限界の崖っぷちから

半身を乗り出したような状態まで経験して、

それでも、本人の強い意志と、

妻実家の手厚いサポート、

息子の成長を見守るんだという私たち家族の想いを

癌に立ち向かうエネルギーに変えて頑張ってきた。



しかし、

癌は容赦なく妻の体の中で暴れまわり、

今までよりも更に大きな塊となって姿を表す。






再発を宣言された…。






小線源治療後、退院し、副作用に耐え切った後、

ようやく自力で食事し、体に元気が戻ってきた

2016年の秋の頃、

妻は、友人、会社の仲間とコミュニケーションを取り、

お見舞い等や、外出時間を取って友人に会い、

沢山の励ましを貰って、

これからの治療にも全力で頑張るよ!

と、自分を奮い立たせるように伝えてきていた。



毎日、頑張って食事しているところや、

プリンなどを食べているところを写真に撮り、

LINEなどでも元気に報告をしていた。



だが、今回の顎下、口腔低の再発、

右頚部リンパへの転移には、

相当なショックを隠しきれず、

初めてみんなの前で涙を流します…



顎下の創部は目に見える速さで悪化し、

大きく変形し、

膿を出し、

顔もパンパンに腫れ、

見るに耐えない状況になっている。

痛みも増しているという。



この創部は、今後手術でどうにか出来るものなのか、

それとも、手の施しようが無く抗癌剤に頼るも、

効果が薄ければ、口腔内と繋がる穴が空いてしまうのか…



もし治す方向で手術が出来るとしても、

その内容は前回説明の通り、想像を絶する内容。

どちらにしても、

これからは気が気ではない状況になる事を、

本人も、

家族も、

覚悟をしなければならない。



それを受け止めなければならないというプレッシャーだけでも、

気が狂うほどの苦しみを、私自身も感じている。

妻の心境はとても計り知れない。






大丈夫だよ。



という言葉で、

安心させる事が足りていないかもしれない。



そんな話を少し前にしているが、

もし皆さんがこの同じ状況になってきた時、

何の解決方法も、

後ろ盾も、

やれるべき事も無く、

ただ主治医の言うことに従うしか出来ず、

その治療方針も、こう言ってしまっては良くないかもしれないが、

とても治療後に今よりも改善される、辛さを取り除けるものではなく、

今よりも辛さを倍増させるような治療方法しか選択出来なくなっている。

生きるためには必要だと言われればそれまでだが、

生きる意味、生きている価値が感じられなければ、

その治療をする事自体にも価値は見いだせない。



昨今の癌治療で、治療自体の有効性よりも、

QoL(クオリティオブライフ)に重きを置くようになってきたのは、

この辺りの、治療と、生きる価値とを天秤に掛けた結果、

生きる価値が無ければ治療する意味も無い、

という意見が非常に多いという事だろう。



これほどまでの状況を受け止めなければならない

最愛の人に対して、



大丈夫だよ。



と、ただ言うだけで、

本当に心安らかになる、と判断は出来ますか?

それが最善の策だと、その瞬間に判断出来ますか?



癌に対して、

出来る治療が無くなっていく感覚の中では、

大丈夫、などという言葉は

本当に無意味にしか感じられない。



大丈夫、なんて言いながら、

目に見える速さでやせ細り、

動けなくなっていく姿を

ただ優しい目で見ているだけ、など、

溺れている人に手を差し伸べること無く、

ただ笑顔で見ているのと何ら変わりはない。



それが、今まさにもがき苦しんでいる

最愛の人に掛ける最高の言葉になるのか、

私としては疑問でしかない。



それでも、

それでもなお、

その気持ちの中で



大丈夫だよ。



と言ってやれなければ、

ひとりこの世の流れから置いてきぼりにされそうに

なっている人からすれば、



私の事を助けてくれる人は誰もいない…



という孤独、絶望に襲われる。



せめて、それだけでも避けてやりたい、

何とかしてやりたいと思っている、

あなたを孤独にさせない私は、ここにいるよ

という思いで言う



大丈夫だよ。



という言葉には、

深淵よりも深い愛と、悲しみと、優しさ、

その全てが満ちている、

一生のうちで一度きりの言葉だろうと感じます。






2016年12月22日



東京医科歯科大学の診察日。

小線源治療後の口内状態の診察です。



外出の際、車椅子を使うことが増えてきた妻ですが、

この日は自分の足で歩き、Y先生のところへ。



1か月前の検診の時とは大きく変わった妻の病状に、

Y先生もショックを隠しきれない様子。



妻も、舌がうまく動かせず、

喋ると舌が痛くなる事から、

この頃から、あまり多くを喋らなくなってきていた。

しゃべっても、

喉がガラガラと常に痰が絡んでいるような声になってしまう。



口腔内の目視、触診も早々に終えるY先生。



🏥舌には違和感は無く、とても綺麗で柔らかく、

非常に良く治ってきていますよ。



👩やったぁ!٩(ˊᗜˋ*)و♥



という気持ち全開で目を丸く輝かせる妻。

声には出さなくても、

目は声以上にものを言う。



🏥顎の方は…再発してしまいましたか…

そうですか…

ほんっっっとうに治療頑張ったのにね…

できる限りの事はしたんだけど…そうかー…



妻は目をつぶり、こく、と暫く頭を下げた。



👩Y先生、ごめんなさい…



多分、そう言いたかったんだろう。



誰も、何も喋ることが出来ない一瞬。

目頭が熱くなる。

小線源治療を終えて、

いきなり 赤いきつね を食べるやんちゃ振りを見せたのは

つい先日の夏のこと。

たったの3ヶ月で、まさかこんな状態にまでなるとは…



それでも妻は、

以前見せたタブレットの音声読み上げ機能と、

日々撮っている写真とを見せながら、

この1ヶ月、こんな風に頑張ってきたんだよ、

小線源の副作用もようやく落ち着いて、

少しは食べられるようになったんだよ、と

片言の言葉を添えて積極的に話しかけます。



妻は、Y先生の人柄が本当に好きなんだろう。

経過の話は、辛い話もあったが、

終始笑顔で冗談まで言えるほど

会話を楽しんでいたようだ。



🏥妻さん、次の診察は、年明けに予定されている

手術とかもあるから、そういうのも終わって、

元気に顔を出せる時にまた来てください。

いつでも連絡くれたら予約出来ますから。

ね。

治療頑張って、体力つけて、

また元気な姿を見せてください。

待ってますから。



妻は力強く👊を握って、

また来ます!

と先生に伝えます。



とても厳しい状況だが、

また妻をここに連れてきてやりたい。

妻の心配ばかりしている私と話しているより

先生と楽しそうに話している妻をまた見たいから…






東京医科歯科大学を出て帰る途中、

息子のクリスマスプレゼントを調べるために有楽町へ。

少し頑張って歩き、プレゼントを見て回る。

結局ここでは買わなかったが、

せっかく来たついでに、

妻への誕生日プレゼントも何がいいか聞くと、



👩タブレットの新しいのが欲しい!

今使ってるやつ、タッチパネルがおかしくて暴走する。



ということで、少しタブレットを見に行き、

何となく雰囲気を掴んだ頃、

痛み止めを飲むのが普段よりも遅くなり、

疲れも出てしまい、

調子が悪くなってきてしまったため、

早々に撤退し、トイレでオキノームを飲む。



即効性があるため、すぐに痛みはおさまった事で、

今度は食欲が出てきた、という事で

東京国際フォーラム内にある

モンサンミシェルのふわふわオムレツのお店

ラ・メール・プラール 東京へ。

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写真: ラ・メール・プラールサイトより



妻の、1月の誕生日の食事は、

手術の関係で行けそうもないため、

急遽このお店に行くことにした。

ふわふわオムレツならきっと食べられるんじゃないかと。



このオムレツは異次元のフワフワ感で、

まるでケーキのクリームを食べているよう。

メレンゲを大量に混ぜた卵黄の表面を焼いたオムレツなので、

中は生シフォンケーキのような感じ。

噛む必要がなく、

口の中に入れるだけでジュワーっと自然に溶けていくような食感。

これには妻も感動で、すごく食べやすい!と、

まるまる1つを食べ切ってしまった(๑>؂<๑)



私たちは、普段あまり外で食べない代わりに、

こういった感じのフレンチや、イタリアンのお店にたまに行くのが大好きでした。

ディズニーシーのマゼランズ、SSコロンビアダイニング、リストランテ・ディ・カナレット、

ミラコスタのベッラヴィスタラウンジ、
ランドホテルのシャーウッドガーデン、
などは本当によくお世話になりました。

それ以外にも、ごく一部の地域のみで小さな有名店になっている某ホテルで腕を奮ったシェフとソムリエの2人だけで営む隠れ家イタリアン。

軽井沢の名店で、自分たちが行った後に火事で消失してしまったエンボカ。

いまは見事に新店舗復活を果たしたようですね。
外観はガラッと変わってしまって、以前のような木造の良さは無くなってしまいましたが、また行きたいなぁ…

なんだか、安倍総理も予約を断られたとか噂まであるんですね。いずれにしても究極のピザ、チーズ、生ハムが食べられて、

何よりも、他では体験出来ないような、店に入る前から異世界の森に迷い込み、その奥深くにあるたった1軒のレストランというシチュエーションが味わえる、雰囲気も最高のお店でした。紛れも無く名店だと思います。今はどうなんだろうな。



そんな思い出にも想いを馳せながら、

また行こうな、絶対行こうな、美味しいお店。

きっと食べられるようになるよ、

Y先生も言ってたじゃん。

舌は凄くよくなってるって。

癌さえいなくなれば、あれだけ大変だった治療でも、

体はちゃんと再生出来るんだよ。

癌さえいなくなればいい。

そうしたら、また美味しいもの食べられる。



絶対大丈夫だよ…!!






この言葉が自然に言えたのは何ヶ月ぶりだろう…



根拠がなくても、

後ろ盾が無くても、

この先の事に不安しか無くても、



2人で築いてきた結婚してからの日々、

掛け替えの無い思い出、

何事も起きない日常、

沢山食べに行った美味しいもの…



本当に大切なものであれば、

失いたくないものがあれば、

その言葉は自然に出てくるもの。



いつもいつも、治療をどうするか、

次は何を調べればいいのか、と

癌と付き合っている状態だと、



本当に大切なもの、

大切な時間、

無くしたくないもの、

今しか出来ないこと…



そういうものが、自分の手から溢れて行ってしまう。

どんなに治療が辛くても、

どうすればいいかわからない日々が続いても、

命の決断を迫られる時でも、

ほんの一瞬立ち止まり、

本当に大切なものに気持ちを向けてみて欲しい。



たぶんそれは、



最愛の人も思い描いている、



二人だけの本当に大切なもの、



大切な時間、



生きる価値。



それを無くしてしまったら、

どんなに治療の知識を持っても、

どんなに相手の事を考えてあげていても、

今まさに命の危機にある人の

想い、希望、生きる意味…

その気持ちを支えてあげる事が出来ない。



生きる意味を、価値を失ったら、

どんなに最新の治療法があっても、

それは本人にとってなんの意味も成さない。



それに気付き、支えられる唯一の言葉が、



大丈夫。



あまりに毎日が怒涛の如く過ぎ去っていく中にいては、

これに気付くことは相当に難しい。



今、まさに闘病をしている方、

最愛の人の闘病を支えている方、

今一度、想いを寄せる方との失いたくないもの、

大切な時間に目を向けてみて欲しいです。

その大切なものを失いたくない、という気持ちを

もう一度思い出してみて欲しいです。

きっと、言葉が出ない程に辛い思いをしていても、

必ず、もう一度想いを重ね合わせることが出来ると思います。






2016年の年末まであと少し。

妻は、1日、1日、濃密な時間を過ごし、

命を掛けた治療に立ち向かう為の

鋭気と、前向きな気持ちを蓄えていきます。



生きて、また幸せな日々を取り戻すために…

ブログ更新メールが来なくなった?

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11月に入ってから、

はてなブログの購読サイトが更新された時の

メールが来なくなってしまいました(゚Д゚)



アプリは使ってないので、

更新の影響とか無いはずなんですが…



PCも開いている時間は無いので、

基本スマホchromeのみで読み書きしています。



購読ブログの更新メール設定もONになっていましたが、

いったんOFF更新、ON更新してみました。



これで明日朝更新メールが来なかったら

何が原因なんでしょうね?



あと、ずっと気になっていた

カードリンクというのでしょうか?

リンク先サイトのサムネイル表示入りの

リンクの作り方がわからず…



スマホだけで更新していると

出来ない機能なのか、

リンク挿入のボタンなんかが無いんですよね。

画像やTwitterなどの挿入ボタンはあるのですが。



多分PC表示にすれば出るんだろうけど、

普段使いがしにくくなるので、

やりたくないというワガママ。



もしアプリ使わず、

スマホ表示でカードリンクの入れ方ご存知の方

いらっしゃいましたら教えてくださいませ_(-ω-`_)⌒)_



あと、購読メール復活方法とか、

全然関係ない話とか、

なんでも募集中です(笑)

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まってるぜ!

■ADHD13 てんかんの検査と最近の状況

2018年11月現在



最近、息子の様子が安定しません。



前回、

てんかんか、チックか分からないような

目をキョロキョロするような動作がある事をお伝えしていますが、

前回の記事投稿後、直ぐに病院へ相談に行きました。



その動きは、

食事中に頻繁に起き、

普段通りの行動や、食事中に、

突然目を大きく開き、

目玉を左右の限界までキョロキョロと動かしながら、
ゆっくりと背筋をのばし、頭が起き上がっていく。

頭も、ごくゆっくり左右に小さく振るような動きも。



その動きが出ると、

顔周辺の他の動きだけ全て止まってしまうが、

首から下の体の動きは、まだ自分のコントロール

多少は残っている感じ。

時間にして約2~5秒くらいだが、

その後、ハッと気付くように元に戻り、

また1~5秒後くらいに同じ動きを繰り返す。

長い時で、この動きが2分程度は続き、

その間は、連続的にその動きを見せるが、

落ち着いてしまえば、一切その動きは無くなる。



何故か食事を始めた時にだけ頻繁に起き、

それ以外の時は、出たとしてもそこまで酷くは無い。

学校の授業中でも数度、発生を確認しているらしい。






息子のその動きをビデオに撮影し、

先生に見せます。



気になる動きですね。



と、後日、脳波の検査をすることに。





脳波の検査は初めてでした。

他の刺激の影響を受けない為に、

睡眠導入剤のシロップを飲んで、

検査室で眠りについてから検査を行います。



頭に、ガムとクリームの間のような

白いボンド状のものを付けて、

電極を何本も頭皮に貼り付けていきます。

この状態のまま、20分くらいでしたでしょうか。



静かな暗い室内に、

脳波計のロール紙を送る音と、

サラサラと何本もの波形を描いていく音だけが響きます。



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参考画像:てんかんinfo 「やさしいてんかんの本」より



私も、子供の様子が気になるため、

見てますか?

と、先生から促されて室内で待ちましたが、

下手に音も立てられない、電子機器ももちろん使えない、

暗く、暖かく、静か…

まあ眠くなりますが、息子の脳波を見ながら頑張りました。



そこには、

何の反応も無いような、なだらかな波形と、

突然振り切れる程に、四角い芋ようかんのように書かれる波形や、

真っ黒にグシャグシャグシャ!と塗りつぶしたような、激しく上下に振れる波形とが

数秒おきに繰り返し記録されていました。

その間、寝ている息子は微動だにせず、

スヤスヤと寝ています。



明確な結論までは未だに出ていませんが、

一旦の結論としては、

異常な脳波。



細かく見ていくと、

脳全体が激しく興奮しているような状態以外にも、

右脳には一切反応なしで、左脳だけが振り切れる程の反応、という特徴的な波形も度々出ていました。

右脳だけが反応しているという状態は一切無く。



外的要因によらないもののため、

多分、生まれながらにして持っている特性ではないかということですが、

ここ最近で行動にまでその影響が出てきているのは、

何らかの負担や、心の問題、

簡単に言えばストレスが関わっているのではないか、と。



まずは、暫く様子を見てから再検査をするために、

テグレトール (カルバマゼピン) を通常の半量を飲んで

症状が改善するか様子を見ます。



くすりのしおり
テグレトール (カルバマゼピン)
http://www.rad-ar.or.jp/siori/print.cgi?n=43061



この薬を飲み始めたのが9月後半からですが、

てんかんのような症状のピークは

検査前の診察に行った9月頭で、

夏休み直後が最も酷かったように思います。

脳波の検査をした頃には、だいぶ状態も落ち着いていました。



また、夏休み明けから

学校で居眠りをしてしまうことが増えました。

これは薬を飲む前からで、

現在も居眠りは続いています。



薬自体にも当然、てんかん症状を抑える効果や、

副作用として、眠気、倦怠感、やる気が出ない

などの副作用があります。



今現在、

てんかんのような症状はだいぶ軽くなっていますが、

薬を飲む前からその状態になっていたため、

悪くなるのを抑えられているのか、

まったく効果無しなのか、判断がつきません。



眠く、やる気の無い状態が続いているのも、

夏休み後からあった事なので、

薬を飲んでいるから、という断定的な判断は

まだ早いかと思います。

しかし、薬にそういった副作用があることは確かです。

症状が悪化していかない事を確認の上で、

どこかのタイミングで薬を止めてみて、

今の居眠り、やる気無しが少しでも改善するのか確認したいところです。






やる気の無い状態や、

声掛けしても動き出さない状態、

朝起きれない状態が続いているため、

やるべき事がしっかりと出来ない事が多くなった。



やりなさい、時間が無いよ、起きて、

という声掛けが、必然的に増えてしまいます。



言われれば、やはり腹を立てます。

腹を立てれば、また好ましくない行動を取ります。



結局、多動、衝動的な行動から行き着いてしまう結果と、

薬の効果か分かりませんが、行動力が甘くなった事で行き着いてしまう結果は、

同じ所に辿り着きます。

怒り、反発、癇癪。



最近、学校、学童でも、

友達へ酷いことをすることも増え、

以前のような、理解してもらえない事からの承認欲求による暴れは無くなったものの、

ちょっとしたやり取りの中で腹を立て、

相手の首を締めたり、目をパンチしたり、

縄跳びで叩いたり…

怪我をさせてしまった子が息子を怖がり、

学童に行きたがらなくなってしまったという連絡もあって、

まずはお電話での謝罪をさせて頂いたご家庭もあります。



その節は本当に大変申し訳ございませんでした。



縄跳びで叩かれるなんて、

大人でも痛く、怖いのに、

子供であれば尚更です。

こういった事に対しては 

障害児だから

なんていう言い訳は一切ありません。

息子が理解出来る順序、話し方で伝えては行きますが、

最終的には、大カミナリを落とすところまで言い聞かせをして、

二度と同じようなことをしないように!!

と何度も何度も、忘れていかないように伝えていますが、

本人の中で、どういう意識でいるのかまではわからない状況です。

叩いてしまった子が学童に戻ってきたら、

心の底から謝罪して、

二度とそういうことはやらない、という事を

誓ってきなさい!

と伝え、

本人も、自分の口でそれが言えるとこまで理解はさせましたが、

ちゃんとその行動が取れるかどうか分かるのは

もう少し先になりそうです。






薬の副作用かわかりませんが、

思わしくない行動がある事を病院にも相談したら、

11月からはテグレトールは量を減らし、

イーケプラドライシロップ (レベチラセタム) 

を追加処方されました。



くすりのしおり
イーケプラドライシロップ (レベチラセタム) 
http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=37358



今はこの薬を飲みながら様子を見ていますが、

大きな変化は感じられません。

未だにてんかんのような症状は出ます。



学校の方でも色々対処を考えて頂いており、

息子は、体育が楽しみな日は、

それを目標にすごく頑張れているが、

体育が無い日や、

別イベントの練習の為に体育が削られたりすると、

とても調子を崩して、2~3時間は授業に戻れずに

寝てしまったり、

校長室に行ったり、

保健室に行ったりしてしまいます。



そんなことで何時間も授業を受けられないなら、

まだ、毎日体育をやらせて、

気分をスッキリさせたほうが授業に参加出来るんじゃない?

と、本人と先生方が話してくれたようで、

息子も



それがいいヾ(@゜▽゜@)ノ



とアホ面…じゃなくて、満面の笑みで答えていたようで、

これから一日1時間だけ、

いわゆる特別学級の子がやっている

毎日の体育に参加させてもらえる事になりました。

3時間も無駄にするよりは、

まだやる気のある事をやって欲しいですからね…



学校の対応も、

家庭の対応も、

治療方針も、

薬の合う合わないも、



どうすれば良くなる、という答えが無く、

暫くやって良くなるか、様子を見てみましょう。

という時間の掛かる対応ばかりです。



次回、今やっている結果がどういう結果となって

出てくるのか、ちゃんとお伝え出来たらいいですね。

良くても、悪くても、

それで1歩は前進できる事に繋がるのではないかと思います。